おせっかい
空の彼方が少しずつ茜色に染まり始めた頃、なにか飲もうと居間に顔を出すと、紫峰と朱莉先輩が居た。
「よう、戦火」
「ああ……なにやってるんだ?」
「見りゃわかんだろ。テレビ見てんだよ」
答えに、俺は今のテレビに視線を移した。
どうやら魂魄界関係の事件をまとめた特集番組のようだ。
初老のコメンテーターが、この十年の異常性を振りかえり、サワリだけでなく、魂装者への警戒心なども口にしている。
『魂装などという得体の知れない力を振るう者への恐怖心はやはり大きいのです。政府はもっと厳重に魂装者を管理し――』
つらつらと語られる内容に、紫峰がにやにやと笑う。
「わかってねえよなあ。政府が管理って……どうやるってんだよ。力づく? 自衛隊でも出して制圧か? はっ、望むところだけどな」
現実界の物質は、魂魄界への影響力に乏しい。
それは絶対的な法則だ。
サワリにはミサイルを叩きこむより、魂装者が殴りかかった方が効果がある。
それは有名な話だ。
そして逆に、魂魄界に属するものは、十分な現実界への干渉力を持っている。
細かいことは俺も分からないが、現実界と魂魄界の関係性は、完全な上下に存在しているから、というのが有力らしい。
魂魄界が上位、現実界が下位……下位が上位に反抗することはできない。
そして魂装者とは下位世界に生まれながら、上位世界の法則を見に纏うイレギュラーだ。
仮に、紫峰が本気で政府に敵意を向き、それを止めようとする魂装者が一人としていなかったとする。
国家という形態など、数日持てばいいほうだろう。
「そもそも、下手をすれば魂装者の数の方が平常者を上回る日が来る可能性だってあるというのに」
辟易した様子で朱莉先輩が呟く。
現実世界と魂魄界との境界が曖昧になって十年、魂装者の数は年々増加傾向にある。
基本的に新しい魂装者というのは、新生児だ。
現状、既に新生児の五パーセントが魂装者の才能を持っている、と言われている。
さらに十年もすれば、ここまでの増加率からして二割を上回っても不思議ではない、というのだから、テレビで偉そうに語っている魂装者への警戒心を持っている人間からすればたまった話ではないだろう。
他にも、大規模飽和流出などで魂魄界の影響を過剰に受けた人間も、魂装者として覚醒する可能性はある。
そうなっても、やはり魂魄者嫌いの連中としてはたまったものではないだろうな。
なにせ、犬なんて大嫌い、と喚いていたやつが翌日にいきなり犬になるようなものだ。
「いずれ、魂装者でないことのほうが異常、なんて言われるのかもな」
呟いてから、思わず苦笑してしまった。
そうなるよりも、世界が滅ぶほうが先なんじゃないか――と思っても、口には出せない。
まずは魂魄界の崩壊の可能性が大きいだろう。
天道博士が唱えた双界概念の中にあった、魂の負荷増大による魂魄界の崩壊……今は負荷の一部がサワリとして現実界に溢れだし、魂装者が滅ぼすことで無色の魂に還元しているから負荷が溜まる速度も和らいでいるが……それは絶対的な治療法ではない。
今でも、緩やかに世界は滅びに向かっている。
さらに言えば、魂魄界側からだけでなく、現実界側からの崩壊もあり得る。
さっきも言ったように魂装者の数が増えた時……必ずその力を争いに使う人間が出てくる。
この状況ですら、人間同士で争っている国なんていくらでもあるし、細かい抗争まで上げれば掃いて捨てるほどあるだろう。
もしも魂装が一部にのみ許されたものではなく、銃器のようにある程度の人間に広まれば、魂装者を使った戦争、なんてものが起きることもあるだろう。
サワリがそうであるように……基本的に剥き出しの魂と言うのは他者を拒絶し、傷付ける。
一度、魂装者による争いが普通の事になってしまえば、あとは坂を転げ落ちるのと同じだ。
その時、魂装者はサワリなどよりよほど危険なものとなるだろう。
そういう点では、俺も魂装者を危険視する連中の気持ちは分からないでもない。
……とはいえ、そんなのは何十年、何百年も先の話だろうけど。
そんな自分が生きているかもわからない先の話より、今は目先の咽喉の渇きだ。
「おい、紡……あれ?」
厨房を覗きこむが、そこに紡の姿はなかった。
おかしいな、この時間なら夕食の準備を始めてると思ったんだが。
「そういや紡のやつ、こんな時間まで出歩いてるなんて珍しいな」
「そうですね。お姉様のおつかいで双界庁に出かけた後、一度戻って来たようですが、また出かけたようです」
紫峰と朱莉先輩の言葉を聞きながら、俺は仕方なく自分で飲み物の準備をしようとして、はたと気づく。
茶葉の場所も知らなければ、湯のみなんかもどこにあるか知らない。
探せばすぐに見つかるだろうとも思うが、正直、まだここま自分が暮らしている場所、という意識が薄い。
それなのに他人がいつも使っている厨房を探しまわるというのは、どことなく気まずいものがあった。
「……まあ、いいか」
咽喉の渇きを無視することにして、居間に戻る。
「んー……少し気になるかも」
すると、紫峰が聞こえるかどうかというくらいの声で言った。
「よーし、戦火。先輩からの命令だ。お前、紡のこと探してこいよ」
「は?」
あまりにも唐突な命令に、思わず立ち尽くす。
「七海さん……いくらなんでも、それは理不尽だと思います」
朱莉先輩はいいこと言うな。
そうだ。先輩だからって何でも命令していいというわけではないんだ。
「ここは私達も一緒に探しましょう」
「そういうことでもないだろ」
「え?」
「あ、いえ」
思わず口に出してしまった。
「まだ……あれから、そんなに時間も立っていませんからね。心配ですし、探しに行きましょう」
朱莉先輩の言った、あれから、というのがなんなのかは、察しがついた。
……天道啓が死んでから、か。
「めんどくせぇ……が、まあ紡にゃいつも世話になってるしな。たまにはこっちから世話焼いてやるのもいいか」
紫峰も口では気だるそうに言いながらも、あまり迷う素振りもなく立ちあがった。
……仕方ない。
もう俺一人がどうこう言っても、聞いて貰えなさそうだしな。
おとなしく従うしかないか。
† † †
朱莉先輩と紫峰、俺の三人はそれぞれ別の方向へ散って紡を探すことになった。
流石にここで手を抜けば、下手をしたら朱莉先輩と紫峰、化物二人を敵に回すことになりかねないので、仕方なく、そこそこ真面目に探し回る。
といっても俺は探偵でもないし、この辺りは人通りも少ない。
出来る事と言えば、足を使った地道な捜索くらいだ。
「あいつの行きそうな場所か……知らないな」
出会って間もないのだから、当然だった。
行きそうな場所というか、俺が紡について知っている事など、天道博士の子どもであるということと、兄を先日亡くしたということ、部隊では家事全般を請け負っているということくらいだ。
「……とりあえず、適当に歩き回ればいいか」
人気の薄い住宅地をあてもなく進んで行く。
「こうして歩くと……やっぱり正真正銘のゴーストタウンだな」
表札を下げていない家、花壇で雑草が好き放題に伸びている家、ガラスが割れたまま放置してある家……遠くない未来、この辺りも廃棄区域とさして変わらない光景に代わるんじゃないかと、そんな気すらしてくる。
「っ……おっ、と」
不意に、曲がり角から小さな影が飛び出してきて、俺にぶつかった。
ぶつかってきた方が逆によろめいて倒れそうになるのを、咄嗟に背中に腕を回して支える。
「大丈夫か?」
「……ぁ」
改めて俺はぶつかってきたものの正体を見つめた。
まだ小学校にあがろうかどうか、といった年頃の女の子だった。
手には小さな身体に不釣合いな大きめの買い物袋をさげており、いきなりのことに目を丸くしてこちらを眺めている。
かと思えば、すぐに怯えの混じった目をして、涙をにじませる。
「っ……だ、大丈夫か?」
もう一度聞き直して、俺は女の子を立たせると、少し強引に頭を撫でまわした。
子供に泣かれるなんて冗談じゃない。
さっさと適当にあやして別れよう。
「……ぅ」
だというのに、俺の思惑と正反対に、女の子の目尻に溜まる涙の滴は大きくなり、居間にもこぼれ落ちてしまいそうだった。
まだここが人気のない場所でよかった。
もしこんな所を他人に見られたら、警察を呼ばれたっておかしくない。
「悪かったな、前を見てなくて。痛かったか?」
自分でも分かるほど下手な作り笑いを浮かべつつ、下手に出つつ様子を窺う。
ふと、女の子の持っている買い物袋が気になった。
「一人でお使いか? 偉いな。俺がお前くらいの歳には、そんな利口なこと出来なかったぞ」
こんな歳の子どもに買い物させるとか親は正気かよ、と思わなくもないが、今はそんな倫理観は捨てて、これみよがしにほめたたえる。
その甲斐あってか、徐々に女の子の涙が引っ込み始める。
「これ……お兄ちゃんの、お手伝いなの。お兄ちゃん、いつもお家のことで、忙しそうだから」
「お、おお、そうか」
兄? 親じゃなくて?
というか、この辺りに住んでるのか?
……そりゃ、こんな立地だし、馬鹿みたいに家賃は安いだろうが。
複雑な家庭事情なのだろうか……と、俺が聞くことでもない。
「そうか。きっと帰ったら、お兄さんもたくさん褒めてくれるぞ。急がないとな」
「……うん」
小さな頷きが返ってくる頃には、すっかり女の子の涙は見る影を無くしていた。
買い物袋を両手で持つと、少し重そうに歩き出す。
その背中を見送ろうとして、ふらふらしているのを数秒眺め……溜め息を零した。
「家の前まで送るよ、お嬢さん」
「あっ……」
面倒だと思いながらも、女の子の手から買い袋を取り上げて、横に並ぶ。
いくらなんでもここで見て見ぬふりは、後味が悪すぎる。
「わ、わたし、の……」
「盗るわけじゃない。行く方向が同じだから、ついでだ、ついで。家はこの道でいいのか?」
「あ……うん、まっすぐ」
答えつつも、女の子はじっと俺の持つ買い物袋を見つめていた。
「……」
なんとも、申し訳なさそうな顔だ。
「……別にいいぞ」
「え?」
「家の前でこれはお前に帰すから。そしたら兄貴には、ここまで自分が持ってきた、って威張れ」
「で、でも……」
「いいんだって。その代わり、そうだな……この貸しはいつか別の形で返してくれ。お前もそれなら納得だろ?」
子どもに貸し借りなんてものが理解できるとは思えないし、そもそもすぐに忘れてしまうとは思うが……変に引きずられるよりはマシだ。
「でも……」
「でも、じゃない。いいな?」
「……うん」
渋々、といった感じで女の子が頷くのを見て、ため息交じりに頭をなでてやる。
「それでいいんだよ」
「……あ」
少し撫でたところで止めようとしたら、袖を引っ張られた。
「ん?」
「……あ、あの、もう、少し……」
「……兄貴にしてもらえ」
何か琴線に触れたのか?
いかにも面倒くさそうだぞ。
「お兄ちゃんは……お兄ちゃん、だから……お父さん、じゃない……」
こいつの父親がいくつかしらんが、俺は少なくともまだ子供を持つような年齢じゃない。
まあ、子供からすりゃ、大人なんて見分けがつかないのかもしれないが……。
……なんだ、この釈然としない気持ちは。まさか俺って老けて見えるのか?
「はあ……仕方ない。少しだけだ」
ここで断って、また泣かれても面倒だしな。
撫でるのを再開すると、女の子の口元に満足気な笑みが浮かんだ。
「……お父さんも、お母さんも、もう……会えないの」
ぽつり、といきなり語り始めた。
……だから、そういうのは止めてくれ。
辟易しつつも、ここで止めろと言うほど空気が読めない訳じゃない。
「会いたいよ……どうして、いなくなっちゃったの?」
ぼろぼろと、泊まった筈の涙が女の子の目尻からこぼれた。
結局泣いたし……。
いなくなる、が子供なりの未熟な表現なのは、流石に分かる。
つまり、こいつの親は既に死んでいる、ということだろう。
時期的に、もしかしたらこの間の大規模飽和流出に巻き込まれたのかも知れない。
「……人なんて、すぐいなくなるさ。不思議な事じゃないし……お前もそのうち慣れる」
気付けば、俺は淡々とした声でそう告げていた。
……いけないな。思わず、自分と重ねてしまった。
脳裏に浮かぶ業火が、俺の心から温もりを奪っていくようだった。
女の子は俺の言葉に、怯えた様子で肩を震わせる。
「お兄ちゃんも、いなくなるの?」
「そりゃ……」
口ごもった俺を、無垢な瞳が見上げていた。
なぜか、嘘を言う気が失せる。
「……そうだな。お前の兄貴も、いつかはいなくなるだろ。あるいは、お前が先かも知れないが」
「そうじゃなくて……」
「え?」
「お兄ちゃんの、こと……」
首を振った後、女の子は俺のことを指差した。
ああ、そっちのお兄ちゃんね。まぎらわしい。
「俺は……いなくならないな」
……あの人に恩を返すまでは、絶対に。
俺の答えに、女の子はころころと表情を変え、今度は笑顔になった。
「それなら、よかった」
「――……なんで?」
他人にその笑顔を向ける意味がわからない。
しかも、直前に自分が兄貴がいなくなってもおかしくない、とか失礼なことを言われているにも関わらずだ。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんと似てるから……それならきっと、お姉ちゃんもずっといてくれるね」
兄だけじゃなくて姉もいるのか?
……よく分からないが、兄より姉の方が大事ってことか?
報われないな、こいつの兄貴は。
「ま、姉貴だけじゃなく、兄貴のことも大事にしてやれ」
「うんっ」
満面の笑みだが、本当に分かっているのだろうか。
「ありがとう! なんだかお兄ちゃんと話してると、あたたかいね」
「――……そう、か」
なんだか、この子と話していると、妙に驚かされるな。
……あたかい?
……俺が?
誰かに、そう思ってもらえるのか……俺も。
それなら、少しは俺も変われた……のかな。
「あ、あそこだよ!」
女の子が行く手にあるぼろアパートを声を上げる。
「……へえ」
こんな地区で、その上あんなボロ屋か。
家賃はいくらだ? 月三万は切るだろうか……。
「それじゃあ、あとは一人で行けるな?」
「え、でも……」
「最初に言ったろ。約束だ。守れ」
一方的に告げ、買い物袋を女の子に押し付けようとして……ふと、気づいた。
買い物袋の中に、何枚かのメモ帳が入っている。
目を凝らして見れば、近くの商店街で見かけた事のある八百屋や肉屋の店名と連絡先、何かの金額と、ツケにしておきます、という一文が見えた。
こんな子供が一人で買い物なんて不思議だと思ったが……なんとなく予想できた。
忙しい兄の役に立ちたくて、買い物がどういうものかもまともに分からず商店街に出かけ、商店街の人たちがお節介を焼いた……という事か。
お人よしが多いんだな、この辺りは。
呆れつつ、俺は買い物袋の中からメモ帳を抜き取った。
「ほら。それじゃあな」
買い物袋を女の子に持たせ、踵を返すとさっさと歩き出す。
「あ、あの……」
「じゃあな」
相手の反応は待たない。
少しして背後から男の、どこに行っていたんだ、と怒鳴る声か、なんだこれ、と困惑する声が届いたが、俺は振り返らずに商店街へと向かった。
さて、まずは八百屋からか……。
俺は溜め息をついて、すっかり夕焼けに染まった空を見上げた。