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そして明日を壊す為、  作者: 新殿 翔
魂を明日へと結ぶ為、
9/79

湯船の人魚

 地下一階への階段を下りると、すぐに観音開きの扉があった。


 男子厳禁、という札がかけられているのは紡が気を利かせて下げてくれたのだろうと思いながら、千華は扉を開いて中に入った。



「……ほんと、広いわね」


 扉の向こうにあったのは、広い脱衣所だ。


 まるで銭湯か温泉かといった、優に十人以上は同時に着替えが出来そうな広さの脱衣所には格子状に区切られた棚が置かれ、そこに脱衣籠が収められている。



「こんな広くなくてもいいんじゃないの……まあ、いいけど」


 取ってきた私服を籠の中に入れて、ジャージのファスナーをおろし、上を脱ぐ。


 そのまま下も脱いで、下着に手をかけた時、はたと別の脱衣籠の中に、衣類が入っていることに気付いた。


 パーカーとジャージ……そんな格好をしている人間には、一人しか心当たりがなかった。



「……」



 風呂は後にしようか、という考えが一瞬脳裏をよぎったが、千華はすぐに下着を脱衣籠に放り投げ、バスタオルを身体に巻きつけた。


 汗をかいたままいるのは気持ちが悪いし、一度脱いだ服を着直す気にもなれなかった。



「別に、私は気にしないし」



 誰に言い聞かせるわけでもなく、そう呟きながら、浴場へ続く扉を開いた。


 中は、旅館にでも来たかのような立派な大浴場になっていた。


 地面は大理石のタイルが敷かれ、壁は檜で作ら独特の香りを放っている。


 大きな鏡とシャワー、蛇口が壁際に八組ずつ設置され、浴場の奥にはこれも檜で組まれた大きな湯船があった。


 湯は、湯船の隅につけられた湯口から常にかけ流しにされている。


 立ち上る湯気と、暖色の照明が、より雰囲気をたてていた。


 ばしゃり、と水が揺れる。



「ん? ああ、テメェか」



 出入口に背を向けるように湯につかっていた七海が、肩越しに千華のことを見た。


 彼女に視線を向けられて、千華は気を引き締める。



「朝からランニングだって? んだよ、意外と真面目なんじゃん」



 だが、千華が身構えたことなどまるで気にする様子もなく、七海は顎のあたりまで湯船に沈んでいく。



「……」



 意外にも普通の対応に、千華は毒気を抜かれたように、驚いた表情を浮かべる。


 だが、すぐに無表情を作ると、横目で七海のことを気にしながらも、湯椅子に腰を下ろした。


 シャワーヘッドを持ち、ノズルを回して出てくる水がお湯に変わるのを手で確認してから、一気に頭から浴びた。


 それからシャワーをフックにかけて、据え置きのシャンプーを手にとり髪を洗い始める。



「あ、おい馬鹿。なに人のシャンプー使ってんだよ」

「え?」



 いきなり声をかけられ、千華の手が止まる。


 見れば、確かに何種類かのシャンプーやリンス、ボディーソープが置かれていた。


 それぞれ、部隊員の私物ということだろう。



「……悪かったわね。次から自分のを買ってくるわ」

「はぁ、ほんと馬鹿かテメェは」



 ケチくらい、と口の中で呟いて洗髪を再開しようとした千華に、七海にあきれ返った声が飛ばされた。



「アタシが言ってんのは、ちゃんと自分の髪質にあったシャンプー使えって言ってんだよ。自分の買ってくるって、お前その調子じゃ、まさかコンビニで売ってるようなクソみてぇなやつ使うつもりじゃねえだろうな?」

「はあ?」

「大隊なんだ、お前その洗い方は」



 千華の耳に、七海が湯船から出る音が届き、そのまま自分の方に足音が近づいてくる。



「ちょっと……なんのつもり?」

「うっせ、ちょっとお前頭から手ぇおろせ、この馬鹿」



 まさかこのタイミングで昨日の続きでもするのか、と警戒を露わにする千華だったが、七海は彼女の手を力づくで下ろさせると、頭に手を当てて、優しく髪を洗い始めた。



「え、な……え? な、なにしてるわけ?」



 千華は思いもしない状況に動揺し、しどろもどろになる。



「洗い方下手なんだよオマエ。こんな髪伸ばしてるくせに、なんでそんな乱暴な洗い方してんだよ。折角伸ばしてるんならきちんよ手入れの方法くらいわかっとけ。いいか? 髪は思ってる以上にデリケートなんだよ。シャンプーのやり方リンスのやり方、それに乾かし方や櫛で梳くのにだって、ちゃんとお決まりごとがあるんだよ」

「あ、え……そ、そうなの?」

「そうなんだよ、この馬鹿。今回はアタシが実際にやりながら教えてやっから、次回からは自分でできるようになっとけ。ったく、長くのばして綺麗にキメてーんだろ、なに女として怠けてやがんだ」


 乱暴な口ぶりにも関わらず、七海の手つきはどことなく優しく、千華の髪を丁寧に洗っていく。


 逃避を指の腹でマッサージでもするかのように揉み、そこから泡で包み込むように毛先に向かって指を通らせていく。



「べ、別に私は、綺麗だとか、そういうのは興味ないし。そんなことに気を割いているような余裕――」

「アホ。じゃあなんで髪伸ばしてんだよ、恥ずかしがってんじゃねえ」



 七海が千華の脇の下を通して腕を伸ばす。



「ひゃっ!?」

「っと、わりぃ、シャワーで流すぞ」



 驚いて方を跳ねあげた千華に軽く謝罪して、シャワーヘッドを手に取った七海がノズルをひねってシャワーをかける。



「いいか、男はカッコつけたがる。女は綺麗になりたがる。それは古今東西変わんねぇ真理だ。本能だよ。理屈じゃねえし、特別な理由も大層な意味もいらねえ。そういうもんだ。異性にどう見られても気にしないなんてほざくやつらがいるが、そんなのは嘘だね。そんなやつがいたら、それはどっかイカれてる。そう断言できるレベルさ」

「……なに、それ」

「なあに、ちょっとした持論さ……ちょっと待ってろ」



 短く笑い、七海は千華の髪についていた泡を洗い流すと、そのまま一度脱衣所に向かい、タオルを手に戻ってきた。


 千華の髪から一束一束丁寧に水気をとっていく。



「なにしてるわけ?」

「トリートメント付ける前に水気とっとくといいんだよ。これも覚えとけ」



 ここまで来て、もう千華も抵抗するつもりはなかった。


 不満げな顔で溜息をきながらも、七海のさせたいようにさせる。



「……意外ね。あなたみたいなタイプは、別にこんな細かいことは気にしないと思ってた」

「アタシだって女だぞ、馬鹿にしてんのか」

「パーカーとジャージで動き回ってる女がなにを……」

「そりゃ……お前、家ではいいんだよ。楽な格好でいても。むしろそういうギャップ狙いなんだよ!」



 話しながら、千華はそっと首を動かして、七海の足に目を向けた。



「……怪我、治ってるわね」



 脚だけではなく腕や頬にも、一筋として昨夜の茨でついた傷は残っていなかった。



「ん? ああ……知り合いに治療系の魂装者がいてな。昨日の夜呼びだして治してもらった。アタシだって、いくらなんでもそういうアテもなく、下手にあんな力つかわねーよ。普通にソレただの馬鹿じゃん」

「そう……」



 視線を前に戻して、自分の髪を拭いている七海を鏡越しに見る。



「……もう少し、邪険に扱われると思っていたわ」

「ああ? なんで?」

「昨日あんなことがあったのに……」

「ばぁか、だからこそだろ」



 にやり、と七海が口の端を持ち上げて、気持ちのいい笑みを浮かべた。



「しっかり力見せつけてやった。お前の実力も見せてもらった。アタシはお前と白黒つけられたから満足してる。お前ももうこの部隊を下手に馬鹿にはしないだろう。それで、これ以上なにか問題はあるか? 問題がないなら、いがみ合う必要ってあるか?」

「……」



 僅かな戸惑いが、千華の胸中に芽生えた。


 まるで、もう分かりあえただろう、とでも言いたげな七海の言葉は、理解できない。


 一度争ったのだから、どこまでいっても敵だ。


 ……少なくとも、千華はそう思っていたのだから。



「言っとくけど、白黒ついたって、私、あなたに敗北を認めたわけじゃないわ。あれは途中で中断してるんだから……次やるときは、私が勝つわ」



 わざと挑発的な声色で言うが、七海は昨夜のように直情的な受け答えではなく、自信に満ちた笑みを返した。



「はっ、いつでも受けてたってやるよ……真央の許可が出ればなぁ」


 七海の最後の言葉は、ひどく弱々しかった。


 不意に、七海に聞いてみたいことができて、千華は口を開いた。



「そういえばアンタ――」

「七海って呼べよ。アタシもそっちのことは千華って呼ばせてもらうから」

「……アンタは、随分と遠季真央の言うこと、素直というか、おとなしくというか……」

「素直じゃねえな、テメェ……って、別にオブラートに包まなくても、ビビってるとかでいいぜ」



 怒るでもなく、七海は千華の髪から水気をとったのを確認して、トリートメントの液を手に取りながら苦笑する。



「ま、立場的な話もあるけど……ぶっちゃけ、真央を相手にキャンキャン吠えらんねえわ。マジ無理。そんなの考えただけで震えるレベルだっての」



 七海はトリートメントを千華の髪になじませながら、視線を泳がせ、顔色を悪くする。


 丁寧だった手の動きも、どことなく固くぎこちなくなったような気がした。



「ふん……みっともないわね」



 強者に媚びるなど、千華からすれば考えられない。


 どれほど強大な力を持っている存在であっても、目の前に立つのであれば、それはいずれ越えるべき壁だ。


 なぜなら、自身こそ最強の理不尽、最高の暴威であるべきなのだから。


 やはり犬っころか、と千華は微かな失望を七海へ抱いた。


 同時に、憤りも。


 これほどの力を持っているくせに怯えるなど、それに敗北した自分はなんなのか、と唇をかみしめる。



「……実のとこ、アタシもこの部隊にきた当時、あんたみたいにやらかして……真央に一瞬でブッ飛ばされた。そりゃもう、いっそ清々しいくらい一方的に。しかもあいつ、魂装の展開ナシでだぜ。こっちは全力だったってのに」

「は?」



 一瞬で、一方的に、そんな単語を上手く消化できなかった。


 七海がそんな風に負けるところが、千華には想像ができなかった。


 いくら強いといっても、七海であればある程度はやりあえる。


 勝手に、そう思い込んでいた。



「別にアタシのこと嫌おうが、見下そうが、勝手にしろよ。気に食わなくなったら、またぶっ飛ばすけど……でも、これだけは聞いておけ」



 七海の表情が引き締まり、真剣な光が瞳に宿る。



「遠季真央は敵に回すな。あれは……ほんとに『魔王』だぜ」

「……あ、そう」



 そっけない返答に、七海は苦笑をこぼす。


 そんな彼女の態度も、千華が気に食わなかった。


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