70 大食魔帝現る!?
判定席には判定人のハリー、ビッテン、そして受験者でもあるハヤトが座っている。
S級料理人認定試験、Bリーグの決勝の判定が今まさにはじまろうとしていた。
そしてハリー、ビッテンが己の信念をもとに判定を告げた。
「私はブラックアイスさんです」
「俺はチキータだ」
会場がどよめく。ただ、それは特別大きいわけではなかった。
「ブラックアイスの料理は事前に十分に話を聞いた上でも想像を絶していたが……なんと言ってもブラックアイスは……」
「ビッテンの判定もわからなくはない。もちろんハリーの判定もわかるがの……」
見学に来ている各国の料理人ギルドの幹部達が判定の感想を言い合っていてもそれは予定調和とも言えるものだった。
ハリーは勝利者をブラックアイスとした。
チキータの和風朝食は幹部たちにとって初めて食べるものばかりであったが、素晴らしい料理であったことは認めている。
それでもブラックアイスの料理は次元が違っていた。
幹部達はハリーの判定は順当だろうと思っている。
一方で幹部達はビッテンが裏のギルドとの戦いの旗手であることをわかっている。
ビッテンなら勝利者をチキータとすることもあり得ると考えていた。
――しかし、どよめきは段々と大きくなっていった。
理由はハリーとビッテンが判定を告げても、ハヤトが一向に判定を告げなかったからだ。
ハヤトはなにも語らずに静かに座り続けている。
「ハヤトとか言ったか? なぜあの少年は判定を言わないのだ?」
「料理の味ならばブラックアイス、料理界の未来ならばチキータだろう。いずれにしてもなにを基準に判断するかという問題だ」
幹部達はしびれを切らしはじめる。
ハヤトは判定員でありながら他のことを考えているようだった。
隣に座っているハリーもハヤトを促した。
「ハヤトくん……判定を……」
なにも語らず静かに座っていたハヤトがハリーの顔を少し見る。
会場の誰もがやっと安心して勝利者が告げられるものと思っていた。
ところがハヤトはなにも語らずに判定席から立ち上がって、どこかに歩きはじめた。
「お、おい! お前どこに行く?」
ビッテンが慌ててハヤトに話しかけるが、ハヤトは無視して歩いて行く。
その先には対戦者の料理人であるマスクをした少女がいた。
「え? ハヤト」
ハヤトの行動を見たハリーは彼が勝利を伝えるためにブラックアイスの手を掲揚しに行ったのかと思った。
やはりハヤトくんは政治的判断でなくきっと料理の味で決めるだろう、と。
けれどもハヤトの顔は勝利者を祝福するにしては険しかった。さらにブラックアイスの側に近づいたのに横を向いていた。
「ハ、ハヤトどうした? 大丈夫なのか?」
ハヤトの険しい顔を間近で見たブラックアイスが心配そうに聞く。
少し離れたユミもチキータも表情で同じことを聞いていた。
「ああ。大丈夫だよ」
答えながら少しだけハヤトは笑顔を見せた。
「そ、そう。ならいいんだけど」
ブラックアイスとチキータやユミはハヤトを心配していたが、会場の関係者は心配よりも行動に疑問を感じていた。
進行役の試験官が言った。
「ハヤトカツラギ! 早く料理の判定を決めろ!」
「俺のなかで判定は決まっている。勝者は……」
会場が息を呑む。
とは言え、誰もがハヤトの口からブラックアイスという名が出ると思っていた。
ブラックアイスのそれほど料理は優れていた。
さらにいえば、ハヤトはわざわざブラックアイスの傍らに立ったのだ。
会場中が勝利はブラックアイスで確定と判断する。
ところが。
「勝者は………………チキータだ!」
判定を聞き漏らすまいとシンとしていた会場がひっくり返ったかのような喧騒に包まれる。
「な、どういうことだ?」
「いや、これでいいんだ。裏を勝たせるわけにはいかない……」
「馬鹿な! 料理の出来は間違いなくブラックアイスだ!」
喧騒の中、ブラックアイスは目を瞑って天を見上げる。
結果を受け入れているのか、その姿には感情は見られない。
反対にチキータとユミは意外な判定に顔を見合わせるが、すぐに喜びに変わった。
「やった! 勝ったよ! ユミちゃん、ありがとう!」
「う、うん! チキータさんが頑張ったからだよ!」
会場の喧騒は収まらない。
ハリーが判定席を立ち上がる。
ハヤトに判定の理由を聞くためだ。ハリーは納得がいかなかった。
ハヤトなら料理の味で判定すると思ったからだ。
「ハヤトくん! 判定の理由を教えてほしい!」
ハリーの大きな声は騒々しい会場のなかでもよく響く。
会場が静かになりはじめる。
その時、ハリーは気がついた。
ハヤトの隣にいるブラックアイスがいつの間にかマスクとフードを外して素の顔を晒していることに。
そして手に光るものが握られていることを。
包丁だった。それが彼女の喉元に勢いよく迫る。
「あ、しまっ……」
今際の光景を見たハリーの叫びもそれをどこかで予想しているものだった。
――――グサッ!
鮮血が飛び散る。だがそれはブラックアイスの喉からではなかった!
「……ハ、ハヤトくん!?」
ブラックアイスの包丁の光がまさに彼女の喉を一突きにしようとした時、ハヤトの手のひらが滑り込んでそれを止めた。
「り、理由っすか? ははは。こいつの料理からは思いつめた味がしたんですよね……だ、だからつらくてあんま食えなかったすよ」
ハリーの目が主人のいなくなった判定席に残された料理を見る。
ハリーのみならずブラックアイスの料理を目の前に出された者はそれを残すなどということは想像することすらできなかった。
だが、ハヤトの前に並べられたブラックアイスの料理はほとんど残されていた。
「ハ、ハヤト……お、お前……」
ブラックアイスが震えた声をだす。
包丁はハヤトの右の手のひらを貫いて赤い液体を流し続けていた。
「イテテテ。お前に関わると刃傷沙汰ばっかだぜ。ったくよ。ハハハ。ぐっ!」
ハヤトは包丁を左手で抜き取り投げ捨てた。
床に乾いた金属音が響く。
「選別とかなんとか聞いてたからな。裏のギルドの掟だかなんだか知らねえけど、あんまり思い詰めんなよ」
「ハ、ハヤトー!」
チキータとユミもハヤトに走り寄ってくる。
だがその前にハヤトはブラックアイスに抱きつかれて床に転がってしまった。ついでに頭も打ったし首も締まっているようだ。
「ぐええぇ……やめろってブラックアイス」
呆然自失としてしまったのはハリーだった。ビッテンが叫ぶ。
「受付に回復魔法ができる者が常駐しているはずだ。呼んでこい!」
シンとしていた会場がまた騒然としはじめた時だった。
―――フフフッ。クックク。
異様な声の笑いが会場に響き渡った。
闘厨場は大きい。ましては怒号が飛び交い始めた会場だ。含み笑いが会場の隅々まで聞こえることはないはずだった。
だが場の全員がギョッとして笑い声がした方向を見る。
見れば笑い声は先ほど料理に昂奮して椅子の肘掛けを壊してしまったオスマル国の料理人ギルド支部の長老から発せられていたようだった。
ハリーが話しかける。
「オ、オスマルの長老……どうされたんですか?」
オスマルは地球で言うならば中東に似た文化を持つ国でターバンを巻いている。
ハリーから呼びかけられても含み笑いは止まない。
どうして小さな含み笑いが巨大な施設に響きわたる力を持つのだろうか。
「クッキングドラゴンも落ちたものだ。ハヤトとかいう小僧のほうが料理の味がわかるとはな」
「な、なんですと?」
地獄の底から紡ぎだされるような声にハリーが圧倒される。
齢80を超える老人の顔には深い皺が刻まれていた。皺が深くなりすぎて眼窩すらもよく見えない。まるで太りすぎてたるんだ腹のように深い皺ができていた。
ハリーはその皺をいくらなんでもおかしいと思ったようだ。
「オ、オスマル支部の長老!? その顔は……いったい!?」
返答はなし。けれど皺は見る見る深くなっていくようだった。
ついに目も口も鼻も皺に埋没して見えなくなった頃、老人は顎にあった皺におもむろに手をかけた。
「な、なに!?」
老人が手にかけた皺を動かすとズルリと顔が剥がれていく。
いやそうではなかった。剥がれた顔の下から新しい顔が出てきたのだ。
ハリーは驚きで掠れた声を出した。
「ア、アナタは大食魔帝!?」