思わぬ依頼
俺が玄関の戸を開けると、そこには思いもしない人物が立っていた。
「あ……ども。おひさしぶりっす」
「お前……」
適当に伸ばした黒髪は目を完全に隠し、口元だけが覗いている。
だらしない猫背の、細見の男は、何も知らない人間が見れば不審者のようにも思えるだろう。
だが、俺はこの男を知っていた。
「伊上……」
伊上省吾。
双界庁所属の魂装者だ。
だいぶ前に、少しだけ一緒の舞台で働いたことがある。
だから、その希少な能力も知っている。
「どうしてここに……」
「あ? おい、どうしてテメェがここにいんだよ」
不意に、背後から紫峰の声が聞こえた。
振り返れば、居間から顔を出している。
紫峰の顔を見ると、つい先ほどの会話が蘇り不快な気持ちがこみあげてくるが、今はそれを表情の裏に押し込める。
「お前ら……知り合いなのか?」
「おいおい、この状況でその質問は鈍いだろ」
呆れた様子で、紫峰が苦笑する。
「あ?」
「考えてみろよ。アタシと、そいつの力を」
「……ああ」
言われ、すぐに思い至る。
なるほど、確かに。単純明快だ。
自らを傷つけることで願いを成就させる『人魚姫』。
それに対し、伊上の魂装が持つ力とは――第二等級、復元だ。
壊れたもの、傷ついたものを健常な状態に戻す。
俺も過去、不覚にも怪我をした時に世話になったことがある。
正に一瞬のうちに、怪我が再生するのだ。
その能力の希少さ、有用性はいちいち説明するまでもない。
特に紫峰のように、怪我を代償とする魂装者にとってはなくてはならない存在だろう。
「いつも、怪我してもすぐに治っていると思ったが、そういうことか」
「紫峰さんにはいつも贔屓にしてもらってます」
伊上が軽く頭を下げると、紫峰は軽く肩をすくめた。
「別に、アタシの治療したからってお前に金がはいっているわけでもないだろ。感謝されるいわれはないって」
「あー、そっすね」
やる気のない返答。
普段の紫峰なら激の一つでもとばしておかしくない態度だが、それでも黙っているのは、やはり日頃こいつの世話になっている自覚があるからだろう。
「あ、そういえば戦火さん、特第一等級昇格、おめでとうございます」
「……祝われることじゃない」
心の底から、そう思う。
出来ることならば、こんな力捨ててしまいたい。
だが……自分の魂を捨てることなど、誰にもできないのだ。
「はあ……そうなんすか……?」
伊上は不思議そうに小首を傾げながらも、それ以上この話題に触れようとはしなかった。
「それより伊上、どうしてこんなところに?」
「あー、それはですね……」
改めて問いかけると、伊上が少し気まずそうに頬を書いた。
今度は、こちらが首を傾げる番だった。
「おいおい、なに口ごもってんだよ男らしくねえな。こういうときゃズバッといえよ」
苛立たしげに紫峰が言い放ち、伊上の肩を強く叩く。
「うわっ、と……あはは、紫峰さんは男らしいっすね」
「ああ? 馬鹿にしてんのか?」
「す、すみません」
俺も伊上の意見に全面同意だった。
「そのぉ、実は……ですね……」
それでもなお、伊上は踏み切れない様子で、言葉を濁らせる。
まあ、こいつには借りがあるんだ。
少しくらい、手助けしてやるか。
「こんなところで立ち話もなんだ。中に入れ。飲み物くらいなら出すから」
そういって、俺は一端会話を切った。
†
冷たい緑茶を三人分用意してちゃぶ台の上に並べたところで、ようやく伊上は本題を切り出した。
「実は、自分の生まれた村で最近、変なことが起きているらしいんです」
「変なこと?」
「ええ……その、山の中にある小さな村なんですが、周辺の町から、その山で火の手があがっていたとか、爆発音のようなものが聞こえて来たとか……でも、心配になって村の皆に俺が連絡をとると、はそんなことなかったって言うんす」
「それは……確かに奇妙な話だな」
この時世、そういった物騒な話を聞いて真っ先に連想するのは、やはりサワリの存在だ。
俺の考えを読み取った彼のように、伊上が言葉をつづける。
「一応双界庁にも調べてもらったんすけど、その辺りで最近飽和流出が起きた事実はなくて、兆候もまったくない、って」
「……」
聞けば聞くほど、奇妙な話ではあった。
だが伊上は、こんな話を俺達に聞かせて一体なにを……。
「おい、伊上」
紫峰が麦茶を一気に飲み干して、グラスをちゃぶ台に叩きつけた。
「おい、ショットグラスじゃねえんだから止めろ、割れるだろ」
「うるせぇ」
割ったら片付けるのはどうせ俺だろうが……。
「伊上、さっきからごちゃごちゃ状況説明ばっかでだるいんだよ。お前、ここまで来たんだから、そんな報告だけしにきたわけじゃねえだろ?」
紫峰の鋭い視線に射抜かれて、伊上が苦笑する。
「そう、ですね……いやはや、おっしゃる通りで」
伊上が居住まいを正す。
「その……自分の力は、直すだけ、です。なので、いざという時は、役に立ちません……」
ここでいう、いざという時、というのが何を指すのか分からないほど、俺も紫峰も鈍くはない。
「……何もないかもしれないんだろう?」
「でも、何かあったら……何か起きてからじゃ、遅いんす」
俺の問いに、伊上の真剣な声色が返ってきた。
いつになく力強い言葉に、少しだけ驚く。
「……はっ」
紫峰が小さく笑い、勢いよく立ち上がった。
驚いた伊上の肩が小さく跳ねる。
紫峰はそのまま、伊上に歩み寄ると、背中を思い切りたたいた。
「っ……!?」
「よっし! そういう事ならいいぜ!」
にやり、と紫峰が歯を見せて笑う。
「アタシに任せとけ伊上! これまでの恩返しだ、なにが起きてもキッチリ敵はぶっとばしてやるよ」
「紫峰さん……!」
また安請け合いを……。
「おい、いくら自由が保障されているとはいえ、俺達は第一特務の部隊員なんだ。そうそう簡単に動き回れるわけが……」
言いかけたところで、居間の襖が開いた。
入ってきたのは、遠季だ。
「……」
遠季が、伊上を一瞥する。
それから俺と紫峰に視線をうつし、小さく頷いた。
「構わない」
「え?」
「戦火朔、紫峰七海……調査任務」
とぎれとぎれの言葉を読み解き、俺は思わず聞き返した。
それはつまり、部隊長としての正式な命令ということで……。
「行っていい、のか……?」
「そう言っている」
「いや、しかし……」
ようやく結だって学校に通い始めたんだ。
そんな時期に俺がどこかにいくのは……。
「あの、結ちゃんのことであれば、私が見ていますよ」
すると、遠季の後ろからひょっこりと朱莉先輩が顔を出した。
「すみません。話し声が聞こえて気になって、立ち聞きのようなことを……それで、そちらの方が困っているのであれば、助けてあげてください」
いかにも勇者らしいセリフに、ため息をつく。
「だが……」
「むしろ、これは部隊長の、命令……断る、権利は……ない」
「ぐ……」
どういうつもりだ、こいつ。
「何か目的でもあるのか?」
「……」
だんまりか。
だが、遠季がわざわざ口出しをしてくるなんて、なにかあると言っているようなものだ。
ここは、どうあっても断ることが正解だ。
「俺は――」
「おい戦火ぃ」
どん、と紫峰に軽く体当たりされ、肩に腕を回される。
「お前も伊上には世話になってんだろ? だったらここはイエスが正しい答えじゃねえのか。甲斐性見せろよヘタレ」
「甲斐性とかヘタレとか、そういう問題じゃない……」
だが、一応……こいつの言うことも、間違ってない。
借りがあるのなら、返すべきだ。
それでもやはり、結のことは気がかりだった。
「はぁ……そこまで気になるなら、いっそ結本人に聞いてみりゃいいんじゃねえのか」
「え?」
「結のことだ。お前よりよっぽどマシなこと言うだろうけどな」
「……それは」
結だったら、なんと言うか。
そんなの、俺だってすぐに想像できた。
「…………わかった」
それでも一抹の可能性にかけ、俺は答えを先送りにした。




