手のなる方へ
『勇者』……聖なる輝きを身に纏った扶桑朱莉が、一歩前に出る。
それだけて俺も、八束も、冷や汗を流した。
辺りは静かで、朱莉先輩の鎧が擦れる金属音だけが聞こえる。
一歩、また一歩と、ゆっくり近づかれているのに、俺達は動けない。
初めて会った時と同じだ。
あまりの魂の質量が、俺達を抑えて離さない。
静かに凪いだ海の底で、強大な水圧に襲われているかのようだった。
「一瞬で終わり、なんて結末は流石にどうかと想うのですが……どうでしょう?」
気付けば朱莉先輩は八束の目の前に立って、剣を振り上げていた。
「っ、おぉおおおおおおおおッ!」
雄叫びをあげながら、全身に絡みつく圧力を振り切り、八束が大鎌を振るう。
聖剣の刃と回転する凶刃がぶつかり合い、火花を散らした。
そして……大鎌の連結刃が千切れ、バラバラとなって周囲に巻き散らかされる。
「っ、ち……!」
舌打ちをしながら、八束は使い物にならなくなった大鎌を朱莉先輩に放り投げ、三つ目の武装である戦斧を抜き放問いざまに振り下ろした。
刃が届く前に朱莉先輩の姿は消え、戦斧は地面を叩いて、強烈な衝撃を生み出して巨大なクレーターを作った。
朱莉先輩は飛び散る瓦礫の隙間を縫うように、俺へと肉薄してきた。
八束との衝突で、僅かに辺りを満たす圧力が揺らぎ、俺もどうにか身動きが取れるようになっていた。
咄嗟に後ろに跳躍するが、朱莉先輩はぴったり同じ速度で追ってきた。
「『勇者』様が、弱い物苛めしていいのかよ……!」
「これは、いわば指導ですしね。それに、確かに私の『勇者』は誰かを守る時にしか本領を発揮できないから……これは所詮、この程度、です」
この程度、だと?
これ程の力でか?
本来ならば、『勇者』はこれ以上に強力な力を秘めているというのか。
紫峰の『人魚姫』による願望成就も出鱈目だと思ったが、『勇者』も負けず劣らずだ。
「く、そ……っ!」
遠慮なんてしていられない。
俺は魂の力を振り絞り、最大の熱量を放った。
あらゆるものを蒸発させる、極小の太陽が複数、朱莉先輩へと襲い掛かる。
だが、朱莉先輩は盾であっさりと太陽を受け止めた。
膨大な熱量を受け止めたというのに、盾はびくともしない。
俺の全力を、あっさりかよ……。
ほんの僅かばかりの自負が粉々に砕けそうだ。
「正直、分からない」
ぽつり、と朱莉先輩が呟く。
「どうしてお姉様は、あなたをこの部隊に入れたのか。八束さんと比べると……あまりに平凡なのに」
「言ってくれる」
否定はできないけど……そもそもお前らみたいな規格外と比べないでくれ。
「あなたは、何を期待されているの?」
「俺の方が知りたいよ」
「ふうん」
興味を失った様に、朱莉先輩が剣を振るおうと手に力を込める。
だが、その横腹を狙って八束が突っ込んで来て、戦斧を振るった。
「おっと」
絶大な威力が込められた戦斧も、朱莉先輩の盾に軽々受け止められてしまう。
接触時に発生するらしい強烈な衝撃波も無力化されているようだった。
今の攻撃は、俺を助けた……訳ではないだろう。
「死ね……殺、す……ッ!」
修羅の如き形相で戦斧を振るう姿を見れば、八束がただ我武者羅に武器を振るっているのは明白だった。
朱莉先輩は巨大な戦斧を何度も盾で受け止めながら、嘆息する。
「まあ、今回はこんなところでいいですよね? 私の実力は、十分伝えられただろうし」
言いながら、朱莉先輩が剣を振るう。
戦斧が切り裂かれ、八束が斬撃の風圧で吹き飛ばされる。
そのまま朱莉先輩は俺の腹を蹴り飛ばした。
「ぐっ……!」
「とりあえずチビ呼ばわりで与える罰は、その一撃で許してあげます」
地面を転がった俺を見下ろして、朱莉先輩は小さく笑んだ。
「……どうも」
内臓の1つや2つどうにかなってしまったのではないか、という激痛に苛まれる中では、そんな言葉もまったく嬉しくなかった。
「……まだよ」
ゆらり、と幽鬼のように八束が立ち上がる。
四枚の翼が、悲鳴のような軋みを上げていた。
頭でも痛むのか、額に手を当てながら、八束はおぼつかない足取りで前へ出る。
「目障りなのよ……死になさいよ……」
半ば意識が遠のいているのか、聞いているだけで不安になるような口調だった。
だというのに……なんだ?
あんなボロボロでも……感じる魂の威圧感は、尋常ではない勢いで密度を増していた。
俯いているせいで、八束の表情はうかがえない。
けれど……ぽろりと、一滴だけ、透明な滴がこぼれたように見えたのは、目の錯覚だったのだろうか?
「……殺してやる……壊して、やる……!」
もだえ苦しむ様に、四枚の翼がそれぞればらばらな動きで蠢いた。
「っ……!」
朱莉先輩が身構えた。
今までの余裕が揺らぎ、警戒心がその顔に浮かんでいた。
……まさか。
速い、速いとは思っていたし、いずれは、とも思っていた。
だが……こんなすぐに、駆け上るのか?
……第一等級へ。
「――死……ねぇえええええッッ!」
絶叫があがると同時……空から突如として現れた巨大なと蜘蛛の人が混じったような異形が落ちてきて、八束のことを踏みつぶした。
† † †
――さあさ、あなたを招くお手はこちらよ――
それは、己一人では何もできないと嘆きながら、誰かに依存し、共にいたいと願う魂が紡ぐ孤独の詞だった。
† † †
「あ?」
突然の事態に、この場の誰もが一瞬だけ硬直する。
見上げるサワリから感じるのは、第二等級相当の力だ。
「な、え……」
「はあ……?」
朱莉先輩や紫峰が、戸惑いを露わにする。
「っ、なに、ぼさっとしてるんだよ!」
俺はすぐに炎を生み出すと、それでサワリを包み込んだ。
サワリは何も出来ないまま生理的な嫌悪を掻き立てる悲鳴を上げ、焼かれていく。
だが、俺の業火がサワリを灰に変える前に、強大な力の脈動を感じた。
サワリの下から溢れだした力の奔流が、空へと放たれた。
光の柱はサワリを飲み込み、ゆっくりと細まり消えた時には、敵の姿は一片も存在していなかった。
後に残ったのは、腕に巻きつくような形状の筒――大砲を空へと向けている八束の姿だけだ。
簡単にくたばるとは思っていなかったが……本当に、とんでもないな。
苦笑する俺が視線を向けると、流石の八束も限界だったのか、その場に膝をついて、荒い呼吸で肩を上下させる。
そこに、さらなる異変が具現した。
空を突如として、淀んだ虹色の輝きが覆っていく。
この俺が、その輝きを見間違うわけがない。
「っ……飽和、流出だと……?」
過去、俺から全てを奪った忌まわしい空が、頭上に広がっていた。




