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武蔵野ギフテッズ・リパブリック  作者: 杉並よしひと
第三章
39/83

4:遊びに行こう!

 夏休みに入った。

 昼を前にして、遠くで近くでセミが狂った様に鳴き、空気はどろりと重みを持っているみたいに武蔵野の地に溜まっている。

 透は「あちー」と言いながら、ぐで、と畳の上に寝転がっていた。

「七月も半ばになると、やっぱり暑いですね」

 陽菜もちゃぶ台に向かって正座しながら、窓の外を見やってそう言った。そう言う割に、額には汗の一粒も浮かんでいる様には見えない。

 透の部屋はぼろアパートの一室だ。部屋代をケチってこの部屋を借りている透に取って、エアコンの様な贅沢品は手の届きようも無い代物だった。冬は毛布をかぶり、夏はひたすら暑さに耐えて、春や秋を待ちわびる。それが透の暮らし方だった。

 しかし、自分だけならそれで良くても、同居人がいればそうはいかない。自分の「あちー」に律儀に返事を返してくれる陽菜を見て、流石の透にも申し訳なさがむくむくと起き上がって来た。

 やっぱり、護衛の仕事は冴紀辺りが引き受けた方が、双方に取って幸せだったんじゃないか。暑さでぼうっとした頭で透はそんなことを考えていた。

「涼しい場所に行きませんか?」

突然目の前に陽菜の大きな瞳が現れた。透はぎょっとして、寝転がったまま海老の様にすざざざっ、と後ずさった。畳とTシャツが擦れて脇腹が痛い。

「涼しい場所ってどこだ? 図書館とかか?」

「いいえ。透さん本読まなそうですし」

 確かに、透の部屋に本棚は無かった。教科書やノートだって部屋の隅に放り投げてある。自分でもどうかとは思うが、自分の性格だからどうしようもない。

「じゃあ何だ。森とか川でも行くのか?」

 この辺りは住宅街とはいえ、それなりに人通りのある所でもある。騒ぎが大きくならない様に奴らもこっちがここにいる間には襲って来ないのだ、と透は思っていた。

 だから、「人気の無い所はだめだぞ」と釘を刺そうとしたのだが、どうしてかそんなことも口からすんなりとは出て来てくれなかった。

 あの日以来、しばらく透と陽菜の間には得体の知れない、ただただ重いだけの空気が漂っていた。もちろん、実際に吸血鬼の襲撃にあって、今の自分たちの平和がどれだけ軽い風に吹き飛ばされてしまうかを知った、と言うことも理由の一つだ。

 しかし、永い平和、すなわち、いつまでも吸血鬼が陽菜に手を出さなくなる、と言う状況を目指していた透が、その難しさを知ってしまったのが大きな理由でもあった。

 突破口が見つからない。国外逃亡と言う手も無い訳ではないが、国外には国外で吸血鬼は人口密度は小さいながらも住んでいるし、何より逃亡した先の国が陽菜の身を売るようなことがあったなら、結局それは今と何も変わっていない。むしろ状況は悪化している。

 鬱屈した空気がいつまでも続くと、不思議な物で、だんだんと二人ともそこから目を背け始めたのだ。襲撃前、いやそれよりも、二人の間の会話は朗らかになり、陽菜も笑顔を浮かべることが多くなった。

 陽菜も自分と同じ様に、いろんなことを飲み込んでいるんだろう。透はそう思っている。

「そうですねえ。私、今日終わらせる分の宿題は終わりましたし、プールでも行きませんか?」

「プール?」

 透は思わず訊き返した。

「なんだ。泳ぎたいのか?」

「そこまで泳ぎたいって訳じゃないんですが……」

 陽菜は少し目を伏せると、今度は窓の外の凶悪な太陽を見た。

「夏の風物詩、かな、と、思ったんです」

「でも、俺とじゃつまんないだろ。誰か学校の友達でも呼んだのか?」

「いいえ。冴紀さんと静さんも呼んであります」

「え」

 まさかその二人とプールなんぞに出かける日が来ようとは。……正直、全く楽しみじゃない。冴紀が雪の降った朝のイヌの様になるのは目に見えているし、静は静で、プールサイドならではのやり方で透をからかいそうだ。

 プールサイドならではのやり方ってどんなだ。

「冴紀さんによると『十一時半に吉祥寺駅前に来い』との事です」

「あと十分しかねえじゃねえか」

 はああ、と透は胃の底からため息を絞り出した。

 どんなときだって、冴紀は冴紀なのだ。


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