夜間巡回
その日の夜、特務部隊のメンバーは全員、居間に集められていた。
「……今日から、数日間……廃棄区域の警戒をする」
隊長である遠季から告げられた内容に、俺は思わず眉を寄せた。
「警戒って……見回りってことか? それは最初の話と違う気がするんだが……」
特に任務はない、と最初に説明を受けたのを思い出す。
それがきっかけで、八束だって問題を起こしたのだ。
……その事に関しては、今も納得したようには見えないが。
「仕方ないですよ……これは、尻拭いですし」
「なに?」
わけが分からず俺が首を傾げるが、朱莉先輩は納得いったと言わんばかりに手を合わせた。
「なるほど、そういうことですか」
「……説明をしてくれ」
コミュ障の遠季よりかは朱莉先輩のほうが分かりやすく説明してくれるだろうと当たりを付けて訊ねる。
「つまり、原因は八束さんと紫峰さんにあるってことです」
「は?」
「あ?」
二人揃って低い声を出すな。どんだけガラ悪いんだ。
「ああ……、昨日あれだけ暴れましたからね」
紡の言葉に、俺も理解した。
そういえば遠季も言ってたっけな……。
「魂装の展開は……魂魄界との境界に、余計な波を立てる……元々、廃棄区域は不安定。今は……それが、さらに」
つまり、いつなにが起きるか分からない、ということだ。
サワリの出現確率も格段に上がっているだろう。
普通ならこの部隊が動く事ではないのだろうが、なにせ原因が原因だ。
いくらなんでも無視とはいかないか。
「二人一組で、巡回してもらう」
……二人一組か。
巡回はともかく、そっちが引っ掛かった。
この部隊のやつをペアだなんて……出来れば紡以外は避けたいところだ。
「お姉様には私がご一緒します」
真っ先に、朱莉先輩が手を挙げてそんな立候補をした。
「……駄目」
「えっ」
相変わらずの淡々とした声で否定され、朱莉先輩が硬直する。
「お、お姉様……?」
「扶桑は、八束と」
「そ、そんな……」
出された指示に大きく肩を落とす朱莉先輩を、八束は呆れと苛立ちが半分ずつ混じったような半眼で見ていた。
「……私は、紫峰と」
「お、じゃあアタシの出番はなさそうだな」
遠季の指名に、紫峰はどこか気楽そうな表情になる。
「……怠けるのは、駄目」
「アタシより早く敵を見つけて、アタシより早く敵を倒すヤツと一緒で、どうしろってんだ」
「……怠惰」
紫峰の反論にも、遠季は表情一つ動かさなかった。
そんな姿を見ていると、今朝話している時に見た嘲笑が脳裏に蘇った。
……こいつの性格は、なんというか、掴み辛いな。
「ということは俺は……」
「私と、ですね」
紡の笑顔に、心底安堵した。
「よろしく頼む」
「こちらこそ」
この采配にだけは、遠季に本気で感謝した。
† † †
空に浮かぶ月は半分より少し顔を出し、地上を見下ろしていた。
俺と紡は黒い外套を羽織り、瓦礫の街を進んで行く。
「……それにしても」
改めて、紡の姿を確認する。
まだ会って二日目だというのに、既に着物のイメージがあって、外套を羽織っている姿に違和感のようなものを覚えていた。
「どうか、しましたか?」
「……いや、なんでもない」
視線を逸らし、廃棄区域を見回す。
「それにしても、遠季はああ言ってたが静かなもんだな」
サワリの出現どころか……肌に感じる空気はひどく静かだった。
漂う魂の残滓も緩やかに流れるだけで、とても波など感じない。
本当に昨夜の戦闘が環境に影響を及ぼしているのかと、疑いたくなるほどだ。
「嵐の前の静けさ、という言葉もございます。お気を付け下さい」
「それはそうだけどな……」
腕時計を確認すると、巡回の終了まであと三時間以上残っていた。
その間、ずっとこんな場所を歩きっぱなしなんて、気が滅入りそうだ。
「……ああ、噂をすれば、ですね」
「ん?」
紡の言葉に俺が振り返った瞬間……空の月に歪んだ虹色が重なった。
虚空に魂の輝きが集い、瞬く間に巨大な影を形成する。
「……!」
あまりにも唐突な出現だった。
魂魄界から魂の澱が流入する気配を感じる暇もない。
いわば、普通はダムの水門を開けてゆっくり水位を上げるものが、一瞬で成されたかのようなものだ。
地震の前には前震があるし、台風が生まれる前には大気の変化がある。
少なくとも俺の知る限り、サワリの出現とはそういった自然現象と同様のものであり、必ず予兆が存在する……はずなのだ。
謎の現象を追及する暇などなく、空で生まれたサワリがこちらへ落下してくる。
形状は四つの脚を持つ球体、とでも言えばいいのだろうか。
全身のあらゆる場所から鋭い牙を生やした異形が俺の目の前に着地し、衝撃で地面が砕けた。
感じる魂の濃度からして、階級は第三……高くても第二といったところだ。
この程度であれば問題は感じない。
同じ第二等級でも、サワリと魂装者では差が存在する。
基本的に、魂装者の第二等級とは、サワリの第二等級を倒せる者、という意味合いなのだ。
「戦火さん……」
「すぐ終わる」
紡は戦闘向きじゃないと言っていたし、俺がやるしかないだろう。
俺は自らの魂の形を、言霊に変えて響かせる。
「――滅びの塔を駆け昇れ、我は黄泉竈食ひの獣なり――」
高らかな詠唱は魂魄界へと干渉し、降り積もった魂の澱を救い上げる。
その泥で自らの魂を包み、塗り固め、輪郭を形成していく。
魂の残骸を外殻に、そして燃料にし、俺の魂が炎を生み出す。
腕を振るうと、視界一杯に紅蓮の炎が奔った。
業火は俺と紡だけを避けて、廃墟の街を包み込んでいく。
コンクリートも鋼も、何もかもが無差別に赤く溶け出す。
溶岩流の中心で、サワリが暴れ狂った。
既に生えていた脚四本は焼け落ち、本体の球体から生えた牙が苦しみを訴えるように激しく震えていた。
「……」
もう一度腕を振るう。
すると空に巨大な炎の塊が生まれた。
まるで小さな太陽のような灼熱の光が、サワリへと墜落する。
一瞬のうちに、サワリの輪郭は溶け、消滅した。
熱風が頬を撫で、次の瞬間世界を包み込んでいた炎は熱も残さずに消滅した。
残ったのは一度溶け、まだ赤みを残しながらも冷えて固まった地面と、奇妙なオブジェと化した建造物群だけだった。
「……?」
ふと、違和感を覚えた。
サワリとなった魂の澱は、倒す事で無色となって魂魄界へと還り、正常な魂の循環へと戻る……はずだ。
しかし、その気配がなかった。
気のせいか?
あるいは、まさか……まだ倒せていない?
いや馬鹿な。
浮かんだ考えを自分で否定する。
確かに手ごたえがあった。
あの強度のサワリなら、確実に始末できたはずだ。
そういえば出現した時もおかしかったし、廃棄区域という特別な環境下では、何かが違うのかもしれない。
「……なあ、紡。今のサワリに、何か思う所はあったか?」
「どうかしたのですか? 特に、気になる点はありませんでしたが……」
一応、訊ねてみる物の、帰ってきた答えはそんなもので、やはり俺の勘違いかなにかなのだろうか。
「それよりも、流石ですね。噂に違わぬ強力な魂装でした」
「やめてくれ。皮肉にしか聞こえない……」
苦笑すると、紡は少し目を丸くして、首を横に振った。
「そんなつもりは……」
「分かってる」
言葉を素直に受け取れない俺も悪いのだろう。
だが、第一等級の連中を見た後だとな……。
「それより、これで遠季の言葉が事実になったわけだ……一体倒したとはいえ、これで状況が落ち着くとも限らない。面倒だが、少しは真面目に巡回を続けるか」
「ふふっ、そうですね。頼りにしていますよ、戦火さん」
「まあ、せいぜい頑張るよ」
他愛もない会話をしながら、俺たちは先ほどよりは風通しのよくなった廃墟の街を歩き出した。