悪夢の産声
俺達は、目の前に広がる光景に唖然としていた。
馬鹿な……これも、予兆無しかよ。
俺の驚愕など知らずに、虹色の空から無数のサワリが発生し、降り注いできた。
「おいおい、なんだこりゃ……、さっきのサワリ、出現の兆候なんて感じたか?」
紫峰の呟きに、眉をひそめる。
出現の兆候、だって?
ないのが、当然じゃないのか?
少なくとも俺が廃棄区域で戦っていた時は、いつもなかったぞ。
紡もなにも言わなかったし、てっきりそれがここでの正常なのだとばかり思い込んでいた。
だが……もしかして、そうじゃないのか?
異常だった?
なら、どうして紡はなにも言わなかったんだ?
「そもそもいくら高位根奏者同士がぶつかったとはいえ、飽和流出まで至るわけ……それに、これは……まさか……」
朱莉先輩の声は、微かに震えていた。
そう。
小規模な飽和流出なら、まだよかった。
この感覚は、つい先日味わったばかりだ。
あまりに現実界と魂魄界が近付きすぎて、膨大な魂の澱が流れ込む。
「大規模、飽和流出……なのか?」
十年の間に、たった三度しかなかった現象が、前回から大した間もおかずに、突如として発生する。
異常という言葉ですら不足なほどに、おかしな状況だった。
「……そう、もう始める、んだ……」
「遠季?」
なにを言っているんだ?
視線をむけて、はたと気づく。
――紡はどこにいった?
その疑問を、深く考える暇などなかった。
「来るぞ!」
紫峰が空を睨み、叫ぶ。
直後、五十近い大量のサワリが、俺たちへと津波の様に押し寄せてきた。
下等なサワリだけじゃない。
第一、第二……そんな大物も、半数近く混じっている。
「くっ……」
仮に俺一人だったら、こんな状況には対応しきれなかっただろう。
だが――。
「――悲劇よ、私を世界に刻み込め!――」
紫峰が水色のドレスを纏い、全身に茨を巻き付け肌を傷つけることを代価として、願望を具現させる。
押し寄せていたサワリどもの身体に、小さなこぶが出来る。
一つ、二つ、その数は瞬く間に増大し、例外なくグロテスクなこぶの塊へと姿を変えた。
まるで、泡だっているかのようだ。
次の瞬間、いくつもの破裂音を重ね、全てのサワリが弾け飛んだ。
飛び散る残骸は――無色の魂となって魂魄界に戻ることはない。
そのまま、どこかへと流れ込んでいった。
「なんだ……?」
違和感に気付く。
これは、ただの大規模飽和流出ではない。
規模でこそ間違いうなく、そう呼べるものだが……にも関わらずサワリの出現位置は、俺達の周囲に限定されていた。
本来ならば広範囲にふりかかる震災が、一か所に凝縮されている。
その被害は、どれほどのものか……想像すら出来ない。
事実、あれほどのサワリを滅ぼしたと言うのに、既にそれ以上の数のサワリが空から降り注いでいた。
「人為的……?」
まさか、馬鹿な……そう思いながらも、俺は呟いた。
これほどの力を操れるやつがいるっていうのか?
「……第一等級『御供夜叉』……これは、紡さんが……?」
ぽつりと朱莉先輩の唇からこぼれた言葉に、俺は耳を疑った。
「今、なんて?」
「魂魄界からの澱の流入を操れるやつなんて、一人だって言ってんだよ。天道紡……あいつなら、確かに条件さえそろってりゃ、大規模飽和流出くらいなら起こせるかもな」
第二陣のサワリを泡に変えながら、吐き捨てるように紫峰が言い放つ。
「どういうつもりだ、紡の奴」
「……冗談だろ?」
乾いた笑いがこぼれた。
あの紡が、こんな事態を引き起こした?
大災害だぞ?
穏やかな笑顔を思い返し、とても信じられない気持だった。
だが、と頭の隅に、反論する自分が生まれる。
こんな部隊にいるんだ、どれほど人の良さそうな笑顔を浮かべていたとしても、その裏で何を考えているかなど、分からないではないか……と。
ぞくり、と怖気が走る。
いっそ……ただタガが外れているよりも性質がわるい。
取り返しのつかない状態にならなければ知ることの出来ない異常性など、手のつけようもない。
いわば、いざ終わりの時が訪れなければ分からない、無痛で無自覚な死の病にも似ている。
「……唯一の常識人じゃ、なかったのかよ」
「アタシだってそう思ってた」
言葉の割に、もう紫峰の顔に動揺は浮かんでいなかった。
現実をありのまま受け入れ、納得した顔だ。
「でも違った。それだけの話だろ」
俺よりも、ずっと長い時間、紫峰は紡といたはずだ。
なのに、そんなに早く割り切れるものなのか?
……いや。それこそ、そういう普通の神経を求めるのが無駄なのだと……つまり、そういう事か。
「悪い夢だろ……」
そうであってくれ、と。つい、希望が言葉になって漏れた。
「私も、そうであって欲しい……」
新たに生まれたサワリが突進してくるのを、白銀の閃光が真っ二つに断ち切った。
次の瞬間、切断面から白い光が溢れだし、サワリを溶かすように消し飛ばす。
「でも事実、こうした事態が起きてしまった……紡さん本人に、確かめないと」
サワリを消し飛ばした光は、その一体に留まらず、拡散して他のサワリに接触すると、その個体をも消滅させてしまう。
まるで、光が感染していくようだった。
悪を浄化する輝きが、瞬く間に大量のサワリを屠った。
これが、誰かを守ると言う願いの下に行使される『勇者』本来の力……。
「それは、そうだけど……おい、遠季! どうするんだよ!」
隊長であるはずの遠季は、先程から一歩も動かずに、状況を静観していた。
「……」
俺の言葉にも、反応は帰ってこない。
「おい……!」
一歩詰め寄ろうとした俺の肩を、紫峰が掴んだ。
そのまま、力づくで放り投げるように地面に転がされた。
「っ……なにするんだよ!」
「うっせぇ。これくらい、真央の出番じゃねえ。真央が出るような場面じゃねえ。真央を出すべきじゃねえんだよ」
「一体何を……!」
本人が言っていたんだ。
この部隊は、自分を打倒しうる力を集めた部隊であると。
特務とは、遠季真央を抑えるためだけに存在するのだと。
そんな壮言をのたまったのだ。
さぞや強力な力なのだろう。
だったら、今使わずに、いつ使うと言うのか。
「落ち付いてください、戦火さん」
静かな声で告げ、朱莉先輩は聖剣を振るい、サワリを滅ぼしていく。
「とにかく、今は紡さんを探しだし、もしこの状況を操作していると言うのであれば、すぐにでもこの飽和流出を止めさせ――」
「……ああ」
遠季が、空を見上げた。
世界が脈動する。
そんな錯覚。
「……来た」
空が揺らいだ。
澱んだ虹色が輝きを増し……絶望的な量の澱が噴き出す。
まるで滝のように現実界へと流れ込んだ澱は、あまりに濃密過ぎて、気を抜けば、自分の魂を押し潰されてしまいそうだった。
濁流の中から、絶望が姿を現す。
未だ、過去に二体した確認されていない、超質量の魂を孕んだ化け物。
第一等級のサワリが――四体、生まれ落ちた。




