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そして明日を壊す為、  作者: 新殿 翔
魂を明日へと結ぶ為、
19/79

魂を招く者

 千華が夕方のランニングを終えて隊舎に戻ると、居間には誰もいなかった。


 紡が夕食の準備を終える頃だろうとあたりをつけていた千華は、怪訝そうな表情を浮かべた。



「……まあ、いいか」



 空腹ではあるが食べなければ死ぬというほどではないし、最悪、適当に外食で済ませればいいだけのことだ、と千華は気にするのを止めて自分の部屋に戻ろうと踵を返した。


 すると、二階から人の気配がおりてくる。


 姿を見せたのは白髪をなびかせる真央だった。



「……」



 千華は努めて真央への興味などない風を装いながら、横をすれ違う。



「あの子、が……呼んでる……」

「え?」



 千華が振り返った時には、真央の姿は居間へと消えていた。



「……何を言ってるの?」



 眉をひそめ、二階へ上ろうとした千華だったが、その動きがぴたりと止まった。



「――……?」



 気持ちが悪かった。


 まるで全身に泥を浴びたかのような感覚に、僅かな困惑を示す。


 しかし、彼女はすぐにその感覚の正体に至った。


 魂魄界から溢れだす魂の澱だ。


 汚濁が、まるでしがみつくように千華へとまとわりつき、どこかへと引き寄せようとしていた。



「なに……?」



 感じ取った大きな魂の流れは、明らかに普通のものではなかった。



「……呼んでる、って、この事……?」



 魂の力を自身に巡らせ、汚濁を吹き飛ばすが、次から次に湧き出して、千華を引き寄せようとする。



「……うざったいわね」



 舌打ちをこぼし、千華は忌々しげな呟きをこぼした。


† † †


「愚か……あなたと、破壊の魂では……絶対に、相容れない……。そこまで盲目……なんてね」



 居間を抜けて庭に立った真央は、血の様な夕焼けを見つめ、笑う。



「破壊の魂の、糧と……なれ……」


† † †


 魂の流れに従い千華が辿り着いたのは、廃棄区域に隣接して存在する大きな墓地だった。


 大量の墓石が立ち並ぶ光景に、千華は鼻を鳴らした。


 そこにあるのがただの整形された石で、死者の魂など欠片も存在していないことを知っている。


 だから、そんなものに縋る人間が理解できない。


 不愉快そうな表情のまま、千華は視線を巡らせ、ある姿を見つけて僅かに目を見開いた。



「――……なんで」



 どうして自分と同じく、魂を感じる事が出来る彼女が、ただの石を前に手を合わせているのかが理解できない。


 天道家之墓、と刻まれた墓石の前に、紡はいた。


 あまりにも予想外だった。


 魂装者であれば、紡の行動を前に、誰もが同じことを思うだろう。


 なんて無駄な事をしているんだ、と。



「死者を悼む行為が、不思議に映りますか?」



 視線も向けずに、紡が口を開いた。



「そうですね……魂も残っていないのに、何をしているのだと……私自身、思います。こうして手を合わせ、心の中で語りかけ、さも死者が傍にいるかのように錯覚する……」

「馬鹿げている」



 千華は、なんのためらいもなく、無表情に断じた。


 今の世界において、死者は敵だ。


 死者の魂は魂魄界へと昇り、現実界で蓄積した全てを削ぎ落され、それらを澱として残す。


 死者の分だけ、魂魄界の負荷は増大し、世界の滅びが近づく。


 そして、いつしかこぼれ出した時にはサワリとなって猛威を振るう。


 そんな迷惑なものを悼む者など、今ではそうはいない。



「……もちろん、分かっています。愚かであることは。しかし、やはり私は、ここで兄様を感じたい。少しでも……幻でもいいから」

「なに、それ。本当に馬鹿じゃないの」



 唾でも吐き捨てるような態度の千華に、紡は苦笑をこぼした。



「もちろん、死んだ人間には二度と会えないというのが自然の理と、分かっています」



 紡が兄のことを大切に思っていたであろうことは、嫌でも伝わった。


 同情の念は覚えるし、憐れみもする。


 だが、それで、ならば仕方ない、慰めてやりたい……などと理解を示せるほど、千華の魂は丸くはない。



「なにを当たり前のことをわざわざ言っているの?」

「ええ、分かっているんです……分かっていますよ」

「……」



 繰り返される言葉に、千華は違和感を覚えた。


 じっと手を合わせていた紡の瞳が、ゆっくりと開かれる。


 その目は、ここではない、どこか遠くを見つめているように千華には感じられた。


 気付けば千華の掌は汗ばみ、一歩後ずさっていた。



「……なに?」



 自分で、自分の行動が理解できなかった。


 千華はさらに後ずさろうとする自身の足を、力づくで留める。



「いけませんね……気が逸っている」



 小さく首を横に振った紡が、千華に視線を向ける。


 見つめられ、改めて千華は、背筋に寒気を感じた。


 なにかがおかしい。


 だが、なにがおかしいのかを、はっきりと認識できない。



「自然の理とは、現世のもの。現世に生きる者全てに定められたものです。ですが、今この時代で、そんな理など曖昧なものだとは思いませんか?」

「なんの話よ……」

「魂魄界などというものに侵され、魂装者などという者が生まれる。今の世界に、自然の理などあってないようなものでしょう?」



 魂が現実を捻じ曲げる。


 そんなことは、本来あり得ないことなのだ。


 魂装の力を振るう者の一人として、その理不尽を千華は深く理解していた。


 だから、紡の言葉も、少しは理解できる。


 魂魄界と現実界のバランスは、確実に崩れ、悪化の一途をたどっている。



「だから、どうしたっていうわけ?」

「故に、私は思うのです。今ならば、あるいは……可能性は、ないわけではないのでしょうか」

「可能性……?」



 この場面では、その単語は嫌な予感をさせるばかりだった。


 一体なんの可能性だ、と千華が問い返す前に、紡は唇を開いた。


 彼女の目じりは僅かに下がり、声には喜色すら滲んでいる。



「魂魄界は、魂を運用する機能が欠損しています。魂から綺麗に剥がし消滅させるはずの経験や意思といったものの残骸を完全に消化することができず、溜まっていったそれらが溢れだし現実界へと溢れでしている。サワリも、魂装も、それら魂の澱をくみ上げて形としたもの」



 そんなことは、今さら説かれるほどのことではない。


 千華は紡がなにを考えているのかを窺うように、彼女のことを見つめた。


 いつもの変わらない柔和な微笑みが、やけに遠いものに感じる。



「私は、きっと人の願いが、魂魄界を壊したのだと思います。死にたくない、消えたくないという死者の願い。死なないで、消えないでという生者の願いが、魂魄界を壊したのではないでしょうか? 少なくとも私は、そう思います」



 それは、何の確証もない言葉だったが、仮に事実だとすれば皮肉な話だった。


 失いたくないという願いが、今のこの状況を生み出し、多くの者を不幸にしているということなのだから。



「だからこそ、私も、この願いは届くと信じている」



 紡が、まるで指揮者のように、ゆるやかに片手を振るう。


 瞬間、千華は全身の産毛が逆立つような緊張感に襲われた。


 まるで、地の底深くまで続く巨大な縦穴が目の前に広がったかのようだった。


 現実には存在しない空孔を、落下しそうになる。



「八束さんは私の魂装をご存知なかったですね。この機会に、ご説明いたしましょうか」



 空孔の中心にいるのは、他でもない紡だった。


 ようやく、千華は先程からずっと肌に触れていた違和感の正体に気付いた。


 気付けないのも、無理のない話だった。


 大海を泳ぐ魚が、少し海面が波立ったところで、気付くことができるだろうか?


 否だ。


 あまりに大きなものであるからこそ、小さなものにその変化が感じ取れないこともある。


 それと、全く同じだった。


 紡を中心に渦巻く流れは、あまりにも大規模すぎて、千華が認識できる領域を越えていたのだ。



「私の魂装は『御供夜叉』。魂魄界から魂の澱を汲み上げる。ただ、それだけのものです」

「それだけ、って……」



 忌み名を持つ第一等級の魂装というには、あまりにも貧弱な能力に聞こえた。


 だが、ただそれだけの能力が、第一等級と呼ばれるほどのものになれるわけがない。


 ならば紡の言葉以上のものがあるはずだと、そう確信した。


 そして、もう一度紡の言葉を噛み砕いて考える。


 魂の澱を汲み上げる、それがどんな意味を持つのかを。


 答えを出すのは簡単だった。


 魂装とは、魂装者の魂を火種として魂の澱を燃料に燃え上がらせる炎だ。


 その強さは火種の性能と、使える燃料の量に左右される。


 才覚のあるものはより大きな火種を抱え、より多くの燃料を注ぎ込むことができる。


 それが、もし自力以外にも、外部から燃料の供給があった場合、どうなるか。


 単純に、それだけ魂装は強化されることになる。



「随分と謙遜するじゃない。それ、魂装のブーストってこと?」



 そんな使い勝手のいい能力、聞いたことがない、と千華は頬を引き攣らせた。



「……」



 紡は否定しない。


 つまり、千華の考えが正答であるということだ。


 ならばと、千華は自分が感じた空孔がどんなものであるかも理解した。


 恐ろしいことだった。


 そんなことをしていいのかと、指摘をすることにすらも、勇気が必要なほどに。


 乾いた唇を、ゆっくりと開く。



「あなた……魂魄界を、漁っていうの?」



 魂の澱を汲みあげると言うことは、魂魄界へと干渉することだ。


 千華が感じた空孔とは、紡が魂装の力で穿った魂魄界への穴だ。


 紡はその穴から、魂魄界を見つめ、腕を伸ばして手探りで探しているのだ。


 無限に広がる海の底に沈んでしまった一粒の宝石を探すかのように。



「ふざけてる……」



 千華はようやく、自分が大海に生まれた巨大な渦に流されているのだと気付いた。


 その規格外の行為に対する、警戒と怖気は、一瞬で限界に達した。


 目の前にいる女が、死者の魂で泥遊びをする異形に見える。



「あなたは。本気で――」

「……」



 答えは、微笑で返された。



「兄様を見つけ出す。きっと魂魄界のどこかに、あの人は、きっとまだ消えずに存在している。そう信じている。残滓であろうとも、ほんの一欠けらであろうとも、天道啓の魂を、私は見つけ出す」

「そんなこと、本気で出来ると思ってるの!?」

「出来る、出来ないなど関係ありません」



 紡は微笑みは絶やさず、それでも強い力の籠った声を放つ。



「兄様のいない世界など、私にとって、なんの意味もない。兄様が傍にいないことになんて、耐えられない。だから私は……」

「死んだのよ! 諦めなさいよ!」



 ごくごく当然で、自然な言葉だった。


 死者の声に耳を傾けようとすることなど間違っている。


 千華は、迷いなくそう断じることができた。


 それが間違っていて、おぞましいことであることなど、誰にだって分かるのだから。


 そして、そんな道徳以前の問題を、千華は感じていた。


 千華も双子の姉を失っている。また言葉を交わせるのであれば、交わしたいとは思う。笑顔を取り戻せるのなら、当然取り戻したいとは思う。


 思う、までだ。


 仮にそれが可能だとしても、決して行いはしない。


 死してなお、こんなどうしようもない世界に呼び戻すことなど、あまりにも酷だと思うから。


 死してなお、魂の欠片を集めてつぎはぎの人形のようにするなど、あまりにも酷だと思うから。



「それ以上は、やめなさい。そんなふうに魂魄界をかき混ぜ続けていたら、なにが起こるか分からない……あんた、異常よ」

「……八束さんなら、あるいは、分かってくれるかと思っていたのですが」



 弓なりを描いていた紡の唇が、より角度を深くする。


 それにあわせて、徐々に魂魄界を穿っていた空孔が閉じていく。


 死者の気配が薄らぐが、千華は警戒を緩めない。


 鋭い視線は僅か足りとも紡から逸らされることはなかった。



「さあ、そろそろ戻りましょうか。すっかり遅くなってしまいました。皆さん、お腹を空かせているでしょうか?」



 何事もなかったかのように、心配そうな顔をする紡は、あまりにもいつも通り過ぎて、千華は思わず魂装を展開しそうになった。


 この女は壊れている。


 特務にいる誰よりも、はっきりと、明確に。


 殺さなくては。


 自然と、そう思い、行動しようとしていた。


 だが……。



「今夜も、腕によりをかけて作りますね」



 いつの間にか傍らに立っていた紡に肩を軽く叩かれただけで、具現しかけていた千華の魂装は消し飛ばされた。


 赤子の手をひねる、などという話ではない。


 吐息で蝋燭の火を貸すようなものだ。



「あんた……狂ってるわ」

「……ええ、そうかもしれません」



 不意にこぼれた千華の、偽らざる本音に、紡は束の間目を丸くして、すぐにおかしそうに笑った。



「私の醜態で、ご不快にさせてしまったでしょうか? でしたら、申し訳ありません」



 紡は侮蔑同然の言葉を投げかけられながらも、不快や不満など微塵も感じていない顔で、悪びれもしない謝罪を返す。



「残念ながら、これ以上お話をしても、八束さんに不愉快な思いをさせてしまうばかりのようですので、私は一足お先に、戻らせていただきますね」



 軽く頭を下げて、紡が歩きだす。


 千華の横をすれ違った刹那に、その唇が動く。



「もしも気が変わったら、兄様のついでに、八束さんのお姉様も探しますから、いつでも言ってください」

「っ……ふざけないで! 殺すわよ!」



 振り返り、歩き去っていく紡の背を睨みつける。



「私を、あんたみたいな馬鹿と一緒にするんじゃないわよ!」



 千華の怒声に反応することなく、紡はそのまま墓地を出て行く。


 彼女を見送った千華は舌打ちをこぼすと、天道家の墓石に目を向けた。



「どんな兄がいたら、あんな妹が育つのよ。一度顔が見てみたいわ」



 千華はひとりごちて、立ち上る線香の煙を忌々しげに見下ろすのだった。


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