2:追いつめる
そのまま勢いを殺さずに路地から長いアーケード街へ飛び出た。夜も更けている。人影は見当たらなかった。青白い街頭が、人っ子一人いない商店街をいじらしく照らし続けている。さっきの一人の相手をしている間に、もう一人には振り切られてしまったみたいだ。
このまま無策に追いかけっこを続けても、無駄に時間を食うばかりである。彼女は小さな唸り声を上げ、精神を統一するかの様に、静かに目を閉じた。
自らの中に眠る力を揺り起こす。
瞬間、彼女の周りの空気が動きを止め、夏の夜の空気が固く凍り付く。
上半身を沈める。膝のバネでそれを受け止め、逆に地面を蹴る力とする。彼女の体は常人には及びもつかない高さまで飛び上がった。立ち並ぶ建物の壁を蹴って、さらに高いところまで。
「よいしょっ!!」
三階建て伸びるほどの高さにあるアーケードの骨組みへ掴まると、彼女はそのまま鉄棒の要領で体を前へと振った。
彼女の体が宙を浮く。
しなやかな肢体が美しい弧を描き、二回転を経て、バランスを崩す事無く手近な建物の屋上へと降り立った。
男を担いだままにも関わらず、よろめくそぶりも見せないで、彼女はそのまま建物の屋上から屋上へ、ひょいひょいと軽業師さながらの身のこなしで飛び移り、男を追った。
「こんなときにもう一人感知系の異能力者がいればなあ……」
彼女は誰に向けるとも無くぼやき、再び携帯電話を取り出した。静の番号を呼び出そうと、通話履歴を呼び出す。
と、彼女の体は今度は周りの建物より少し高めのデパートの建物へと飛び移った。昼間は多くのヒトが買い物に訪れた建物も、夜になれば変な威圧感をまとう様になる。
ひと際高い屋上は、生温い風が吹いていた。平べったい武蔵野を一望できるような場所で、彼女は奈落の底のような地表を見下ろした。
「あ」
見えた。鞄を後生大事に抱え、辺りを見回しながら吉祥寺通り脇の路地を走っている男が。
すぐさま今度は透を呼び出す。
「トールの方行ったよ! 気づいてる?」
『あいつですよね、解ってる』
「出来るようなら確保しちゃっていいから。無理そうならこっちの到着を待って」
『了解』
冴紀は携帯電話をポケットへ突っ込み、また屋上のコンクリートを蹴っ飛ばした。肌を夜風が撫でていき、彼女の身につけたラフな格好の服が風にはためいた。
男はこちらの気配に気づいていない。辺りを注意深く伺いながら、狭い通りをこそこそと走っていく。
チャンスだ。冴紀は自分でも意識せずに、舌なめずりをした。
「えい」
彼女は建物の縁から、まるで椅子から飛び降りでもするかの様に、五十メートル下の地面へと飛び降りた。 彼女の体は加速し、吹き上げる風に服は靡き、地面そのものが突き上げる様に近づいてくる。高所から見下ろせた店や家々の光は周りの建物の向こうへと消えて行き、冴紀の体は薄暗い大通りの脇道へと降っていく。
すぐそばをなめる様に流れていくビルの外壁を、トン、と蹴って、彼女は自らの体に働く加速度を殺した。急に速度を落とした体は、ふわりと浮かび上がった様にさえみた。
絹のスカーフの様に、静かに地面に降り立つ。目の前にはちょうど、逃げていた男の顔があった。