93 ヒーローは遅れて現れる
吉田が大食魔帝に叫ぶ。
「魔王軍の軍師殿とお見受けする!」
吉田に向かって多数の魔物が向かっていった。
大食魔帝が左手を上にあげると魔物たちは吉田に向かった動きをピタリと止めた。
「お前が大食魔帝だな?」
「くっくっく。まさしく」
仮に魔王に兵権を任されていたとしても普通の人間が魔王軍の参謀に就けるはずがない。だが今回の魔王軍の作戦は人間のように人間に詳しくないとあり得なかった。
だから吉田は魔王軍に与している人間はS級料理人試験で恐るべき強さを見せつけたという大食魔帝なのではないかと当たりをつけていた。
今その姿を見て大食魔帝と確信した。
大食魔帝は勝ち誇ったように吉田を見る。
「昨日ののろしはこの砦を助けるための赤獅子騎士団からの援軍の知らせだな。ダークエルフの足止めは効果がなかったようだが、この砦の援軍には一足遅かったな」
のろしが赤獅子騎士団の知らせというところは大食魔帝が正しかった。
本来、赤獅子騎士団が存在するゼルテア地方の東端に行くのに10日、赤獅子騎士団がここに来るのに10日ぐらいかかる。
西がハヤトとユミを風の精霊に乗せて行きの時間を1日に短縮したのだ。
しかし、どちらにしろ大食魔帝は砦を落とした。
そもそも大食魔帝がこの砦にこだわったのは、救世主が多くいることを知っていたからだ。
だが、勝ち誇ったような顔をしたのは吉田もだった。
「遅くはない。間に合った」
「なんだと? この砦を落とすのに魔王軍の数はそれほど減っていないぞ。砦が落ちた今、背後の心配をせずにゆっくりと王都を攻めることができる。赤獅子騎士団と戻ってきた神殿騎士団も各個撃破してやる」
「赤獅子騎士団も神殿騎士団もここに向かっていない。向かったのは暗黒樹海だ」
大食魔帝は薄ら笑った。
「くっくっく。なるほど。足止めされていたのはこちらのほうか」
吉田は大食魔帝が薄ら笑うのに焦りを感じた。
「お見事、お見事、君の名前を教えてくれないか?」
「適職『軍師』の吉田康一郎だ」
「なるほどなるほど。軍師の吉田くんか。くっくっく」
まさか……読みを外したのかと吉田は思う。
赤獅子騎士団が暗黒樹海に向かったということはそこにいるはずの敵の大将である魔王が狙われているということはわかっているはずだ。
それにもかかわらずこの余裕は……。
「学友を犠牲にして魔王を狙うとはな」
吉田はほっとする。どうやら魔王はやはり暗黒樹海にいるようだ。
過去のバーン史の研究によれば、魔王は本拠から動いていない。
吉田はこの状況がはじまった時から、新魔王の居城は暗黒樹海にあると読んでいた。
しかし、いくら勇者の清田でも魔族の大軍勢で来られたら圧殺されてしまう。
王都セビリダの民間人を守りながら、魔王城の守りを極力薄くし、清田と魔王の一対一の状況を作るには、この砦とそれを守るものを犠牲にする以外はなかったのだ。
「まあ、ワシにとっては勇者の命も貰いたいが、救世主たちの大半の命を奪えれば、なんの問題もない。特にあのハヤトとか言う小僧の命だ」
吉田は確信した。大食魔帝にとっては、魔王すら利用するだけの存在であり、命などどうでもいいのだろうと。
「君に教えてほしい。今ほど虐殺した人間どものなかにハヤトくんは入っているか? 魔物がぐちゃぐちゃにしてしまっているからワシにはわからん。はっはっは」
「悪いがこの砦には、救世主は俺しかいない」
「なんだと?」
大食魔帝の声音が変わる。
「いくつもあった支城の中からなぜこの城を選んだのか。それはこの城だけ王族しかしらない地下道があるからだ。昨日の夜に城の包囲の外に出ている」
アンドレとクラスメートは地下道からこの城を既に抜けだしていた。
「馬鹿な。城壁から落ちた人間を拷問してお前らの話は聞いている! 救世主たちがセビリダ防衛のために一分一秒でも時間を稼いでいると……」
「昨日の夜に逃がすまでアンドレって料理人のおっさん以外には話していないからな。最後は逃げることができると思ったらこんな砦は五日で落ちるからな。落ちたら死ぬと思っていたからここまで保ったのさ」
「ならば、なぜお前はここにいる」
大食魔帝がもうその理由に気が付き始めている。
「仲間を逃がすために俺だけが残ったのさ。イリース王室から拝借したこの白銀の鎧で城壁の上を走り回る俺の姿は最後まで目立っただろ?」
「糞ガキが死ね!」
大食魔帝の合図で、吉田に無数の魔物が殺到する。
機密、時間、犠牲を条件にした最初で最後の軍事作戦は上手くいった。
吉田は子どものころから戦記を読んでいた。
そして戦記のような世界の中で軍事作戦を立案するという妄想をばかりしていた。
後は清田が必ず魔王を倒してくれることだろう。大食魔帝を倒してくれるのはひょっとしたらハヤトかもしれない。
震えを隠して満足気に笑って目を閉じだ。作戦が成功した軍師は笑って死ぬものだ。怯えて死ぬなど似合わない。
◆◆◆
死を覚悟した吉田の体を魔物の牙や爪が、ずたずたに引き裂くはずだった。
だが、吉田はなぜかその痛みを感じない。確かになにかが肉を引き裂いた音がしたのに。
吉田は恐る恐る目を開けた。
厚い金属を着た騎士が、ハルバードで吉田に迫った魔物を蹴散らしていた。
「赤原?」
吉田の目に入ってきたのは赤原勝だった。
「ヒーローは遅れて現れる!」
吉田が唖然としていると、後ろからなにか温かいものを感じた。
「ハイヒール!」
砦の防衛戦で負った吉田の傷と失った体力がみるみる戻っていく。
佐藤が吉田の背中に回復魔法をかけていた。
「赤原、佐藤……なにがヒーローは遅れて現れるだよ……」
吉田はすぐにわかった。
仲間が守る砦が海のような魔物の大軍に攻められる姿を、隠れながらただ眺めることしかできないのは、赤原と佐藤にとって地獄のような苦しみだったことだろう。
そして赤原は昨日ののろしを見て、さらに今朝から吉田以外のクラスメートが城壁に立っていないことに、きっと気がついたのだ。
赤原が聖なるハルバートで魔物を蹴散らしながら叫ぶ。
「消えたクラスの連中を探していたら、秘密の地下道から出てきた時田、土屋、田中のトリオを見つけたのさ。アイツら敵だらけの場所でお前の名前を泣き喚きながら逃げてきたからすぐわかったぜ」
吉田の推測通りだった。佐藤も回復魔法を終わらせた。
「私と赤原くんは彼女たちに聞いた秘密の地下道を通って逆に砦にやってきたの」
「馬鹿野郎……なんで来た。お前らのせいで……俺だけが犠牲になって足止めする完璧な作戦が……台無しじゃねえか……」
口とは裏腹に吉田は歓喜の涙を隠せなかった。
「ハハハ。まっ。軍師様が童貞のまま死んじゃったら可哀想だからな」
赤原は笑ったが、その顔はすぐに動揺することになる。
「赤原くんだって、ちょっと前まで同じだったクセに……」
「バ、バカ! それは言わないって約束だろ!」
「知らなーい」
吉田が鼻水と涙を拭った。
「プレイボーイの赤原が童貞だったのか! そりゃ皆に話すまでは死ぬわけにはいかないな。ん? それを佐藤が知っているってことは……やっぱり……」
赤原と佐藤は真っ赤になる。佐藤が恥ずかしそうに言った。
「ごめん……ノリで言っちゃったけど皆には内緒にして……」
吉田が叫びながらイリース兵の剣を拾う。
「くそ! リア充爆発しろ! やっぱり生き延びてやる」
しかし、無数の魔物に囲まれている。あの大食魔帝もいるのだ。
「ハハハ。絶対に逃がさんぞ! ワシとしては殺せる救世主が二人増えただけのこと。死ね!」
その時、大食魔帝を中心とした魔物の集中する場所に、斜め上から、巨大な質量を持つ火柱が襲いかかる。
付近一帯にエコーする大音声を巨大なドラゴンが出した。
『今度はどう!?』
チキータだった。赤原はこの間に佐藤に目配せして、吉田を掴んでチキータのほうに走っていた。
チキータの吐いた業火付近の魔物は消し飛んでいたが、やはり大食魔帝だけはまったくダメージを受けていない。
「S級試験にいた竜人の……料理人か?」
吉田を掴んだ赤原と佐藤がチキータの背に飛び乗る。
「飛んでくれ。チキータ!」
チキータの一羽ばたきで嵐のような暴風が巻き起こって天高く舞い上がる。
その瞬間、吉田は睨みつける大食魔帝と目があった。
空を飛べる魔物もいる。襲ってくる魔物を赤原がハルバードで佐藤が光魔法で撃ち落とす。
だが、一度ドラゴンが滑空すれば、並の魔物には追いつけない。
赤原が大きく息を吐いた。
「ふ~あれが大食魔帝か。正直生まれて初めてビビったぜ。だけどチキータのおかげでなんとか撒けたな」
『ドラゴンの攻撃がなんともない人間がいるなんてショックだよ……』
S級料理試験で、赤原とチキータがチームになって、自分とハヤトと戦ったことを佐藤はよーく覚えていた。
攻められる砦を見ながら隠れている時に、佐藤の発案でセビリダからチキータを呼んできたのだ。佐藤が胸をはる。
「チキータさんはドラゴンになって空を飛べるから、逃げる時にきっと助けになってもらえるって私が呼んだんだ。吉田くんでも思いつかなかったのに、私結構凄くない? 軍師になれそうかな?」
二人とドラゴンは助けた吉田が喜んでくれるものと反応を待った。
吉田は黙り込んでいる。助かったのに険しい顔をしていた。
「ご、ごめん。冗談だよ。私はチキータさんが竜になって空を飛んだのも見たことがあったからで……」
佐藤が申し訳なさそうに言った。
だが、吉田の考えていることは「絶対に逃さない」と言っていた大食魔帝が、どうして俺たちを逃がしたのかということだった。
ドラゴンの背に乗って上昇する時、吉田は確かに大食魔帝と目があった。あの時、大食魔帝は本当に攻撃できなかったのだろうか。
理由はまったくの不明だが意図的に見逃されたとしか思えなかった。
9月29日に異世界料理バトルの3巻が発売されます!
是非、書店で手にとって見てください。
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