16:生きるか死ぬか
静寂を破ったのは、五人の吸血鬼の方だった。
突然、大柄な一人が
「うおぉおぉぉおおおっ!」
と叫び、多摩川の河原を跳躍して、透に飛びかかって来ようとしたのだ。
霊族ならではのでたらめな動き。高さ五メートに迫ろうかと言う跳躍の後、男は飛び蹴りを入れようとした。
「そんなもんか」
透はちらと上を見、すっ、と体の位置をずらした。直後、空中へ跳躍していた男の体が、地面へと着地した。
地に足がついた瞬間、男はすぐさま透へと拳を繰り出そうとした。大きく体を回転させ、拳は大きな衝撃とともに透へぶち当たろうとした。
が。
「大振りすぎるぜ」
大柄な男の懐に潜り込み、みぞおちを打つ。続けざまに膝蹴りもみぞおちに入れる。ついでに腹部にも一発拳を入れたところで、男の腕がようやく懐の透を捕まえようと戻って来た。
透は一般人の動きからは想像もできないほど、俊敏に懐から飛び出した。そのまま男に手を掛けたまま背後へ回り込み、広い背中に足を掛けた。体が浮き上がる。そのまま反対の膝を男の首へと落とし込む。
嫌な音がした。透の膝にも、ごり、と嫌な感触が伝わってくる。
男の体は、まるでスロー再生を見ているかの様に、ゆっくりと崩れ落ちて行った。一瞬、誰もが息を止めた。
男の体が砂利にぶつかり、乾いた音を立てる。
「来いよ」
透はもう一度言った。感情の色に全く染まらない、透明な声だった。
「お前ら全員、二度と家へ帰れると思うなよ」
「この……、ガキが……」
四人はいずれも苦しげな表情をしていた。一人は歯ぎしりをし、別の一人は唇を歪めている。
と、そんな中で、一人が落ち着いた声を出した。
「お前ら、忘れるなよ。目的はあのガキじゃない。その後ろの〈無限霊力炉〉だ」
冷たい水をぶっかけられた様に、男たちの怒気がなりを潜めた。
「お……そうだったな。忘れてたぜ」
「ありがとよ」
他の三人の男たちは口々にそう言うと、再びこちらへ振り向いた。
透は小さく舌打ちをした。思惑が外れた。
にらみ合う。
と、透は、福の背中を誰かに掴まれるのを感じた。いや、誰かじゃない。
間違いなく陽菜だった。
「離れるなよ」
振り返らずに、透は小声で言った。陽菜がうなずいたのかどうか、透には解らない。ただ、制服を握っていた陽菜の手が、するり、と離れた事だけは解った。
四人の男が一斉に、じり、と動いた。透の退路を塞ぐ様に、一度には透が対応できない様に、男同士の間隔が開いて行く。
風が吹いた。
「行けっ!!」
冷静だった男の一声で、男たちは一斉に透、いや、陽菜目がけて飛び出した。
猛烈な霊族の加速が、河原の石をいくつも踏み砕いた。砂埃に混じって、石の欠片が舞う。
透は陽菜の体に手を回すと、そのまま陽菜を抱えて、跳んだ。
透の体は、五メートルはあろうかと言う高さまで舞い上がる。
「逃がすかよ!」
一人の吸血鬼が、透と同じ様に跳び上がる。砂煙が上がり、次の瞬間には、透と同じ目線まで到達していた。
男の唇が、嫌な笑いに歪んだ。
「お前をやっちまえば、〈無限霊力炉〉は俺らの物なんだな……」
「……」
「死ねやぁッ!」
吸血鬼が、自らの足を蹴りだす。重さの乗った蹴りが届きそうになる。空中で身動きの自由が制限されながらも、彼の蹴りは正確だった。
確かに、蹴りが入る感覚があったのだ。
しかし、吸血鬼の男の体は気づけば空を切っていた。
透は吸血鬼の蹴りを受け止めずに、そのまま受け流していたのだ。吸血鬼の脳がそれに気づく前に、透は肘を落とし、吸血鬼を地面へたたき落とした。足の振りに依って体は錐揉みの様に回転し、そのまま地へと落ちて行く。
遅れて透の体が着地する。
男が体勢を立て直そうとした一瞬の隙を、透は突いた。首元へ性格に蹴りを入れる。
しかし、そこまでだった。後ろから別の吸血鬼が透へ襲い掛かって来たのだ。
「ちっ」
透はまた舌打ちをすると、陽菜を抱えたまま跳び退った。吸血鬼たちと距離をとる。
さっき地面へとたたき落とした吸血鬼が、苦しげに呻きながら膝をつき、立ち上がった。
霊族は、その霊力のおかげで傷の恢復が早い。その男に透が与えたのは打突による打ち傷だけで、案の定恢復は早かった。
透が一人目にやった男は、未だに倒れたままだ。首の骨をやられたら、さすがの吸血鬼でも恢復は遅いのだろう。
じり、と距離を詰めて来たのを見て、透は抱えていた陽菜の体を下ろした。頼りなく自分の足で立つ陽菜の前に、透は立った。
「そこにいろ。俺が終わらせて来る」
透の経験では、五人の吸血鬼を相手にするくらい、何ともない事のはずだった。いつだって、霊族よりも、異能力者の自分の方が、疾く、強かった。
なのに、今、奴らの攻撃に跳び退ってしまった自分がいた事にも、透は気づいていた。
なぜなのか。透は考えて、一つの答えにたどり着いた。
「逃げましょう、今すぐ」
背中から陽菜の声がする。笑顔なんて影すらも見あたらないに違いない。
「あの人たちは吸血鬼です。透さんは、吸血鬼ではないのでしょう? 四人も一度に相手にするのは、さすがに無理だと思います……」
「無理じゃない」
透は冷たく突き放す様にそう言った。
「今やっちまえる奴らは、今やっちまうに限るんだ」
透はそう言うと、来ていた制服の内ポケットへ手を差し入れた。手だけで探り当て、一本のフォールディングナイフを取り出した。
一気に、四人とも戦闘不能にするつもりだった。
「はッ」
気合いを入れて、透は跳躍した。
一気に駆け上がり、彼我の距離をゼロにする。目の前に迫った吸血鬼の胸に、一寸の狂いも無くナイフを突き立て、引き抜く。
「うはぁッ……」
生温い飛沫が上がるのを尻目に、一人、陽菜の元へ向かおうとする吸血鬼がいた。透は得物を一振り、汚れを払うと、そのまま膝のバネを目一杯にのばした。
「触るんじゃねえっ!!」
迫り来る透に、吸血鬼は驚きの表情を露わにした。が、相手もそう言う場面には何回も遭遇して来たはずだ。すぐに体勢を整え、透の繰り出す攻撃に備える。
が、透はそのままそこで踏みとどまった。陽菜に向かって行く人影が、後二つも見えたからだ。
どちらを先に始末するか。
コンマ零何秒かの思考の末、透は踏みとどまった足で地面を蹴り、陽菜の、元へと戻った。人間離れした早さで地面を駆け、今まさに陽菜に至ろうとしていた二人の前へと立ちはだかる。
「行かせねえよ!」
「邪魔だあっ! どけガキィッ!!」
男の声が響く。けれど、どく訳には行かなかった。
さっきの様に逃げる訳には行かないのだ。透は動かずに、迎え撃つ構えを見せる。
と、後ろで叫び声が上がった。
「きゃっ! 離してくださいっ!」
「やった……、やったぞ!」
さっき透が首を折ってやったはずの男が、陽菜の両手首をがっちりと掴んでいた。間接を極められた陽菜が、苦しげに呻く。
「やっ……、いやっ……!」
「へへへ、やっと……、やっとだ! やっと捕まえたぞ、〈無限霊力炉〉を!」
「おいっ! 陽菜っ!」
透は叫び、一目散にそちらへ駆け寄ろうとした。
男の足下には、一本の注射器が落ちていた。おそらく、高濃度の拮抗薬を血管中に直接投与したのだろう。体への負担は大きいが、短期的に見れば効果は大きい選択肢だ。
完全な誤算だった。あれで戦闘不能にしたと思い込んでいた自分が馬鹿だった。
意識など完全に消し飛ぶほど、めちゃくちゃにしてやらなければならなかったのだ。
透は陽菜の手首を押さえている男の脇腹に突進した。脳の思考を飛び越えた早さに、男はなす術も無い。〈無限霊力炉〉を捕まえたと言う達成感、優越感が、彼の判断能力を奪っていたのかもしれない。
「うぐっ……、……くっ…………、かはっ」
男の脇腹に刺さった得物の柄を縦に裂きながら引き下ろし、返す動きで背中にもだめ押しの一差しを叩き込む。
男の手が陽菜から外れた。念のため透は男の頸動脈を掻き切る。柔らかな皮膚の感触が、金属越しに伝わってくる。
もう、着ていた制服は鮮血を吸ってぐしゃぐしゃになっていた。袖口から血が滴るのが解った。でも、自分がこうなるまで痛めつけたって、霊族と言う奴は、その霊力で、嘘の様に恢復してしまうのだ。
まだやっておくか。透がそう思って、ナイフを握らない方の手に力を入れ直したときだった。
「透さん……」
陽菜がぎゅっ、と透の袖を掴んだ。
「うしろ…………」
透は振り向いた。
透より一回り二回り大きい体の吸血鬼が、吠えた。




