76 戦いの結末
闘厨場は表の料理人の大歓声につつまれた。
ハヤトは勝ったわけではない。引き分けだ。
だがまるで裏を倒したかのような騒ぎようだった。
「S級料理人候補の少年が大食魔帝を討ち取ったぞ!」
「いや、勝ったわけじゃないだろ! だが……」
「あぁ。勝利したようなものだ!」
ハヤトの胴上げが起きそうな勢いだった。
大食魔帝は茫然と立ち尽くしていた。アイスティアがそれに近寄っていく。騎士も兜を脱ぎ捨ててそれに伴った。
その顔はルークだった。
ハヤトはそれを見てもなにも感じなかった。
まだ、頭では血のミスで負けると判断した寿司が、心では互角だと判断したことに、やっとほっとしている状況だった。
そもそもハヤトは『真料理バトル』のシステムがわかって大食魔帝と戦ったわけではない。
しかし、左手の甲の文字の意味がわからなくても、引き分けという判定になったのだと感じることができる。
システムがわからなくても、勝てば大食魔帝から解毒剤を要求できるし、負ければ殺されるか奴隷にされると感じる。
それが『真料理バトル』だった。
今はそう感じられなくなっている。
つまり戦いは終わったのだろう。
会場は盛り上がっていたが、ハヤトも大食魔帝も同じように立ち尽くしていた。
ハヤトの周りに人が集まってくる。
気づけば、左手の甲からは光が消え、代わりに傷ついた右手の甲がギルドのスタッフの回復魔法で淡く光っていた。
ユミが涙を流しながらハヤトになにか言っていた。
きっと心配させたんだろうな。
ハヤトはユミに大丈夫だと言おうとしたところで膝が笑い、彼女にもたれかかってしまった。
「大丈夫!? ハヤト!」
ユミ以外の料理人からも動揺の声が走る。
ハヤトは笑って首を振った。
「ああ、連日連夜の修行と手の出血と料理勝負で疲れただけだぜ。さてと」
ハヤトはユミから離れて大食魔帝のほうにふらつきながら歩いていった。
会場がまたシンとなる。
ハヤトが大食魔帝の前に立つ。
大食魔帝もハヤトに顔を向けた。
会場のすべての目が二人に集中した。
「……アンタの寿司、美味かったよ。おべっかを言うわけじゃない」
「お前の寿司もな、小僧……いや、ハヤトとか言ったか」
「解毒剤をよこせよ」
「ワシはお前に勝ったわけではないが、負けたわけではない。『能力』も失ったわけでもないぞ。解毒剤はやれんな」
「なんでだよ! アイツはお前に敵対なんてしねえよ! お前が損するわけでもないだろ! よこしやがれ!」
「裏の料理人を倒してワシのところまで来い! そして、万が一、お前が勝てば、渡してやろう!」
大食魔帝は踵を返して闘厨場の出口に向かった。
アイスティアもルークもそれについていく。
「アイスティア! そいつについていくんじゃねえ! 俺と来い!」
ハヤトの呼びかけにアイスティアは口を少し動かしたが、それは言葉にはならなかった。
三人は静かに出ていった。
会場が再び沸き立つ。
「ハヤトがいれば、大食魔帝恐れるにたらんぞ!」
「ああ。この話が広まれば、裏は求心力を失う」
「裏のギルドに対して反転攻勢に出れるかもしれんぞ」
ハヤトはそんな声を聞きながら、アイスティアを追おうとした。
「バカヤロー……ブラックアイスはどうするんだよ……待ち……やがれ……」
ハヤトは走ろうとするが、なぜか闘厨場の床がせり上がってきて壁のように立ちはだかる。
一生懸命、足を動かそうとするが、まったく前に進まない。
遠くのほうでユミが自分を呼ぶ声を、ハヤトは聞いた気がした。
◆◆◆
ハヤトが目を覚ますと白い大理石の部屋の大きなベッドに寝ていた。
「あれ? ここは神殿? 俺は確か……大食魔帝と戦って引き分けになって、どうなったんだっけ?」
上体を起こすと椅子に座ったユミがベッドの足のほうで突っ伏して寝ていた。
ハヤトはユミを起こして色々と状況を聞き出そうと思ったが、あまりに気持ちよさそうに寝ていたので止めた。
多分、闘厨場で疲れてぶっ倒れてしまったんだろうと理解する。右手の傷も治療されていた。
ハヤトはまたユミの顔を見る。少しよだれも垂れている。
ハヤトは笑いながらつぶやいた。
「ユミがチキータと一緒に作ってくれた朝飯は美味かったな~。ユミを助手にしていたら大食魔帝なんかケッチョンケッチョンのボッコボコにできてたのによ」
ハヤトの声が少し大きかったのかもしれない。ユミがガバッと飛び起きてハヤトを見る。
「よ、よう。起こしちゃったかな?」
「ハヤトー!」
「うわっ」
ハヤトはユミに伸し掛かられた。
「もう! 何度、心配させたら気が済むの!」
「悪い……ごめんな……」
神殿のおそらく病室の柔らかいベッドの上で、ハヤトは特別な柔らかさを持つ少女を全身で受け止める。
ハヤトはユミと同棲していながら、こうなったことはなかった。
究極の料理バカだったが、今はさすがにれも鳴りを潜める。
「ハヤト」
「ユミ」
自然と口と口の距離が接近して、接触した。
数秒そのままだったが、気恥ずかしさで離してしまう。
「ねっ、もういっかい。いい?」
「あ、あぁ」
「んっ……もっかい……」
心地良さが気恥ずかしさに勝るようになるのに時間はかからない。
その気恥ずかしさすらも心地良さに変わる。気がつけばユミはハヤトを強く抱きしめながらキスをしていた。
ハヤトの感触以外はなにも感じなくなっていた。
病室に迫る足音さえも。
「た、大変だ~! ユミがハヤトに人工呼吸をしているぞ! 佐藤を呼べ! 死ぬなハヤト!!!」
勇者の清田のバカでかい声が神殿中に響き渡る。
二人を知るクラスメートと神殿の職員は同時に思った。
それ人工呼吸じゃねえだろ、と。
ユミは真っ赤な顔でハヤトから跳ね退いて、急に恥ずかしくなり、シャツの袖で口元を拭いた。。
やはりハヤトとユミが一線を越えることはなかった。
本日二度目の更新をしました。
ここからしばらく日常編っていうかバーン世界の旅物になります。
3日おきぐらいの更新になると思いますが、これからも新作ともどもよろしくお願いします。