どこかにある未練
力が欲しい。
理不尽を食らい尽くしたい。
そんな願いが、世界を破壊する。
既に『共食い』の変化は、二十を超えていた。
時に人型に、鳥に、魚に、虫に、獣に、あるいは形容できない異物へと姿形を変えながら、様々な力を振るう。
魂装は一人につき一つ、許される力は一種類……その前提は揺らがない。
『人魚姫』の願望成就や、『勇者』の万能、あるいは千華の破壊と、力の内容については千差万別、様々ではあるが……その中でも『共食い』の力は異常だった。
他の魂が持つ力を己のものにする。
つまり、単体が保有できる魂、力が一つであるという前提を、真っ向から打ち崩しているのだ。
炎を吐く事があれば、氷を降らせる事もある、雷を走らせたかと思った次の瞬間、並外れた怪力で大地を打ち砕き、鋭利な爪で鋼をも引き裂く。
一個体だというのに、それはまさに、無数のサワリが同時に襲い掛かっているかのようだった。
それこそ、真央が『黄泉軍』と名付けた理由に他ならない。
『共食い』を相手取るのであれば、それは数百のサワリを同時に倒す覚悟でなくてはならない。
そして、いずれその総軍は、数百にとどまらず、数千、あるいは数万にすら膨れ上がる事もありえる。
そんな異常の塊と相対するのだから、『聖域』もまた、異常だった。
第一等級魂装者の魂に、さらに大量の魂を塗り固める事で完成した、人造の第一等級サワリ……その身に纏う黄金は王水のように、あらゆる物質を蝕み溶解させる。
黒い獣と黄金の支配者の衝突は激化の一途をたどり、周囲の地形は跡形もなく、細かな瓦礫が敷き詰められた更地と化している。
『共食い』の姿が再度変状し、翼をもつ獅子のような異形と化す。
空へと舞いあがった『共食い』を、『聖域』はじっと見上げていたが、ふと片手を持ち上げると、その手のひらに黄金の輝きが集った。
光は瞬く間に握りこぶし大まで膨れ上がり、『聖域』は迷わずそれを握りしめた。
瞬間、黄金が弾け、衝撃波となって空へと放たれる。
全天を包み込む様な金色の波を前に、回避など不可能、『共食い』に残された術は迎撃のみだった。
『共食い』の形がまた変状する。
右肩が膨れ上がったかと思うと、そこに巨大な目玉が覗き、肘から先は黒い結晶体のようなものに覆われて、巨大な剣となる。
巨大な目玉が痙攣するように出鱈目に動いたかとおもうと、風船が破裂するような軽い音とともに炸裂し、飛び散った肉片が黄金の波に触れた途端に、眩い輝きを黒く浸食していった。
穴あきになった黄金の膜を剣の一振りで切り裂くと、『共食い』は力強い羽ばたきで『聖域』へと下降した。
真っ直ぐに着き出した剣の先端を、『聖域』が纏う、より高密度の黄金が受け止める。
力と力がぶつかり、大地が大きく窪んだ。
クレーターの表面は、まるで高熱にさらされたかのように赤く溶け出し、泡立つ。
突き出す右腕とは逆、『共食い』の左腕が変化し、三本に枝分かれして、それぞれにナイフのような爪が備わる。
三本の腕が、鞭のようにしなりながら、絶え間なく黄金の聖域に爪を突き立てた。
触れれば触れる程、黄金は『共食い』の身体をも蝕む。
右の剣は相当の強度を持っているからこそ拮抗しているものの、枝腕は触れれば触れるだけ、黄金によって侵されていく。
だが、へばりつくような金色がが腕の根本に至る前に、勝手に腕は落ちて、新たな腕が伸び、攻撃を再開した。
それでもなお、『聖域』は揺らがない。
黄金の出力が増して、ここまでもっていた決勝の剣ですら、ついに浸食される。
一度離れようとする『共食い』だったが、『聖域』の腕が伸びてきて、首寝っこを掴まれてしまう。
触れられる場所から、驚異的な速度で黄金が侵食する。
かと思った瞬間、『共食い』の上半身が弾け飛んだ。
『聖域』の力ではない。
『共食い』自ら、己の肉体を破損させることで、黄金の浸食から逃れたのだ。
残った下半身だけが地を蹴り後退し、蠢きながら、太く長く肥大化していく。
形成されたのは、優に五十メートルはあろうかという、巨大な蛇だった。
鱗の隙間からは、絶え間なく毒々しい紫の霧が吹きだし、クレーターの中に立ち込める。
触れた物は、無機物であろうと腐敗させる毒の霧が、聖域を押し込んだ。
『聖域』が一歩後ろにさがったのを見た『共食い』は、その勢いを逃すまいと、巨大な顎を開いて噛みつこうとした。
頭から噛み砕かんとした攻撃を阻むのは黄金の壁だが、毒の霧との拮抗に力を奪われているのか、輝きは鈍い。
牙の先から聖域に蝕まれながら、『共食い』は知った事かと聖域を噛み壊すと、そのまま『聖域』へと迫った。
『聖域』は即座に回避行動に映るが、完全には避けきれず、右腕の肘から先に『共食い』が食らいつく。
だが、聖域で溶かされた牙では、腕を食いちぎる事はできない。
『聖域』が腕を振り回すと、大蛇の巨体が軽い縄のように振り回され、地面に打ち付けられた。
地面にとぐろを巻いた『共食い』の頭部に『聖域』が飛び乗り、黄金の支配を足元から広げた。
みるみるうちに、『共食い』が金に染め上げられていく。
当然、されるがままでいる訳も無く、『共食い』は頭を振って『聖域』を払いのけると、金色に覆われた体表を、脱皮するかのように捨てた。
破れた皮の下から現れたのは、例えるのであれば、肋骨の生えたクラゲだ。
宙に浮く透明なクラゲはあちこちから白亜の肋骨を飛び出させている。
下部に垂れる無数の蝕手が一気に伸びで、地面を覆い尽くすように広がった。
『聖域』の立つ場所のみが、金色の領域により、ぽっかりと穴が空いたようになっている。
触手の先端は槍のように尖り、『聖域』へと次々に放たれた。
それらは次々に浸食され、壊死するように崩れ落ちるが、無尽蔵に次が生えてくる。
そんな中、『共食い』の身体に亀裂が入り、内側から食い破るように無数の蔦が生え、絡まり合って大樹の形をとる。
中空にそびえる大樹は小さな結晶を枝の先に実らせた。
熟した結晶が自らの重みに耐えきれなくなり、落ちて……地面に触れた途端に、大爆発を引き起こした。
一度、二度どころか、いくつも生った実の分だけ、破壊が芽吹く。
すべての実が落ちた後、地面のクレーターは、倍以上の大きさになっていた。
大穴の中心に依然佇む『聖域』の外套が風に揺れて、砂金を思わせる金色の粒子がこぼれる。
『聖域』が跳躍し、宙に浮く『共食い』よりも高い位置に舞い上がった。
『聖域』の四肢を、一層濃い黄金が包み込む。
あまりの濃度に半ば物質化した光纏う拳が、『共食い』へと振り下ろされた。
たったの一発で、『共食い』の身体は縦に引き裂かれ、次いで放たれた蹴りで横に両断される。
四つに立たれた『共食い』の身体は、それぞれが蠢き、ピラミッドのような四面体に代わると、互いの間に管を伸ばし、巨大な十字を形成した。
十字の交差部分が蒼く煌めく。
刹那、光の弾丸が放たれ、『聖域』を捉え、そのまま地面へと落下した。
直後に蒼炎が溢れだし、クレーターを煉獄へと変える。
魂すら焼き尽くす炎を、金色が押し返した。
『聖域』は、未だ傷一つなく、悠然と立っていた。
その頭上から、いつの間にか黒い獣へと戻った『共食い』が落下してきて、爪を振るうが、『聖域』は軽く後ろに跳んで回避した。
『共食い』と『聖域』が向き合い、静寂が流れる。
大気が死んだかのように微風の一つもなく、時が停まったと錯覚するほどに、両者は止まっていた。
しかし、示し合せたかのように、同時に動き出す。
再び、魂が衝突した。
† † †
止まらない化物達の闘争を、千華は先ほどよりずっと離れた場所から見守っていた。
傍らには、腹部から大量の血を流す紡が転がっていた。
「……どうして、こんな荷物を」
呻くように呟いて、彼女はため息をつく。
仮に、千華が紡をここまで連れて来なければ、極々当然のように彼女は化物の闘争に巻き込まれ、死体も残さず消滅していただろう。
「……」
自分の行動の意味を探して、千華は舌打ちをこぼす。
こんなのは自分の役目ではない、と。
己が果たすべきは破壊という理不尽であり、誰かを救うなど、物語の筋書きを無視するかのような蛮行だ。
それでも、そうしてしまったのは……自分の弱さだと、唾棄する。
ここ数日の間に見た紡の姿が脳裏にちらついて、気付けば、手を伸ばしていた。
いっそ、今からでもとどめを刺すべきかとも考えるが、どうにも動く気はしなかった。
それは、魂の質量を増大させるなどという無茶をした反動か、あるいはそれでもなお届かぬ領域の化物に対面したことでやる気が削がれたのか。
それとも、放っておけば勝手に出血多量なりなんなりで死ぬ紡の為にいちいち動く必要がないと感じているのか。
千華自身、測りかねていた。
「……助けて下さったことには、感謝しています」
ぽつり、と倒れていた紡の唇が動いた。
僅かに千華が目を見張る。
「起きたのね」
「……どうやら状況は、悪いようですね」
首だけ動かし、『共食い』と『聖域』の繰り広げる戦いを見た紡は、他人の様に呟いて、薄く微笑んだ。
彼女の態度に、千華は眉を吊り上げる。
「あんたが原因でしょうが」
「ふふ、そうでしたね」
気だるげに頷いて、紡は『聖域』を――天道啓を見つめ、目を細めた。
「兄様……」
「あんなものでも、兄と呼ぶのね」
何の気遣いもなく、いっそ小馬鹿にするように千華は紡を見下す。
「もちろん……あれは、間違いなく、兄様のものですから。であれば私は、その再誕を祝福しましょう」
口の端から血の泡をこぼしながら告げる紡が、千華には理解できなかった。
嘆くなら分かる。
しかし、まるで満足だと言わんばかりの微笑みは何なのか。
あんな化物を生み落してしまったのに。
自らも、瀕死の重傷を負わされているのに。
それでもなお、そんなものを祝福しようとしう思考が信じがたかった。
「やっぱりあんたは、放っておくべきだったかもね」
こんなやつは死んでしまえばよかったのだ。
千華は本心から告げていた。
それを理解し、なお紡は微笑んだ。
「そうしなかったのは……やはり、未練ですか?」
「は?」
「会いたいのでは?」
「――……」
一瞬、意識が遠のき、幼い頃の記憶がちらついた。
いつも自分の手を引いてくれた、優しく、頼り甲斐のある姉……失ってしまった、かけがえのない日々。それらを取り戻したいのではないかと、紡は重ねて瞳で問いかけていた。
千華は、即座に否定できなかった。
既に、鼻では笑い飛ばす事は出来ない。
死者蘇生――そんな夢物語の片鱗を、見てしまったから。
だが、と千華は首を振り、余計な想いを追い払った。
「あんたは、自分の兄をあんな化物にして、それでも人に言うわけ? あなたの大切な人も、化物にしたらどうか、って」
「ええ」
「……」
当然のように肯定され、千華の頭が一瞬、何も考えられない白に染まった。
「あんたは、自分の兄に申し訳ないとか、そういう思いはないわけ? あんな姿にしておいて……死んでもなお、好き勝手に振り回しておいて」
声には、隠し切れない苛立ちが含まれていた。
気付いてないわけがないのに、紡は、やはり頷く。
「死者の蘇生を願うのは生者のみです。兄様に蘇って欲しかったのは、私の我が儘。であれば、兄様がどう思うかは、重要ではないでしょう?」
「――……」
なにを言っているのだろう、この女は。
もはや、自分と同じ人間にすら見えなかった。
人の皮をかぶっただけの、人の言葉を解さない別の生物なのではないかと、本気で考えてしまう。
「もちろん、望んだ結果だったとはとても言い難いですが……こういう形に収まったのなら、私はそれで構いません。間違いなく、そこに兄様を感じることができるのですから」
「あんたは……」
「大切な人に傍に居て欲しい。例え、本人がどう思わなくとも……当然の願望ですよね?」
「あんたは……っ!」
全身を這い回るような怖気に、千華は血錆の翼から衝撃波を放ち、紡を吹き飛ばしていた。
抵抗なく、紡は地面を転がり、大きな瓦礫にぶつかって、腹から大量の血をこぼした。
「ふふ、酷いことをするのですね……」
苦笑しながら、紡はよろめきながら、緩慢な動きで立ち上がった。
本来ならば到底動ける状態ではないが、彼女の身体に宿る大質量の魂が、その無理を可能にさせていた。
気絶しながらも一度つかんだ魂の澱を手放さない技量――あるいは執念には、千華も戦慄を覚える。
「……どうするつもり?」
「兄様の傍へ。それだけが私の願いですから」
「っ……あんな場所にたどり着けると思っているの!?」
『共食い』と『聖域』は、いつまでも、一進一退の際限ない闘争を繰り広げていた。
大地は常に怯えるように震え、肌に感じる威圧感だけで膝が笑い出しそうだった。
行けば殺される、そんなのは足し算よりも簡単な事実だ。
「ええ。どうせ死ぬなら、兄様に殺されたいですから。ああ……そうですね、我が儘に対する、お詫びにもなるでしょうか?」
さも今思いついたように、命を詫びに差し出すと告げる紡に対し、千華はついに武器を抜いた。
連結刃が回転する大鎌が、唸りを上げながら空を裂く。
「死んで詫びる……それは別に構わない。でも、あんな化け物どもを刺激するような真似はよしてもらうわ」
どちらか一方でも解き放たれれば未曾有の大災害は避けられない。
当然、間近にいる自分が最初に狙われる可能性が高い。
理想は両者共倒れだが、互いに消耗し合っている現状は、少なくとも自信にとってはマイナスではない。
そこに余計な刺激を与えるなど、冗談ではなかった。
「おとなしく見ていなさい。もしあなたの兄が勝てば、その時殺してもらいなさいよ」
「――……傍にいるのに、我慢できると思いますか?」
柔らかく微笑んで、紡は軽く拳を握りこむ。
「――さあさ、あなたを招くお手はこちらよ――」
言霊によって、紡の魂が励起される。
高ぶる魂が、陽炎のように彼女の背後で輪郭をとる。
揺れ動く骨のように白い衣……そして、木乃伊のように干からびた肌……顔は夜叉の面で隠されている。
『御供夜叉』が顕現する。
紡が腕を持ち上げれば、『御供夜叉』も腕を上げる。
あるいは、『御供夜叉』が紡を操り人形にしているかのようでもあった。
「止まりはしませんよ」
紡の腕が振り下ろされる。
動きに合わせ『御供夜叉』が腕を振り下ろし、枯れ枝のような指を握りしめて作った拳が、千華へと叩き込まれる。
寸のところで千華が回避すると、『御供夜叉』の拳は地面にまるまる抉りこむほどの威力を発揮した。
「止まるわ……殺して止めるから」
千華の大鎌が紡へと振り下ろされる。
もう一つの戦いが、幕を開けた。




