異常出現
ビルの壁面に、ムカデのような形状をしたサワリが大剣に貫かれ、標本のように磔にされていた。
さらに鳥の頭を人間の頭蓋に差し替えたかのようなサワリが重なる様に叩きつけられ、跳びかかった千華の持つ戦斧が二匹を纏めて強打した。
その瞬間、磔にされていたビルが粉微塵に砕け散り、二体のサワリは無数の肉片となって辺りに飛び散った。
千華は瓦礫と肉片の中、回転しながら落ちて行く大剣を掴むと、刀身が赤熱化していることを確認すると、空に向かって思いきり振り回した。
灼熱の刃が空を翔けて、千華の頭上から降ってきた大輪の花に複数の目玉がついたサワリを真っ二つに焼き切った。
立たれたサワリは虹色の粒子となって、虚空へと溶けて行く。
「第二等級を三体、ほんの数十秒とは……凄いですね」
近くで大きな瓦礫に腰掛けていた朱莉が、気軽な賞賛の言葉を口にする。
千華は朱莉のことを一瞥すると、背に展開した四枚翼の魂装を解除した。
「あなたなら、何秒なわけ?」
「意地悪なことを言いますね」
苦笑する朱莉からは、答えが返ってくる気配がない。
「あなたは魂装を見せないの?」
「私は先輩ですし、後輩さんが危機に陥るいざって時まで、見守ろうかと」
「……やる気がないだけじゃないの」
真央に振られ、落ち込んでいた朱莉の姿を思い返し、千華は小さく呟いた。
自分より力を持っているくせに、どうしてそんなくだらない感情一つに振り回されているのか、理解ができなかった。
力があるならサワリを殺せ。
そう思わずにはいられない。
† † †
空に虹色の輝きが発生し、サワリの輪郭を形作っていく。
だが――具現化する前に、強大な圧力によって、光は押し潰された。
飛び散る魂の残骸を見送り、真央は視線を前へ向けた。
発生段階のサワリは、魂魄界と現実界の境界に存在している。
どっち付かずの場所にあるからこそ、干渉しずらい。
にも関わらず、そんな条理を無視したかのように真央はサワリになりかけの魂の澱を轢殺した。
魂装ではない。
自ら集めた魂の泥を、形にせずそのままぶつけただけだ。
例えるなら、握った砂をぶちまけるようなものだ。
普通であれば、そんなものは大した力はもたない。
だからこそ魂装者は握った砂を圧縮し、岩にして相手を殴りつける。
そこでようやく殺傷能力を得るのだ。
だが真央がそれをした場合、結果は違ってくる。
砂漠一つ分の砂が頭上から降ってくるようなものだ。
その質量は、常識的に考えれば受け止めきれるものではない。
流れに飲み込まれ、押し潰される。
真央がしているのは、そういう出鱈目だ。
「相変わらず反則」
状況を見守っていた七海が、あきれ返った声を漏らす。
見慣れた光景だが、いつまでたっても当然のように受け入れることはできなかった。
あまりにも、魂装者として、魂を扱う者としての才覚が違いすぎる。
一体どうしてこんなにも違うのか、理不尽を感じずにはいられない。
「……あなた達も、いつか出来る、かもしれない」
「いやあ……」
七海は頬を引き攣らせながらも、無理、とは言わなかった。
無理だと思っても、それを口にするのは敗北宣言だ。
あっさりと負けを認めて這いつくばるのは、七海の性分ではない。
努力して、努力して、それでも報われずに失意の内に滅ぶからこその悲劇なのだ。
故に七海が敗北を自ら認めることはない。
彼女にとって蹂躙されることも、無為に死んでいくことも、悲嘆の末であれば勝利なのだ。
敗北は唯一、悲劇を諦めた時のみ。
「にしても、聞いていいか?」
「なに?」
「どうして第二等級なんてこの部隊に入れたんだよ? 上の連中に押しつけられたとは聞いたけど、そんなの断ればよかったろ。別にすこしお前がゴネれば誰も強くは言えないだろうに」
気に食わなくとも、七海は千華や朔を嫌っているわけではない。
その上で、納得できないのだ。
第二等級なんて雑魚は必要ないだろう?
言外に、そう問いかける。
「……八束に関して言えば、破壊の魂が珍しかったから」
「破壊の、魂?」
反芻する七海に、真央は小さく頷く。
「憎悪、復讐……ありきたりだからこそ、純度は鈍りやすい。でも……彼女は、あそこまで……殺意を育てた。その価値は……とても大きい」
「……すまん、よく分からん」
眉間に皺を作った七海が頭を掻く。
「……いずれ、破壊を求めた魂を必要とする時が……来る、かもしれないって、こと。私や、紫峰、あるいは他のどんな魂でも壊せない何かを……破壊の魂なら、壊せることだって……あるかもしれない」
「あいつがお前より上だって言うのか?」
「そうは言わない……けど、向き、不向きの話」
話は終わりだ、とでも言いたげに、真央が歩きだす。
「ふうん……」
七海も、上手く話は理解できなかったが、真央なりに理由があるのだろうと納得することにした。
それだけの信頼は寄せている。
「あれ、でもそれなら、戦火はどうなんだよ?」
問いかけに、真央の肩が小さく揺れた。
白い髪に隠された口元に浮かぶのは、微かな笑みだ。
だが、七海はその変化に気付かない。
「……秘密」
「なんだ、それ」
真央の考えが読めず、七海は呆れた声で呟くのだった。
† † †
予定時刻になり俺と紡が廃棄区域の入り口に戻ると、既に他の特務の面々が集まっていた。
「少し遅かったですね」
「時間には遅れてないだろ」
朱莉先輩の言葉に適当な返しをして、ひっくり返っている車のバンパーに腰を下ろす。
「おいおい、随分疲れてるみてぇじゃねえか。だらしねえな」
「ああ、そうな」
紫峰の挑発じみた言葉にも構ってやる気に慣れず、溜息を零すと、視線が突き刺さる様に鋭くなる。
「まあまあ、皆さん。落ち着いてください。戦火さんは疲れていらっしゃるんです」
事情を知っている紡が俺の前に立ち、とりなしてくれる。
悪い、とは思うが、今はその行為に甘んじておこう。
本気で疲れた。
「……報告。遠季班……撃破数。第四等級二、第三等級四。……扶桑班……天道紡班……は?」
「はい、こっちは第三等級三だけでした」
……ああ、やっぱりそっちはそんなもんか。
いや、それが普通だよな。
いくら表面張力ギリギリの場所で馬鹿どもが暴れ回ったからって……あれは異常だ。
「天道紡班……第五等級二十一、第四等級八、第三等級八、第二等級三です」
紡の報告に、場が一瞬静まり返った。
「……は? いや、紡さん。今、なんて?」
朱莉先輩が、我が耳を疑い訊ね返してくる。
気持ちは分かる。
……あんなの、局所的な大規模飽和流出だ。
しかも例によって出現の前兆が掴めないせいで、精神的な疲労が大きい。
「ですから、第五等級二十一、第四等級八、第三等級八、第二等級三……と。戦火さんの魂装が対集団に向いた能力で助かりました」
「あー……。おい、戦火。お疲れ」
「……ああ」
さっきまで好戦的な目をしていたのに、すっかり同情的になった紫峰が俺の肩を叩いてくる。
なんだこいつ、意外といい奴か。
「……」
一人離れた場所に発っていた八束は、なにか険しい顔で俺の事を見ていた。
……あいつのことだ。
どうして自分のところに出てこなかったのか、自分が殺したかった……とでも考えているのだろう。
俺だって代われるものなら代わってやりたかったよ。
「つーか、なんだ。お前、運ないの?」
「知るか」
なんで紫峰はちょっと羨ましそうな顔してんだよ。
「不運とか、悲劇のヒロイン向きのステータスだよな」
「黙れ」
貰ってくれるなら貰ってくれ。
「……でも、いくらなんでもその量はおかしくないですか。どういう事でしょう?」
朱莉先輩が不思議そうに首を傾げ、遠季に視線を送る。
「……八束と紫峰の戦いの、影響……以外の問題が、起きたと見るのが……妥当」
「なるほど。具体的には?」
「……さあ」
分からないのかよ。
間の抜けた返答に、問いかけた朱莉先輩だけじゃなく、俺も拍子抜けで肩を落とす。
「上には、報告する……多分、継続して、調査……することに、なると思う」
「マジか」
紫峰が嫌そうに呻くが、俺も全く同じ気持ちだ。
マジか。
「もうこんなのは勘弁してくれ……」
「まあ、今日は本当に運が悪かっただけで、次はここまで偏らないかもしれませんよ」
「だといいけど……」
朱莉先輩の言葉を信じたいという思いと同時に、言えば言うほど願いが実現性を失っていく気がして、気持ちが沈む。
「んじゃ、しばらくは今日みたいに廃棄区域の散歩をすることになるのか」
サワリの出てくる散歩コースか……笑えないな。
「ええ。班分けも、現状維持でしょうか?」
朱莉先輩の問い掛けに、遠季が頷いた。
「……うん。もし、何か……戦火の元にサワリが偏る、理由があるなら……傍に居るのは、天道紡が一番」
「紡が一番、って……魂装が戦闘向きじゃない、ってのと関係してるのか?」
戦闘に向かないなら、後方支援など、ということだろう。
そういえば今日も、紡は一度も魂装を使っていなかったな。
よほど使い道が限定されているものなのだろうか。
「ああ、紡の魂装はちょっと厄介なんだよ。他の魂装より、魂魄界への影響がでけぇんだ・なんで、便利っちゃ便利なんだけど多用は出来ないって訳」
「申し訳ありません。もっとお役に立てればいいのですが……」
紫峰が説明すると、紡が申し訳なさそうに眉を曇らせた。
「……まあ、それなら仕方ないんじゃないか。いざと言う時に期待しておく」
「ふん、随分と紡には甘いことを言うのね」
「……なんだよ」
八束のやつ、いきなり食ってかかってきやがった。
「別に……」
「そんなにサワリにモテないのがご不満か?」
「……」
お前に何が分かる、って目をしてるな。
分かるさ。
一度は同じ道を通ったんだ。
自分の中にある黒い感情をなにかにぶつけていないと、自分が保てない。
八束の生き方は、そういうものだ。
「今日はもう終わりなのよね? それじゃあ、先に帰らせて貰うわ」
一方的に告げると、八束はさっさと歩き出してしまった。
その背を見送り、溜め息を吐く。
「ああならなくて、良かった……と思うべきかね」
あの人がいなければ、間違いなく俺も、あんな風だったろうけど。
……それも、感謝、だな。
「足並みを揃えられねぇやつだな」
多分八束も、紫峰にだけは言われたくないだろう。
「ま、いいや。さっさと帰って風呂入るかー。紡、付き合えよ」
「はい、分かりました」
……そういえば俺は、いつ大浴場を使えるのだろうか?