72 裏ギルドの超毒薬
大食魔帝の耳に鎧兜の騎士がなにやらささやく。
「ああ、君がビッテンくんか……」
「そうだ」
ビッテンは裏の料理人ギルドと戦ってきた表の料理人ギルドの旗手だ。
だが大食魔帝は呆れたように言った。
「チンピラ料理人の……」
「貴様っ!」
「くっくっく。そうであろう。料理人が暴力を以ってことを為そうなど」
大食魔帝の言葉はどこか信用させる力がある。
さらわれかけたハヤトですら信じそうになった。
だがビッテンは怯まなかった。
「お前ら裏の料理人ギルドが暴力を使わなかったとでも?」
「暴力で来られるからそれに対抗しているだけのこと。『真料理バトル』なら我らはいつでも受ける。いつでもな」
そう言って大食魔帝は笑った。
「ビッテンくん。構わんぞ。ここで『真料理バトル』をするか!?」
大食魔帝がビッテンに料理人対決を求める。
ハヤトのみならず、会場でそれを聞いていたほとんどの料理人は呆れたことだろう。
この期に及んで料理対決などしたところでなにになるのだろうか。
料理勝負でビッテンが勝ったところで大食魔帝が心を入れ替えるわけでもないだろうし、逆にビッテンが負けたところで大食魔帝や裏のギルドの排除を諦めるわけでもないだろう。
ところがハリーは真剣そのもので叫んだ。
「いけない! ビッテンさん、挑発にのせられないでください!」
前かがみになっていたビッテンはビクッとしてから止まった。
ビッテンは本気で料理対決などを受けようとしたのかとハヤトは思う。
「ハリー。このままこいつらを帰していいのか?」
「裏は大食魔帝が言ったように、なぜかいつでも料理対決を受けます。ここは堪えてください。もし貴方が負ければ……」
ビッテンとハリーの言っている意味が、ハヤトはサッパリわからない。
料理対決をすることになにか重大な意味があるのだろうか。
「ふふふ。ハリー、ビッテン。なんの用事もないならワシは帰らせてもらうぞ」
大食魔帝が踵を返して闘厨場を去ろうとする。
去りゆく姿を誰もが無言で見送る……と思った。
その瞬間、魔帝を取り囲むように空中にメイド服の少女が飛び上がった。
調理台を蹴ったのかもしれないが、その跳躍や滞空時間はただの日本人のハヤトには異常に思えた。
跳躍しながら、背を向けて、足が天、頭が下になっている。
「シルビアッ!!!」
ビッテンが叫んだ。
ハヤトはそのうちの大食魔帝の正面に跳躍した少女、シルビアをどこかで見たことがあった。
だが思い出す間もなく、シルビアは跳躍の頂点でなにかを光らせた。
そしてシルビアは着地した。
そのメイド服の少女をハヤトは思い出す。
ビッテンの高級店に呼ばれた時に給仕をしていた少女だ。
きっと先ほどの凄まじい動きでの跳躍で大食魔帝を攻撃したのだろう。
大食魔帝の足元に連続した金属音が響き渡った。
音の鋭いナイフが床に散らばっていた。
シルビアの顔が驚愕する。
ナイフを投げてシルビアが大食魔帝を攻撃したのかとハヤトが理解すると同時に、彼女は着地した地点から真後ろに吹っ飛んだ。
「えっ……?」
原因がわからずにハヤトが呆けた声をあげる。
先ほどの攻撃と違って今度はスローモーションにならない。すぐに調理器具が並べられた棚に彼女が〝着弾〟した轟音が響いた。
戦いにおいては素人のハヤトは死んだんじゃないかと思うが、シンとした会場にはうめき声が響いた。女性のうめき声が聞こえた。
大食魔帝が足元に散らばっているナイフの一本を軽く蹴った。
「ビッテンくんのメイドさんの料理はいささか不味いな。私のギルドでこんな不味い料理を出したらその場で死んでもらうことになっているが、彼女たちは私のギルドではない。腕の一本もぎ取るぐらいで許してやろう」
大食魔帝がシルビアのほうに悠然と歩いて行く。
ハヤトは大食魔帝に殴りかかろうとした。ブラックアイスの自害を止めたことで手のひらから流れる血もお構いなしだ。
その腕をチキータが止める。
「ハ、ハヤト。止めて」
「なんで止めるんだよ。腕をもぐとか言ってんだぞ!?」
「あの人、相当ヤバイよ……」
チキータのいうヤバイとは強いという意味だろう。
それは戦闘能力のないハヤトも感じていた。
「そうだ! チキータがドラゴンになったら、あんな爺一発じゃないのか? さすがにお前より強いってことはないだろ?」
ハヤトはチキータが巨大なドラゴンになった姿を何度か見ている。あんなバカでかい恐竜みてーのに人間が敵うわけないと思う。
「だよね……そのはずなんだけど……足が笑っちゃって……でもやってみるね」
チキータがマントを外して闘厨場でドラゴンに変身する。その大きさだけでいくつもの椅子や調理台が押しやられる。
しかし、大食魔帝は笑っていた。
「ほう。チキータくん。君は良き料理人だと思ったが、竜人だったのか。竜人はあまり料理などしないと聞いていたのにな。感心感心」
チキータはいつもの可愛い声だが、会場中にエコーするような大音声で言った。
『大食魔帝さん。死んじゃったら……ごめんね!』
ごめんねという言葉とともにチキータは牙が並ぶ大口から大食魔帝に業火を吐き出した。
ハヤトはやりすぎだと思った。日本にいたころに見た戦争のドキュメンタリー映像の火炎放射器の数倍凄い。
あちらはただ燃やすという炎だったが、チキータの吐いたそれは巨大な質量を持つ火柱だった。
死んだと思って目をつぶる。
ところがハヤトが恐る恐る目を開くと大食魔帝に触れようとする業火は勢いを急激に失って消えていく。
「う、嘘だろ……」
業火によるチキータの攻撃は数秒続いた。業火を吐ききるごろにはハヤトの素人目にも大食魔帝が攻撃を完全に防ぎきったのがわかった。
『ひょっとしてこうなるんじゃないかなあって思ったんだけど……実際やってみるまで信じられなかったよ……参ったなあ~……』
ドラゴンとしてのチキータの声が闘厨場に響き渡る。その声は明らかに怯えている。
「ははは。チキータくんには美味い料理を食わせてもらったからな。このぐらいでは怒らんよ」
『……』
チキータは人間の生まれたままの姿に戻って脱ぎ捨てたマントを羽織る。
「眼福眼福。私のギルドに来ないか? チキータくんなら大歓迎だよ」
「えっと……今は遠慮しときます」
会話自体はふざけあっているが、チキータの顔は蒼白だ。
大食魔帝が、再び倒れたシルビアに向かって悠々と歩き出す。
「ま、待て! 大食魔帝!」
ビッテンが止める。
確かにビッテンの体格は良いが、ドラゴンの吐き出す業火を物ともしない男を力ずくで止められるはずがない。
もちろん大食魔帝は余裕だった。
「待てとは? もしや『真料理バトル』をしていただけるのかな?」
ハリーが叫んだ。
「ビッテンさん、堪えてください! 八厨士たる我々が負ければ、世界が滅びるかもしれません!」
ハヤトが近くにいたチキータに聞く。
「いったい、どういうことなんだ、チキータ! シルビアさんって子を助けられるなら料理バトルなんか受ければいいと思ったが、世界が滅ぶ!? 八厨士ってなんだよ!?」
「わ、私だって、全然わからないよ。ハヤト」
大食魔帝が不気味に笑う。
「まあいい。お前が戦わないというのなら、そこの女の腕をもいでいくだけだ。ついでに……」
大食魔帝がハヤトの足元で震えているブラックアイスを冷たい目で見た。
「影よ。役立たずはいらぬ。死ね」
ハヤトは怒りに全身が総毛立つ。大食魔帝を睨みつけた。
だが大食魔帝はハヤトなど意に介さず、なにか小さな小瓶をブラックアイスに放った。
それは吸い込まれるように彼女の胸元の手の中に入った。
ハヤトがヤバイと思った時には遅かった。彼女は大食魔帝から受け取った小瓶を口につけて上を向いた。
「やめろ!」
ハヤトが叫んだと同時にブラックアイスは白目をむいて痙攣しはじめた。
「おい! 吐け!」
だがブラックアイスは既に血の混じった泡を吐いていた。
ユミがハヤトを押し退けて、ブラックアイスの胸に手を当てる。
「私の水魔法で解毒するわ」
ユミの適職、森の守り手は水魔法も使える。水魔法の系統には体内の水分を使って毒の排出を促す魔法があった。
ユミの手のひらが水色に輝く。
ところがブラックアイスの痙攣は止まらず、血を吐いた。
「お、おい! 効いてるのか?」
「な、なんで、どうして!? 解毒の魔法が全然効かないよ!」
大食魔帝が冷めたような声を出した。
「ワシのギルドの毒にそんな魔法が効くはずがあるまい。毒草、毒虫、毒茸を裏の料理技術で抽出、配合したものだぞ」
「な、なに!」
ハヤトは青い顔になる。大食魔帝は静かに言った。
「その毒は死ぬのだ。確実にな」
ユミはこの間も脂汗を浮かべながら解毒魔法をしている。
しかし、もちろん痙攣も吐血も止まらない。
大食魔帝は薄く笑いながら、その様子を見下ろしていた。
もうハヤトはなにも考えられずにブラックアイスの傍らに座り込んでいた。
つい昨日まで俺に料理を教えてくれた女の子が死んでしまう。
ところがブラックアイスが吐血しながら、か細い声を出す。
「ハ、ハヤト……」
ハヤトは這いずって、ブラックアイスの顔に自分の顔を近づける。
「バカ! なんで毒薬なんか飲んじまうんだよ……」
「私もこうやって姉妹を沢山……」
「うるせえ! やめろ! 喋るんじゃねえ!」
「牧場も……料理を教えたのも楽しかったよ……ありがとう」
「なに言ってんだ! 最後みたいなことを言うんじゃねえ!」
「ティア様をお願いね……」
ブラックアイスは笑顔を作った。それが最後に作る無理な笑顔であることは誰の目にも明らかだった。
ハヤトはブラックアイスにしがみついて名を叫ぼうとした。
だがブラックアイスという名はS級試験だけで使われた偽名で、彼女の本当の名前すらない。
ただブラックアイスの顔にしがみつき抱きしめる。今日ほど料理の無力さを味わったことはなかった。
ユミは効果がない解毒魔法をかけ続ける。
誰もが諦めかけていた。
その時、意外にも時田が力強い声を出した。
「どいて!」
「え?」
ハヤトとユミが時田に押し出される。
「時田! ユミの魔法を邪魔するんじゃねえ!!!」
ハヤトが涙声で怒鳴る。だが時田はどかなかった。
「できるかどうかわからないけど一つだけ効くかもしれない時魔術があるの!」
「え?」
「彼女の時を止めるの。そうすれば彼女の時は術を解かない限り、停止する」
「そんな時魔術があるのか!?」
時田はハヤトに応えずに術式に入った。
やり取りを見て大食魔帝は鼻で笑った。
裏のギルドには食材の発酵を進めるために文字通り死を賭けた訓練をしている時魔術士もいるが、完全な時間停止の魔術を成功させたものはいないのだ。
大食魔帝がビッテンの部下の少女たちの腕をもごうと踵を返した時だった。
ブラックアイスを中心に黄金の光の柱が立つ。そして、時田はブラックアイスの上に倒れこんだ。
「や、やった! 成功したみたい!」
ブラックアイスは無理に微笑んだ顔のまま、鼓動や呼吸による体の脈動一つなく、鋼鉄のように固まっていた。
時田も体にまったく力が入らないようで倒れたままで言った。
「時が止まったから、毒の進行もしないし、死ぬことはないよ。でも治せたわけじゃないから解毒の方法を……探さないと……」
ハヤトが時田に感謝する。
「時田、ありがとう! 助かったぜ!」
「まさか。完全なる時間停止の術が発動するとは……」
大食魔帝も驚いていたようだ。
突如、顔までベールに覆われていた大食魔帝の従者が跪いた。
兜で顔を覆う騎士もそれにならう。
「裏のギルドには解毒剤もあるはずです」
ベールに覆われた従者の声はやはり女だった。
「なにを言いたい?」
大食魔帝の声は抑揚のない冷たい声だった。
「影の料理は戦力です……ここで失うのは痛手かと……いえ、できるならば彼女を助けて欲しいのです」
大食魔帝が跪く女を蹴り上げる。その勢いでベールが外れた。
口の端を切った女の顔は時魔術で固まったように眠る少女に瓜二つだった。
「アイスティア……」
ハヤトは力なくつぶやいた。
大食魔帝はアイスティアを叱責していたが、ハヤトの耳にはなにを言っているかはもう聞こえなかった。
ハヤトは立ち上がり、アイスティアのほうにふらふらと歩くと、跪く彼女と同じ目線になって頼み込む。
「アイスティア……解毒剤があるのか? くれよ! ブラックアイスがヤバイんだ!」
ハヤトの必死の訴えにもアイスティアは苦しそうに顔を背けるだけだった。
解毒剤は大食魔帝が持っている。アイスティアが持っているわけではない。
だがアイスティアはそれを、ハヤトに伝えなかった。
それが彼女にとって、できる唯一のことだった。
大食魔帝は二人の必死な様子を見て、また邪悪な笑みを浮かべた。
「ビッテンくん。ここで『真料理バトル』というのはどうだろう? もし君が勝ったら解毒剤を進呈しようじゃないか」
それを聞いたハリーが叫ぶ。
「ダメだ! ビッテン!」
ビッテンが暗い声を出した。
「わかっている……敵を救う解毒剤で世界の命運が掛かっている八厨士の地位を賭けるわけにはいかない!」
ハリーはビッテンが冷静な判断をしたことで内心ホッとした。少女の命を救いたくないわけではない。
だが、そもそもブラックアイスを救おうとしたところで、力でも料理でも大食魔帝に勝てるものはこの場ではいないだろうとハリーは考えていた。
その時、ビッテンの巨体が吹っ飛んだ。
「ぐはっ!」
ハヤトのストレートがビッテンの顔面を捉えたのだ。
まさかハヤトに殴られるとは思わず、バランスを崩したのだろう。それともハヤトの怒りの力があまりにも激しかったのか。
ブラックアイスによって貫かれた右腕からは鮮血が滴り落ちている。
「な、なにをする、ハヤトくん」
「うるせえ! 世界の命運だ? 八厨士だ? ビッテンさん、アンタがそんな根性なしだとは思わなかったぜ」
ハヤトは大食魔帝のほうを向いた。
ハリーはまさかハヤトくんは大食魔帝に『真料理バトル』をしかけるつもりではないかと危惧した。
ビッテンですら大食魔帝に勝つ可能性はほぼない。
ましてハヤトの今の力では勝つ可能性はゼロだ。
それでもハリーは安心していた。
『真料理バトル』は、まさに神による〝神判の料理対決〟だ。料理人同士の心からの合意がなければ、勝負が成り立つことはない。
「大食魔帝、その『真料理バトル』とかいうのを俺とやれ! お前に勝って薬をもらう!」
ハヤトの叫びを聞くハリー。やはり予想通りかとハリーは思う。だが、八厨士でもなく、その地位を賭けられないハヤトの申し出を大食魔帝が受けるはずもない。
ところが大食魔帝は苦々しい顔をしながら言った。
「くっ……小僧めっ。いいだろう。『真料理バトル』、受けてやろう」
その瞬間、ハヤトと大食魔帝の左手の甲にはバーン世界の神代の言葉で〝対決〟という意味の言葉が光とともに浮かび上がった。
それを見たハリーは膝を地につけてガックリと首を垂れた。
「そんな……どうして大食魔帝は料理バトルを受けたんだ……?」
だが、疑問よりも重大な問題があった。
「そんなことよりも、問題は大食魔帝に『真料理バトル』を挑んでしまったことだ……ハヤトくんが大食魔帝と戦うのはまだ早い!」
いつも動じないハリーが床を拳で叩いた。
「もしハヤトくんが負ければ……命はない!」
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