忌まわしい過去
結は、朱莉に連れ添ってもらい、朔の部屋へとやってきた。
ノックをするが、反応はない。
「あれ?」
反応がなく、二人は顔を見合わせ、首を傾げた。
「まだお風呂から戻っていないのかもしれませんね……それとも、居間でしょうか。見に行ってみましょう」
「うん」
二人は居間に移動したが、そこにも朔の姿はなく、大浴場を確認しても誰も使っていなかった。
どこかに出かけているのかと待ってみるが、十分、二十分と待っても戻ってくることはない。
待っている間に眠くなってしまったのか、結があくびを漏らしたのを見て、朱莉が苦笑する。
「仕方ありません。今日は諦めて、話をするのは明日にしましょう」
「……うん」
そうして、すれ違い、夜は更けていく。
† † †
俺が連れてこられたのは、忌まわしい場所だった。
廃棄区域……広範囲に渡り、先日の先頭により瓦礫の平野と化した光景は、どこか『黄泉軍』の瓦礫の塔に似通ったものがある。
「わざわざこんな所まで来て、何をしようって言うんだ?」
こうしている内にも戦闘の記憶と、深い後悔が蘇ってくる。
決して、いい気分ではない。
自然と声も低くなる。
「決まっているだろう、『共食い』……貴様に教えてやる」
俺を睨みつけた寄生木が、魂を滾らせる。
膨大な魂が、彼女を包み始めた。
「……おいおい、冗談だろ」a
危機感よりも、まず、気だるさが襲ってきた。
こっちは風呂にも入って、寝ようって所だったんだぞ。
なのに……ここで喧嘩吹っかけられるのかよ。
「第一、教えてやる、ってなにをだよ?」
「決まっている。貴様を含め、我々を見下す連中に、我らの誇りを!」
怒りの混じった声が、夜空を震わせた。
「『魔王』には届かない? 予備の第一等級? ふざけるなよ、我らの魂をそのように侮辱されて、黙っていられるとでも思うのか!」
「……」
言わんとしているところは、理解できる。
確かに、許しがたいだろう。
第一特務に入り損ねた第二特務、そう言われるだけで、矜持が傷つくはずだ。
自らの魂に誇りを持つ者であれば、特に。
だが……。
「どうしてそれを、俺にぶつけるんだよ」
「特第一等級である貴様であれば、私の実力を証明する相手として不足はあるまい」
「いや、そういうことじゃなくて」
思わず、鼻で笑ってしまう。
もしかして、そんなに突かれたくない部分か?
やっぱり、そういうことなのか?
だとしたら、口では偉そうなことを言いながら、くだらねえな。
「それを言う相手は、双界庁のお偉方なり、『魔王』である遠季であるべきだろう。どうしてぽっと出の俺に言うんだよ?」
今までだって、それを言われ続けて来たんだろう?
侮辱され続けて来たんだろう?
なのに、今更、この俺にその憤りをぶつける理由とは……。
「まさかとは思うが、特第一等級に成り上がったばかりの奴なら自分でもなんとか出来るだろう、とか考えてないよな?」
「……っ」
ああ、図星かよ。
なら分かるよ。
お前らが見下される理由が。
確かに、遠季じゃないが……そんな無様な連中には興味もわかないな。
これが紫峰なら、八塚なら、朱莉先輩なら……。
例え誰が相手であろうとも、自分の認められない相手にならば、立ち向かっていくだろう。
それだけの魂を、あいつらは持っている。それは、認めているんだ。
だが、こいつにはそれがない。
致命的な差だ。
それこそ、第一特務と第二特務を分ける条件なのだろうと、はっきりと理解した。
「――命ずる。罰を与えよ。赦しの口づけは、未だ無く――!」
問答を諦めた寄生木が、言霊を紡ぎ、魂をより活性化させる。
可視化できるほどに濃度を増した魂が、彼女を包み込んだ。
広がる翼、伸びる尾、地を掴む爪、生えそろう牙と、睥睨する瞳が形成された。
翡翠の竜が、降臨する。
「『翡翠の薔薇』、か……洒落た忌み名のわりに、ちょっと物々しすぎるんじゃねえのか?」
小さく笑い、腹の内に抱えた魂をいくつか、活性化させる。
すると、周囲の地面が一瞬のうちに凍り付き、翡翠の竜の脚が高速された。
それを引っ張ろうとする竜だったが、急にその巨躯にかかる重力が増し、標本のように地面に押さえつけられる。
それでも暴れ狂おうとする竜の手足に、宙に生み出された骨を切り出して作ったような巨大な杭が突き刺さる。
「悪いが、お前に負けてやる義理は無くてな」
地面を砕き、その下から太い猿の腕が二本生えて、竜の首と尻尾を掴む。
「自分の魂を知らしめたいのであれば、小細工などせずに、思うままに叫べばよかっただろうが」
『翡翠の薔薇』に、手加減など見せない。
もう二度と、あいつにならば敵うかもしれない、という面倒な希望を誰にも抱かせないために、見せしめとして。
「相手を甘く見て調子に乗ったのはそっちだろうが。まさに、罰を与えよ、だ」
言霊の一節を借りて、嗤う。
直後、『翡翠の薔薇』の首と尻尾は、根本から握りつぶされた。
悲鳴すら上げる間もなく、翡翠の竜は砕け散る。
後には地面に膝をつく寄生木の姿があった。
彼女は青ざめた顔で、俺のことを呆然と見つめている。
「嘘……」
震える声が、俺の耳に届いた。
「こんなに、違うなんて……」
「……」
かける言葉はない。
あっちも、今、俺から何を言われたところで、聞く余裕などないだろう。
さっさと帰ろうと、踵を返して、歩き出す。
その時、寒気が俺の背筋を伝った。
† † †
第二特務の隊長、寄生木妃もまた、十年前に多くを失った者の一人だった。
子供の頃は、それなりに大きな流通の会社を営んでいた父のおかげで、物に不自由しない暮らしをしていた。
家は大きめの三階建てで、小さな池のある庭もあった。
家族は両親の他には、大型犬が一頭……かけがえのない、幸せな日々だった。
しかし、歪んだ虹色が空を覆った夜、全てが崩れ落ちた。
父の車が家の前で止まる音がして、母と出迎えをしようと玄関に向かった時のことだった。
扉の鍵が開く音がして、父の姿が現れることに心を躍らせていた。
だが、いつまでたっても、ノブが動く気配はない。
不思議がる母と顔を見合わせた時……愛犬が、なにかを察したかのように妃の小さな身体を突き飛ばした。
普段から温厚で、人に噛みつくところなど想像も出来なかった愛犬の行為に驚く間もなく、大きな音がした。
玄関のドアが砕ける。
巨大な何かが、ドアを突き破って飛び込んできた。
日本の鉄の棒を螺旋状して作った、槍のようなものだった。
それが……父を串刺しにし、母をも貫いていた。
玄関の外ですでに暴威に襲われたと思われる父は既に息がなく、母は自分の状況が受け止められない様子で、目の前にある凄惨な夫の顔を見つめていた。
それから母は、視線を妃へと移し、ようやく状況を理解したように、口を動かした。
だが、声は血の泡に紛れ、空気の抜ける音しか聞こえない。
母の手が、妃へと伸ばされた。
それはまるで、助けを求めるようで、あるいは――。
妃の身体は、勝手に動いていた。
頭は、生物としての、もっとも原始的な欲求でいっぱいになっていた。
生きたい、と。
そう願い、父も母も見捨てて、リビングへと走る。
リビングに飛び込んで、廊下とを隔てるドアに手をかけた妃の目に映ったのは串刺しにされた母の腕が力なく落ちるところと、自分を助けてくれた愛犬がこちらに向かって走ってくるところだった。
ほんの数秒待てば、愛犬もリビングに届く。
だが、その時、両親を貫いていた槍に変化が起きた。
螺旋を描いていた二本の棒が、ねじった紐を勢いよく引っ張った時のように、解けていく。
槍の刺さっている二人の身体がどうなるかなど、決まっていた。
貫かれた場所から、身体を二つに引き裂かれる。
血と内臓が飛び散った。
非現実的な光景を前に、妃は、待つことなど到底できなかった。
こちらを見つめる愛犬の瞳を見ながら、彼女は小さな手で、勢いよくドアを閉めた。
直後、ドアに何かが勢いよくぶつかる衝撃が伝わってきて、妃の歯はがちがちと喧しいくらいの音を立てた。
妃は数歩後ずさると、フローリングの上にしりもちをついた。
音はない。
惨劇など嘘であったかのように、静寂がリビングを包み込んだ。
今あった出来事はすべて夢で、今にもドアを開けて、両親と愛犬が入ってくるのではないか。
そんな夢を、見た。
母を見捨て、愛犬も見捨て、自分だけが生にしがみついた自分の罪深さから逃れるように、理想的な幻想に希望を抱く。
だが、すぐに否定される。
暴風が妃を襲った。
見上げれば、穢れた虹の空が広がっていた。
家の二階と三階が吹き飛んでいた。
そうしてようやく妃の視界は、ソレを見た。
槍を振りぬいた姿勢で止まる、全長四メートルほどの、馬の首から上が人の上半身の怪物だ。
瓦礫に混じって、妃の目の前に、千切れた犬の首輪が落ちる。
地に濡れた緑色の首輪は、見間違えようもなく、愛犬のものだった。
どんな末路をたどったか想像して、妃の両目から涙があふれた。
異形が――サワリが、妃を捉える。
無造作に槍が振り上げられた。
ごめんなさい、と。
妃の唇から、微かに紡がれる。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……そればかりを繰り返した。
彼女は謝り続ける。
こちらに手を伸ばす母の姿が脳裏をよぎる。
こちらに駆けてくる愛犬の姿が脳裏をよぎる。
自分が、なにをしてしまったのか、後悔を抱く。
見捨てた、自分だけ逃げた。
罪の意識が、幼い妃の心を苛んだ。
だが、彼女が口にする謝罪は、それに対するものではなかった。
そんなことをしてでも……。
そして、罰が下されようとしているこの瞬間も……。
「私だけでも生きたいって思っていて、ごめんなさい」
妃が、口にした瞬間……その魂は願いを得て、歓喜に震えた。
現実にありえない力が、彼女の内からこみ上げる。
魂を示す言霊は、誰から教わるでもなく、彼女の内から芽生える。
「――命ずる。罰を与えよ。赦しの口づけは、未だ無く――!」
その時、妃が思い出していたのは、平和な日々……穏やかな休日に、両親が左右の頬にそれぞれ、親愛を込めた口づけを落としてくれた時のことだった。




