85 姫魔王と老執事
イリース国の王都セビリダを真っ直ぐ南下すると樹海が広がっている。
昼間でも日が当たらないそこは暗黒樹海と呼ばれる。人類に敵対的なダークエルフの小さな部族の支配地域でもあった。
だから暗黒樹海の中に小さな漆黒の城があることを人間はだれも知らないだろう。
城の食堂の大きなテーブルの前に小さな少女がちょこんと座っていた。両膝をつけ、手は膝の上に置き、背筋はピンと伸ばしている。少女はレンズ豆のスープの音を立てずに、スプーンを使って上品に飲んでいた。
それを見た老魔族のアッタモスは感動していた。
「魔王様、爺は感動しましたぞ」
少女はもちろん現魔王のブリリアントだった。
ハヤトたちからはリリーと呼ばれている。
以前のブリリアントのテーブルマナーは、それはそれは酷いものだった。
椅子の上にあぐらをかいて座り、手づかみで食べ、そしてボロボロと食べ物をこぼし、顔と服を汚し放題に汚した。
豆のスープなど飲ませた時など、城の広い食堂に響き渡るほどの音を立てて、「マズイ、マズイ」と言い続けた。マナー以前の問題であった。
魔族にとって、もっとも栄養価があって美味しい食材は人間の肝なので、豆は確かに美味しくはない。
「豆のスープを一言も文句を言わずに食べるなど爺は……爺は……」
ブリリアントがキッとアッタモスを睨み付ける!
「うるさーい! 豆など……。まあ、本当は肉が食いたいけど豆でも我慢するのじゃ」
老魔族のアッタモスは涙を流す。
「な、なんと……魔王様が豆のスープを弁護されるとは……」
「清田の馬鹿が言っておったのじゃ。豆でも作っている人は一生懸命作っておるのじゃ!」
言っていることは正しいが、魔王に説教をしたのは昔から魔王を倒す主戦力になっている適職の勇者だった。
ちなみにその勇者のテーブルマナーは褒められたものではない。
清田のテーブルマナーは完璧だが、他人にマナーを守らせるために口の中にものを入れて叫ぶ癖があった。
「な、なるほど。レンズ豆は魔族が作っているハズがないので、作っているのは人間でしょうが、そういう考えもありますか。清田様は立派な御仁なんでしょうね。」
「どこが立派なのじゃ! わらわに文句ばっかり言うんじゃ! 口にものを入れて叫ぶから、なんか飛んでくるんじゃ!」
老魔族のアッタモスもなんか飛ばしてくるのは流石にどうかと思ったが、やはり立派だと感心した。
あの我儘な魔王様をここまで、と。
「ハヤトの美味しい料理を食べてても、やれちゃんと座れ! やれ綺麗に食べろ! 他にも他にも!」
清田はアッタモスが言いたかったことをすべて言ってくれているようだ。
「キヨタは本当に腹が立つのじゃ!」
ブリリアントは魔族として人間を魅了する魔力も備えている。
だからどんな人間からも自然と甘やかされてしまうのだ。
それゆえにアッタモスも人間に対して安心しているところがある。
しかし、清田は別だ。勇者としての強力な魔法防御力がそれを許さない。
だからブリリアントは清田を前にすると調子が狂ってしまうのだ。ブリリアントは清田に聞いたことがある。
「いつもいつも文句ばっかりなのじゃ! キヨタはわらわのことが可愛くないのか!」
ブリリアントは魅了の魔力が全く効かないのかという意味のことを自分では言ったつもりだったが、無自覚な別の本音もあったのかもしれない。
「可愛いから言っているんじゃないか。女の子はお淑やかにするものだ。俺はハヤトたちのように甘やかさんぞ」
清田は堂々と言い放った。
「も、もう少し、優しくしてくれてもいいのじゃ!」
そんなやり取りがあったようで、アッタモスは清田不満をずっと聞かなければならなくなっている。
だが、アッタモスは知っている。もし本当に魔王が気に食わないなら名前すら出さない。もちろん言うことを聞くこともない。
話を聞けば、清田という人物はブリリアントのためを思って説教していることがアッタモスにも伝わった。
「魔王様」
「ん?」
「明日もハヤト様の店に遊びに行かれるのですか?」
「うん。行くぞ」
「私もご一緒してよろしいでしょうか?」
アッタモスはブリリアントと一緒にハヤトの店に行ったことは一度しかない。
親代わりのアッタモスはハヤトたちを善良な人間だと判断してブリリアントを任せていた。
いつも西がブリリアントだけを送り迎えしている。たまには自分も一緒に行くのは悪くないだろうとアッタモスは思った。
清田という人間に礼も言いたい。
「あ、えー。うーん。ダメじゃ」
「えええ? なんでダメなんですか? 爺も行きたい!」
意外にもアッサリ断られてしまった。
「ともかく明日はダメなんじゃ!」
「そ、そんなあ……」
数百歳生きている老魔族のアッタモスは凹み切った。
◆◆◆
「んじゃ、行ってくっからよ。お、おい! じーさんどうした?」
風の精霊の背にブリリアントを乗せた西が挨拶したのに、保護者のアッタモスはそっぽを向いていた。
「ほっとけばいいのじゃ」
「いいのかよ」
西はそう言いながらもなにか納得した顔で風の精霊をイリースのほうに飛ばした。
空を飛ぶ精霊の上で西が少しだけ笑った。
「お前、じーさんに言わなかったのか?」
「そーいうのは内緒にしたほうがいいとハヤトが教えてくれたのじゃ」
西の実力とともに風の精霊の速度が上がっている。すぐにセビリダの街が見えてきた。広場に風の精霊を着陸させる。
広場とハヤトの店は少し距離があるが、ある程度スペースがある場所でないと迷惑だからだ。
ブリリアントはすぐにハヤトの店に駆けだした。
「おい! 慌てるとあぶねーぞ!」
「早く準備しないと間に合わないのじゃ」
「本番は明日なんだからよ。それに準備はハヤトがやってくれるから走るなよ」
西がそう言ってもブリリアントは駆けるのを止めなかった。
「ニシはゆっくり歩いてこいなのじゃ」
昔は風の精霊を長く使役すると西は頭が痛くなっていたものだった。今はもうそのようなことはないが、やはりかなり疲れる。ゆっくり歩いて行くことにした。
ブリリアントが先にハヤトの店に辿り着いた。ドアベルを派手に鳴らして店に入る。
メイド服を来た黒髪の美少女がやってきた。
「リリーちゃん、いらっしゃい」
「ユミ、なんで全然準備してないんじゃ!」
「リリーちゃん。貸し切りにしたのは明日だよ。今日は普通のお客さんも来る平常営業だから」
「早くやらないと間に合わないのじゃ!」
ブリリアントがブーたれだす。
相手にしてやりたいが、ユミもハヤトも店の仕事が忙しい。
「そうは言っても……そうだ。清田くんが来てるんだった」
「げっ。清田が来ているのか?」
「うん。今日はもう訓練が終わったんだって。お店が終わるまで清田くんと遊んでて」
「しょうがないの~まあ準備は清田としておるのじゃ。アイツが言い出したことじゃしの」
「うんうん。それがいいよ」
ユミは清田の席にブリリアントを案内した。
「清田くん。リリーちゃんが来たから、お店が終わるまで遊んでもらっていい?」
「お! リリーか。わかった星川。いいぞ」
「キヨタ! 明日の準備をするんじゃ!」
「明日の準備!?」
清田はリリーの言っていることがすぐにはわからなかったようだ。
ブリリアントが地団駄を踏む。
「キヨタ―! お前が言い出したんじゃぞ!」
清田は手のひらを拳で叩いた。
「あっ!」
声を出してから思い出したように笑う。
「あーっはっは。すまんすまん。明日の準備だな。しかしハヤトの店も今日は普通に営業している。迷惑にならないように飾り付けを一緒に作っておこう」
「わかったのじゃ」
「飾り付けを実際に店に取り付けるのは営業が終わってからだ」
清田の提案に少女は満面の笑みで頷いた。




