91 赤原と佐藤
馬車のなかで赤原と佐藤はボヤいていた。
赤原と佐藤のほかにも数人の男子生徒がいた。
「まったく王様の気まぐれには参ったよなあ。ウェアウルフが国境間近で軍事演習をしてるからライネル地方に駐屯にいけって言ってたのに」
「まあまあ。セビリダに近いところのほうがいいじゃない」
赤原と佐藤や救世主の多くが神殿騎士団とともに西方のライネル地方に駐屯しろという命令が下ったのは二日前のこと。
朝、出発して旅がはじまったかと思えば、神殿騎士団はそのままで救世主たちだけは王都セビリダに戻れという命令が来た。
佐藤は馬車に揺られながら笑った。
「前回のダークエルフの時も私たちは国境間近で駐屯したから大変だろうと思って免除してくれたんだよ」
「かもしれないな」
赤原はそう言って馬車から飛び降りた。
「ちょ、ちょっと赤原くん、どこにいくの?」
返事がない。
しばらくすると蹄の音をたてた馬が馬車に近づいてきた。
馬の上には赤原が乗っていた。
おそらく前後から救世主たちが乗る馬車集団を護衛していた神殿騎士から一頭拝借してきたんだろう。
「俺は馬車でチンタラ帰らずに先に馬で帰ってるぜ!」
「ちょっと赤原くん……」
いつものように赤原を止めようとした佐藤だったが、先にセビリダに単騎で帰るだけというならそれほど強く止める必要性も感じない。
どうせ目的地は一緒だ。
佐藤は呆れながらも真面目しか取り柄のないような私が、子供っぽい悪戯ばかりしているこの男が好きなんだろうと思うだけだった。
赤原は馬を操りながら、馬車に並走して佐藤に手をのばす。
「姫も私と一緒にいち早くセビリダに帰りませんか?」
いつもの佐藤だったら怒っただろう。
でもなぜか。この時、ふと赤原に手を伸ばしてしまった。赤原は軽々と馬車から佐藤を引っ張りあげて馬の背の自分の後ろに乗せた。
「お、おい。まさか本当に」
手を伸ばしてくるとは思わなかったぜ、と言おうとしたが、赤原は思い直して代わりに佐藤にだけ聞こえるようにつぶやいた。
「俺にしっかり掴まってるんだぜ」
「うん……」
赤原と佐藤を乗せた馬は風のように走り去っていった。
馬車に残っている男子生徒たちは頭を抱えた。
「アレがただイケって奴か?」
「いや、普通にカッコイイだろ」
「だな……」
赤原が奪った馬は駿馬だったようでセビリダ周辺に戻ってきた時には、馬車集団とは大きく距離が離れていた。
もうそろそろ夕方だ。
赤原は思う。さてあいつらが帰ってくるのは近隣の村に泊まってひょっとして明日かもしれないぞと。
自分たちだけが神殿寮に帰ったら大目玉を食らってしまうかもしれない。
もし一人なら……最良の手段は草葉で寝転んで朝になったら馬車の奴らとタイミングを合わせてこっそり一緒に神殿寮に戻ることだが、今は一人ではない。
背中には佐藤がいた。
「佐藤。そろそろセビリダに着くけど神殿寮に俺たちだけ帰るわけにもいかないと思うんだ」
「うん……」
「馬車で帰ってくる連中も近くの村で一泊してくると思うんだよな」
「うん……」
佐藤はさっきからうん……しか言わなくなっていた。
赤原は勇気を出して言ってみた。
「俺たちもさ。今日は神殿寮に帰らずにセビリダの宿にでも泊まって帰るか?」
「っ……」
さっきからうんとしか答えなかった佐藤もこれには逡巡があったようで返事が止まる。
しかし数秒後、赤原の背中から胸に回している腕と手がぎゅっとしまってから
「……。うん……」
というか細い声が聞こえてきた。
◆◆◆
赤原と佐藤が消えた日の深夜、ある場所に馬車が集まっていた。
そこは王都セビリダと暗黒樹海を結ぶ経路にそびえる砦だった。
経路には他にもいくつかの砦があるが、ともかくセビリダに一番近い砦に救世主とイリース中央軍が密かに集まっていた。
「なんだって?」
「演習じゃないの?」
「魔王が魔物を率いてセビリダに侵攻してくる?」
日本から転移してきた高校生も既に魔物相手の実戦は体験している。しかし、戦争は初めてだった。
元生徒の一人が言う。
「よ、吉田くんの間違いじゃないの?」
確かに吉田はイリース王と会議した時は、ごくわずかに別の可能性も考えていた。
しかし、会議した後にすぐに黒樹海に走らせた斥候から来た報告は、樹海のなかに数万以上の魔物が集まっているというものだった。
自分の考えは不幸にも正しかったのだ。吉田は気が重かった。
吉田は救世主と言われている彼らにはここで〝犠牲〟になって欲しいと言わなくてはならない。
吉田は最初、この場に赤原と佐藤がいないことを歯噛みした。
勇者の清田もいないし、西もハヤトもユミもいない。彼らはそれぞれ重要な特務についている。
だが、吉田の戦略構想ではこの場に赤原と佐藤がいるはずだった。
なぜなら今からこの砦は一分一秒でも魔王軍の攻撃を耐えて貰わねばならない。
壁役の赤原と回復役の佐藤は必要不可欠だったのだ。
吉田が二人のいなくなった理由を聞くと微笑ましい恋愛劇だった。
やはり実戦は思い通りにいかないものだなと実感していた。
でも赤原と佐藤はいないほうがよかったかもしれないと思い直した。
ここでクラスメートがもし全滅しても、あの二人ぐらい生きてほしい。
「皆、聞いてくれ!」
吉田は砦の中心広場に集まっていた元クラスメートに語った。
「急遽、魔王が魔物を集めて進軍の準備をしていることがわかった。場所はイリースの王都セビリダの喉元にある暗黒樹海だ。敵の兵数は魔物の軍隊がおそらく十万近い」
多少、敵の兵数は盛っている。
状況に飲まれて動揺の声が出ないうちに吉田は捲し立てた。
「砦の要塞化等の時間も必要なのであまり詳しい説明はできない。だから俺も含めてここにいる俺たち元2年B組の仲間と既に入っているイリース中央軍の精鋭の戦術的目的についてだけ話す」
吉田が真剣さや不自然な招集から考えても重大な任務が語られるに違いないと辺りがシンとなる。
「一分一秒でもこの砦を長く保つことだ」
「は、はぁ? 保つってそれだけか?」
土屋が吉田に聞いた。
土屋は男のようなしゃべり方をする少女だ。適職も格闘家という近接戦闘職である。
「そうだ!」
「それって保てなかったらどうなる?」
「死ぬ」
「だよな……」
広場は大喧騒になった。土屋が叫ぶ。
「待て待て! 皆、騒ぐな! 吉田! この砦は籠城して保つことができるのか?」
土屋の声の最後は震えていた。彼女は気がついていたのろう。
むしろ、かなりのも者が気づいている。
なぜなら吉田は既に一分一秒でも長く保つと言っているのだ。それは逆に言えば、つまり……。
「無理だ。この砦はどうやっても落ちる。十万近い魔王軍を防げる算段は一切ない。一分一秒でも長く戦って死ぬだけだ」
広場に重々しい空気が流れた。
「そんな防衛になにか意味があるのかよ?」
「ある! この砦は暗黒樹海から王都セビリダの経路上にある! この砦を落とさなければ魔王軍は後ろから襲われる恐れがあるためセビリダを攻撃できない!」
地球の過去の戦いでも進軍上の支城を落として行って、最後に本城を落とすのはそういう理由だ。
広場のクラスメートたちは段々話が見えてきた。
「つまり民間人だらけの王都を魔王軍十万に攻撃させないためにこの砦にひきつけろってことか?」
「そうだ」
「だけどこの砦が落ちたら結局、魔王軍は王都に向かうだろう」
「その頃にはイリースの諸侯の援軍が来る計算だ。赤獅子騎士団や西星騎士団がな。他国からも来るかもしれない。魔王軍がここに来るのはおそらく明日か明後日」
「明日か明後日!?」
「ああ、斥候の情報ではな。両騎士団がそれぞれの地方に向かっている神殿騎士団と合流して魔王軍の側面に突撃するのは早くても二十日」
「二十日……」
この砦の兵力は能力が突出した救世主たちがいても基本はイリース中央軍の精鋭五千だった。
残りのイリース中央軍二万五千は王都セビリダの防衛戦力だ。パニックを防ぐ目的もある。
吉田が今言っている計画では、その二万五千と王都の壁が魔王軍を防いでいる間に諸侯と神殿騎士団が側面から突撃する。
この砦はそのための時間稼ぎをするというものだった。
「選択肢は三つしかなかった。民間人がいないこの砦で戦かうか、民間人を殺しながら王都で戦うか、すべて放棄して逃げるか」
土屋が笑った。
「ははは! 俺たちが砦で戦うことによってセビリダの皆が一人でも多く助かるんだろ」
吉田は深く頷いた。
「それに吉田は必ず死ぬって言ってるけど必ず死ぬわけでもねーじゃんか。要はその援軍が来るまでこの砦が保てばいいんだろ?」
理屈上はその通りだが、ここにいる誰もがほとんど不可能だということがわかっている。
「選択の余地はないぜ。なあ皆?」
「あ、あぁ! やってやるぜ!」
「どうせ王都を守る戦いだって俺たちは前線で戦うんだ。なら子どもや年寄りみたいな足手まといがいないここで戦ったほうがいいぜ!」
「守り切るだけなら二十日ぐらいなんとかやってやるぜ」
9月29日に異世界料理バトルの3巻が発売されます!
是非、書店で手にとって見てください。
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