第一特務
東京都新宿区、千代田区霞ヶ関、警視庁のすぐ横に並び立つようにして巨大なビルが聳えていた。
日本における魂魄界への対策を敷く組織、双界庁の庁舎だ。
その十二階、長い廊下を俺はぼんやりと歩いていた。
「おい、聞いているのか、戦火。戦火二等……朔よぉ!」
「……聞いてますよ」
隣を歩く後見人でもあり上司でもある仙堂さんの怒声に、ため息交じりに応える。
すると、濃い眉が寄せられ、渋くなった表情で軽く睨みつけられた、
「おいおい、しっかりしてくれよ。なんだそのやる気のねぇツラは。お前もお役人になって早一年だぜ。少しは組織ってもんに慣れて、らしい格好してくれや」
「してるじゃないですか」
言って、軽く両手を広げて身に纏う黒い外套を強調する。
あしらわれた銀装飾同士がぶつかって、涼しい音を立てた。
「そういうことじゃねえって……お前さん、命令違反はこれで何度目だ。今回のお呼び出しも絶対にお偉方のお説教だぜ」
「言わせておけばいいでしょう。どうせモニター越しにしか人と離せない臆病者達なんだから」
「お前さんは歯に衣着せないねぇ。そうすりゃそこまで堂々振る舞えるんだ? やっぱ、二等ともなりゃ違うのかい?」
「別に等級なんて関係ないですけど」
言葉に嘘はない。
二等という呼び名は、第一から第六までで力を基準に分類される中で上から二番目、第二等級魂装者であるということを示している。
日本国内では三十二人しかいない戦力、らしい。
当然、その希少性の分だけ我が儘も通りやすいが……だからって俺は、それを傘に着るつもりは無い。少なくとも、俺本人の意思としては。結果的には分からないが。
俺が双界庁に入ったのは、偶然力を持っていて、偶然コネクションがあって、偶然巡り合わせがあったからだ。
求められたサワリの殲滅に関しては、十分な成果を残していると自分では思っている。
だから余計に干渉しないで欲しい。
命令なんていちいち聞いていたら、ストレスで胃に穴が空く。
つまるところ……命令無視の原因は、俺がそういう性格だから、としか答えようがない。
やる気はないけどやることはやるから放って置いてくれ。
声高らかに、そう言いたい気分だ。
「……お前さんは、ほんといっつも怠そうにしてんな。俺がそんくらいの歳の時はダチとつるんでハシャいでたもんだぜ」
「友達とかいませんし」
「……やっぱ、こんなとこじゃなく、学校に入れてやるべきだったかねえ」
断固拒否だ、面倒くさいじゃないか。
何度目かも分からない溜め息をこぼしていると、仙堂さんが足を止め、顎で目の前の扉を示した。
「ほら、入るぞ。お行儀よくな」
「わんわん」
適当に返事を返すと、まるで苦虫でも噛み潰したような顔をされた。
「気持ちわりぃ」
「歯に衣着せないのは仙堂さん譲りかもしれないですね」
引き取られて十年だ、癖の一つ移っていてもおかしくはないだろう。
「馬鹿言え、俺ぁ目上の人間には基本的に従順だぜ。それこそ忠犬か、ってくらいになあ。わんわん」
「五十近いオッサンがそれは冗談じゃ済みませんよ」
「……おう」
なぜか軽く肩を落とした仙堂さんと一緒に、スライドして開いたドアから部屋の中へと足を踏み入れる。
中は、暗闇に包まれていた。
足元すらまともに見えない闇の中、仙堂さんと並んで立つと、周囲から低い機械の駆動音が聞こえてきた。
暗闇の中に、いくつもの光が灯る。
壁面に設置された複数のモニタに、人のシルエットが次々に映し出された。
『今日呼び出された理由は分かるかね、戦火朔第二等級魂装官』
「さあ……」
俺の適当な受け答えに、スピーカー越しにいくつかの舌うちが聞こえ、隣では仙堂さんが頭を抱えていた。
『……度重なる命令違反に、我々は危機感を覚えている。確かに君は希少な第二等級ではあるが、それは重要であると同時に、危険な存在でもあると理解したまえ』
平凡な魂装者ですら、常人からすべた超越的な力を振るう存在だ。
第二等級ともなれば、ひとたび暴れ出せば下手をすればサワリの出現などよりもよほど性質が悪い。
そんなことは、今さら言われるまでもなかった。
「はあ……それで?」
『……貴官に第一特務部隊への転属を命ずる』
「はあ!? あ、いや、お待ちを。聞いてませんぜ!」
堪えきれない、といった感じで仙堂さんが口を開いた。
内心、首を傾げる。
いきなり転属させられるなんてのは予想外だったが、そこまで過剰に焦る事だろうか。
やる事はかわらないだろうし。
……もしかしたら遥か遠方で活動する部隊とかなら、そもそも双界庁を辞めるつもりだが。
「第一特務って……そりゃ……」
『何か意見があるのであれば、後程正式に書面でよこしたまえ。仙堂上級三等魂装官。そこで検討の必要があるかを判断しよう』
明らかに検討する気のない返答だった。
「っ……!」
仙堂さんは悔しげに拳を握りしめていた。
「……話は以上ですか?」
『ああ。詳細は追って伝える。下がりたまえ』
ぶつん、とモニターの電源が一斉に落ちる。
特別大きな溜め息をついて、俺は部屋の出口へと向かった。
ドアが開き、きちんと照明の光で照らしだされた廊下に出ると、眩しさに目を細める。
「ああ、くそ。あの能無しのクソッタレども!」
突如、仙堂さんが壁に拳を叩きつけた。
「どうしたんですか、忠犬さん」
「……教えてやる。この後メシ付き合えや」
「はあ……奢ってくださいよ」
すかさず要求すると、仙堂さんは眉をひそめ、がりがりと頭を掻いた。
† † †
わざわざ双界庁から車で十分以上もかけたところにあるファミレスのに向かい、喫煙席に腰掛け煙草に火をつけたところで、仙堂さんは脱力した。
「あーあ……特務か」
「で、結局なんなんですか、その第一特務ってのは」
メニュー表を手に取り、軽く目を通す。
「俺も噂レベルでしか聞いちゃいねえんだがなあ……高ランクの魂装者が集められた部隊って話だ」
「それだけ? なら、特に問題は感じませんけど。むしろ妥当というか……あ、俺このサーロインステーキで」
「おいテメェちょっと遠慮しろや……チクショウ。こっちは心配してやってるのによぉ」
奢りで遠慮するのは馬鹿だと思う。
「心配する理由はなんですか?」
「……特務の任務ってのは公開されてねえんだよ。そもそも部隊に所属している人間の詳細すらまともに知られてない。けど……相当ヤバめの事をやらされてるって話だ。入れ替わりも、かなり激しいって聞くぜ」
「へえ……」
運ばれてきたお冷を、一気に飲み干す。
咽喉を冷たい感触が落ちて行くのが心地いい。
「なんだ、反応薄いな」
「危険と言われても、サワリと戦うのなんて元々危険じゃないですか。なので、今更か、というか……」
「それにしたって、って事だよ。交番で突っ立ってる警官と、凶悪犯を相手にする特殊部隊じゃ同じ警察官でも危険度は段違いだろうがよ」
しばらくメニューを睨んでいた仙堂さんも注文するものを決めたのか、呼び出しボタンを押す。
「どうでもいいです。実際行ってみて、問題起きるようならパパッと足洗いますし」
「足洗うって……そんな裏稼業みたいな言い方すんなよ」
「似た様なもんでしょ」
仙堂さんも肩を竦めるだけで答えないあたり、この仕事がまともじゃないって自覚はあるらしい。
やってきたウェイトレスに注文をする。
「ええと、このサーロインステーキと、こっちのパンケーキ頼むわ」
「オッサンが昼飯パンケーキって……」
「いいだろうがよ! ってかこれが一番安くて腹に溜まりそうなんだよ!」
俺たちのやりとりに、ウェイトレスが耐え切れない様子で小さな笑みをこぼした。
「仕方ない。ここは奢りますから好きなもの食べてくださいよ。俺のほうが稼ぎあるし」
「テメェ、実は俺の事大嫌いか……!?」
「まさかまさか」
魂装者の給与は、残念なことに等級が大きな基準なのだ。
† † †
後日、辞令も届き、転属の手続きはつつがなく完了した。
そして転属初日、俺は降り注ぐ初夏の日差しの下、重い足を引きずって歩いていた。
左手には少しばかり寂れた雰囲気の住宅地が広がり、右手には遥か彼方まで続くフェンス越しに、瓦礫の街が見えた。
十年前の大規模飽和流出で崩壊した地域だ。
復興しようにも、いまだに凄惨な夜の記憶が場所にこびりつき、非常に不安定な状態のために手が付けられない。
ようは、魂の澱が溜まっていて、他の場所よりもサワリが出現しやすくなっている。
魂の負荷に抵抗のない一般人が足を踏み入れれば、すぐに魂を圧迫され、良くて廃人だ。
悪ければ魂をそのまま砕かれ死ぬか、あるいは種火となってサワリに変質するか。
少なくともろくな結果にはならない。
「……それにしても、部隊専用に建物が一つ寮も兼用で用意されてるとは、随分とよさそうな環境じゃないか」
携帯端末を取り出して、ディスプレイに事前に贈られてきた地図を表示させ、フェンス越しの道を歩く。
「この辺りの筈なんだが……、というか、本当にこんなゴーストタウンの真ん中にあるのか?」
もしかしたら地図が間違えているのでは、とすら思えてくる。
廃棄区域に面する住宅地は、普通に入居できるのだが、その大半が空き家になっている。
当然だ。
誰が惨劇の起きた場所のすぐ隣で寝起きし生活したいと考える。
いわば、住宅地まるごとワケアリってことだ。
「ふむ……」
携帯端末を適当にひっくり返したりして、地図をいろんな方向から見てみるが、いまいちよく分からない。
いっそタクシーでも拾った方が早いかとも考えたが、こんなところをタクシーが通る可能性は限りなく低いだろう。
「とりあえずこのまま進んでみるか……」
溜め息を吐いて歩き出そうとした、その時だった。
「ふうん……あんたが戦火朔?」
「……?」
名前を呼ばれ、振り返ると、そこに俺と同い年くらいの女が立っていた。
長い黒髪に、少し吊り気味の目、微かに笑みを浮かべる唇……端正に整った顔立ちは、テレビで見る様なアイドルや女優などより、よほど上等に思えた。
少なくとも、間違いなく美人や美少女と呼ばれる類だろう。
白いシャツの上に水色のジャケット、それにプリーツスカートと、ラフな格好をしているが、それでも周囲から浮いて見えるのは、決して悪い印象によるものではない。
「……」
まあ、俺の知らない相手だったので、適当に聞こえない振りで歩き出した。
「ちょっと待ちなさい!」
慌てて、俺の前に走りこんで来る。
その身のこなしに、少しだけ目を細めた。
面倒くさい、と口の中で誰にも聞こえないくらいの声量で呟く。
「なに無視しようとしてるのよ、あんた」
「俺、宗教とかそういうのに興味ないんで」
「どっからどう見れば、私が宗教勧誘に見えるの!」
ちょっと軽口をたたいただけだというのに、常識はずれの敵意が降りかかってきた。
それこそ、いつ刺されるか、首を絞められるかという濃度の、もはや殺意といっても過言ではない気配だ。
やはり、こんな自然に殺意をまき散らす人間の知り合いなど覚えがない。
「そこそこ先を急いでるんで」
「だから逃げようとするんじゃないわよ!」
避けて通ろうとするが、素早く進路を遮られてしまう。
「……なんなんだ」
「恐ろしく迷惑そうな顔をするわね」
実際、心の底から面倒だと感じていた。
「こっちはあんたのせいで余計な手間を……、ってなにこっそり離れようとしてるのよ!」
「……」
ばれたか。
「っ、ああ、もう……! 本当にいい加減にしなさいよ! じゃないと力づくで連れて行く事になるから!」
言いながら、女は拳を握り込んだ。
俺の感覚が渦巻く力を感じ取る。
魂の力……魂装の気配を宿した拳が、迷いなく俺へと突き出された。
現実界の条理を越えた一撃を、俺は同じく魂の力を込めた手で軽く受け止める。
「危ないだろ」
「……へえ?」
どこか楽しげに、女の口角が持ち上がった。
ただでさえ濃かった殺意が、さらに深みを増していく。
魂装者であることは身のこなしや纏う気配から察していたが……、こんな街中なのに、いつ魂装を具現してもおかしくないと思えてしまうほどの暴虐を感じる。
当然、そんな事をすれば厳重注意などでは済まされない。
だが、そんな法が、果たして通用する相手だろうか?
植えた肉食獣、抜身の刀、そんな言葉がぴったりだった。
「同じ第二等級として興味があった。会ってみて気迫の無さに失望した。言葉をかわして苛立った。……そして、また少し興味が湧いたわ」
女の全身に、ゆっくりと魂の力が満ちて行く。
己の魂を核に、魂魄界から滲み出している魂の澱を燃料に、超常の力が生まれる。
本当に、具現する直前の段階だった。
よくもそんなギリギリのところで調整できるものだと感嘆してしまう。
しかも込められた力は、言葉に偽りなく、俺と同等、第二等級レベルのものだった。
「あなたは、どれくらいの力を持っているのかしら? 私と並び立つに相応しいの?」
「お前は一体なにを言っているんだ……」
呆れつつ、俺もやられっぱなしになるつもりはない。
相手に害意があるなら、当然抵抗の意思くらい示す。
合わせるように俺も魂の力を肉体に漲らせる。
まあ、正当防衛だろう。
「少し、試験をしてあげるわ!」
「……」
結局、言っていることを何一つ理解できないまま、力と力がぶつかった。
まずは肉体から溢れだした力が衝撃はとなってぶつかり、地面に罅を入れ、フェンスを激しく揺さぶった。
次いで、女が地面を蹴り、一瞬のうちに俺との距離を詰めると、鋭い蹴りを放ってくる。
迎え撃とうと拳を付き出した……その瞬間、そよ風が吹いた。
「――!?」
ゾワリ、と怖気が全身を駆け抜ける。
俺の拳が、女の脚が、空中でピクリとも動かなくなっていた。
気付けば俺達の間には、身長が俺の胸の高さくらいの少女が突っ立っている。
色の薄い亜麻色の髪は癖が強いのか、ところどこか跳ねている。
いつ現れたのか、全く認識できなかった。
「もう……お迎えをお願いしたのに遅いから、もしかして二次被害で二人とも迷子になったのかと思って心配して来てみれば……」
容姿とは似つかわしくない、凛とした透き通る声が響いた。
俺の頬を、一筋の汗が伝う。
俺たちの攻撃を止めたのは、この少女だ。
いいや、違う。
今まさにこの瞬間も、俺たちは少女の力に絡め取られていた。
あまりに高濃度の魂の力が、この空間を満たしている。
まるでアスファルトの中に埋め込まれたかのような気分だ。
「元気なのはいいけど、転属初日に問題を起こすのは感心しませんね……」
「……」
本気で、迷う。
全ての力を振り絞り、魂装を完全に具現させ、最大火力で抗うべきではないか、と。
その想いを留めているのは、たった一つの懸念。
――全力を出した所で、この少女に勝てるか?
暴力女を見てみれば、あちらもおおむね同じ気持ちなのか、顔にはびっしり冷や汗をかいている。
「こん、な……」
微かな声が、女の唇からこぼれた。
「こんな、こと……!」
「な、馬っ――!」
溢れ出す殺意に、何をしようとしているか気付き、咄嗟に止めようとしたが……。
「駄目ですよ」
それよりも早く、少女が背伸びをして女の方を掴み、押し付けるように地面に跪かせていた。
傍から見れば、年上に甘える少女にも見えるが……俺からすれば、性質の悪い冗談のような光景だった。
「――!?」
暴力女の目が、大きく見開かれた。
何をされたかも分からない、といった様子だ。
「元気なのはいいですけど、ほどほどにしてください」
何事も無かったかのように暴力女の肩を叩いた少女は、曇りのない笑顔を浮かべ、俺を振りかえった。
「さあ、あなたが迷子の戦火 朔さんでしょう。初日から遅刻とは、うちの隊の規律が緩いからいいものを、他の部隊では大丈夫だったのでしょうか? ……と、駄目だったからここに送られてきたのでしたね」
笑う顔こそ見かけ相応だが、俺は少しも安心できなかった。
それに、その身に纏う黒い外套は、双界庁の魂装者を証明するものでもあり……。
「部隊? まさかお前……」
「先輩をお前呼ばわりはないでしょう」
気付けば目の前に少女がいて、俺の額を人差し指で小突いていた。
その動きも、やはり見えない。
「まあ、そっちのほうが年上だし、私はちゃんと、さんを付けますが」
ウィンクを飛ばす姿に苦笑をこぼす。
「あ、自己紹介しないといけませんね。私は扶桑 朱莉です。朱莉でいいですよ」
「……そりゃご丁寧にどうも」
俺は、早くも後悔を感じ始めていた。
仙堂さんの警告に、もっとよく耳を傾けておくんだったと後悔する。
「ところで朱莉先輩。そろそろ力を収めてくれると、助かる」
「あ……すみません。お二人は第二等級でしたね。少し強すぎました……」
その言葉に含まれた意味合いを読めないほど、俺は鈍くはない。
お二人は、と朱莉先輩は言ったのだ。
つまり自分は違うと言う事。
俺達を押さえつけるような能力を持っている相手だ。まさか等級が下回っているわけもない。
最高等級、人間の形をした戦略兵器、魂魄の申し子と、様々な呼び方をされる、問答無用の規格外……第一等級に他ならなかった。
ようやく場を満たしていた高密度の力が霧散し、身体の自由を取り戻した俺の視界に映るのは、朗らかな笑みを浮かべる朱莉先輩と、その小さな身体を睨みつける恐ろしい形相の暴力女だった。
「さあ行きましょう。我らが隊舎へ」
ああ。嫌な予感しかしない。