69 洋風 VS 和食
「まあ、そうは言ってもさ。納豆と鯵の干物じゃなあ。日本にいた時はよく食べてたしなあ」
時田はずっとハヤトに話し続けている。
しかし、ハヤトは時田の話をあまり聞いていない。対戦者二人とユミの調理が気になってしかたないのだ。
「難しい料理人試験って聞いたから凄い食材で作られた高級料理の数々が出てくるのかと思ってたんだけどな~」
時田のおしゃべりはお構い無しだ。
ハヤトは最初、ユミの気迫に驚いていた。
「それが朝ご飯、対決かあ」
ハヤトは最初、ユミの気迫に驚いていた。
けれど今はユミもいつの間にか料理があんなに上手くなったんだな、と感心している。
考えてみればガーランドさんがいるとはいえ、ずっと店を回してくれているのだ。
「ちょっと、葛城くん聞いてる?」
「……聞いてるよ」
もちろん聞いていない。
「もう! 今度は豪華料理の対決に呼んでよね」
「大丈夫だよ」
「へ?」
「そんじょそこらの豪華料理なんて目じゃないさ。味は保証付きだ」
そうは言っても朝食じゃんと時田の話はループしていたが、ユミを見るハヤトにはただのBGMになっていた。
◆◆◆
本日の審査に加わるビッテン、ハリーも闘厨場の観戦席から二人の対戦者を見ていた。
「今ハヤトの隣で話している少女はなにをしていたんだ?」
ビッテンがハリーに時田のことについて聞いた。
「さあ、わかりません……藁束に手をかざしていましたが。魔法を使ったんですかね?」
ハリーもわからない。
時魔法で時間を進め、食品の発酵を促すというのは裏ギルドの秘伝だ。
表ギルドの若き幹部である二人ですら知り得ない。
時魔法で食品の発酵を促すということ以前に、藁束のなかに存在する菌が煮た大豆の発酵を促すために地球では納豆菌と呼ばれていることなど思いもよらないだろう。
「材料や料理を条件とするのではなく、朝食という広いテーマがかえって難しいですね」
「ところでオマエ、今日は飯くったか?」
「いえ、まだ一食も食べていません」
「やっぱりか。俺もなんだ」
寝坊したハヤトと同じように、二人もやはり食事をとっていなかった。
「朝食対決ですもんね」
「そうだな」
裏のギルドとの全面対決が近いことを危惧する二人であったが、食を楽しむということにおいてはただの一料理人だった。
笑い合う二人。ところが突然、後ろのほうでガンッとなにかを叩く音がした。
二人が驚いて振り向くと観戦席に深々と腰をかけていた老料理人のほうに人が集まっていた。
「なんでしょう? アレは東方のオスマル国の料理人ギルドの長老のようですね」
オスマル国は地球で言えば、中東の国のような人で構成されている。
長老は頭にターバンを巻いていた。付き添いの顔をブルシャで隠した女性と鎧兜の騎士がなにやら慌ただしく長老に介添えしていた。
一人の美少女がビッテンに近づいて耳打ちした。少女はビッテンの店でハヤトとロウを接待したメイドだった。
ビッテンは軽く息を吐き、呆れたように言った。
「どうやらオスマルのギルドの長老が料理対決に興奮して肘掛けを叩き壊したらしい」
「なるほど。今日は各国の料理人ギルド支部の幹部が見に来ていますからね。興奮してしまう人もいるでしょう」
「年寄りが興奮しすぎだ……」
ビッテンはまた料理対決を見ようと前を向きなおろうとしたが、ハリーは後ろを向いたままだった。
「おい、ハリーどうした」
「いや、なにか……気になりまして……」
「ん? 爺さんが昂ぶっただけじゃないか。裏のブラックアイスのみならず、チキータまで不可解な調理をすれば興奮する奴もいるだろう」
「それはそうですが」
ビッテンはハリーを無視して調理を見ることにした。
◆◆◆
「調理それまで!」
試験官から調理の終了が告げられた。
各国の料理人ギルドの幹部や長老たちと試験官にブラックアイスの料理から配膳される。
「えええ~私の分はないの!」
ハヤトが座った判定席に時田の不満の声が聞こえてくる。
そりゃ当然だ。50人分の料理を作ることが条件になってる対決もあったが、なんで、対戦者の助手にまで料理が供されるんだとハヤトは思ったが、不満の声はおさまった。
どうやら料理は多めに作られているので、文句を言った彼女の分も配膳されたようだ。
「やったー! 綺麗~超美味しそう!」
結局、静かになることはなかった。
しかし、それも仕方ない。
パン、チーズ、ヨーグルト、サラダ、牛乳。
すべてが白で統一されている料理だった。
もちろんサラダには緑が入っているが、キャベツとセロリは切断面が広く見えるように切ってある。それによって白を演出していた。
その凄烈なまでの純白の輝きはなにを〝示して〟いたのだろうか。
ハヤトはそのなにかに気がついたのだが、だからといってそれをどうすることもできなかった。
ましてや他の料理人はただただ料理を食べているだけだった。
気がつけば会場は食器がわずかに鳴る音しかしていない。止まることのない時田のお喋りすら消失している。
観客席の料理人などは眼から涙を流すだけでなく、幼子のように鼻水が流れているのすら気がついていない。
ハヤトもバターと一緒にパンを一欠片食べてみた。
――えっ?
この料理は!?
ハヤトはブラックアイスを見た。彼女の顔は相変わらずマスクで隠れている。
わずかに下を向いていたから、彼女がどのような表情をしているか読み取ることはできなかった。
判定人のハリーやビッテンでさえも、ハヤトを含む数名を除いては誰もが目の前の純白の料理に夢中だった。
◆◆◆
ブラックアイスの料理の試食が終わる。
そしてもう一人の料理人であるチキータの料理が配膳された。
ご飯、鯵の干物、納豆、ほうれん草のおひたし、香の物、味噌汁……。
ハヤトは時田の話を聞いて予想をしていたが、ヨーロッパ風のイリースで完全な和風朝食が出てきた。
「ありがたいな」
思ったことがついハヤトの口から出てしまう。
しかし、会場はこの料理をどう食べればいいんだという声にあふれていた。
助手をしていたユミが少しだけつかえながら説明をしている。
「こ、この粒状のものは大豆を発行させた納豆と言います。これを醤油と一緒にかき混ぜます」
皆、手を止めていたが、観客席の幹部の一人が納豆をかき回してズッと食べた。
「美味い……が、少しだけ味が濃いな……匂いは慣れればなんとかなりそうだが……」
「こ、これはご飯にかけて一緒に食べるものなんです」
ユミが納豆をかき混ぜてご飯にかけることを実演するとビッテンが笑い始めた。
ハヤトがビッテンのほうを見ると、隣にいたハリーも微笑んでいた。
「なるほどな。この一連の料理は味付けをしていないご飯を濃い目の味のおかずで味付けして食べる料理なのか」
「は、はい。そ、そうです」
流石にバーンの一流料理人の二人だった。日本の〝ご飯〟の本質を一瞬で見抜いた。
ハヤトは安心してチキータとユミが作った料理を口にした。
「美味い……」
米や味噌汁はハヤトが自分の店で出しているものだった。
つまり米の精米や味噌作りは料理狂と言ってもいいハヤトが心血を注いで再現したものだ。
しかし、味噌汁の中に入っている豆腐や納豆もイリースでは作らなければならない。
もちろん鯵の天日干しや大根の糠漬けなどもない。
これらは本日、時魔術師の時田の魔法が使用されているが、チキータとユミが協力して作ったものに違いなかった。
「そう言えば、ブラックアイスから料理の技術を学んでいる時にチキータはユミと俺の店に立っていたな」
ユミは食べることは好きな女の子だったが、日本にいた時はそれほど料理をしていたわけではない。
もちろん豆腐や納豆の作り方の知識は、おぼろげながらしかないはずだった。
ハヤトは夕食時に豆腐や納豆の作り方を軽く話した記憶はあるが、そこからの再現は困難だったはずだ。
仮に豆腐ができたとしてもそれが食材として〝正しい〟かどうかはバーン世界の竜人であるチキータには完全にはわからない。
他の豆腐を食べて比較することはできないのだ。
ユミのおぼろげな知識を元にチキータという天才料理人が再現した結果がこの料理だった。
「美味い豆腐だ。豆腐の味は水で決まるからバーンの水が良いのかもな。鯵の干物も納豆も……大根の糠漬けも……」
しかし、それでも真に最高のものではなかったかもしれない。
本場の日本の高級豆腐は名人と言われる人が専門に作っている。
チキータが作った他の食材や料理もしかりだった。
それに比べてブラックアイスの料理は超絶料理人が知り尽くした食材で作ったものだ。
先ほど口にしたパンとバター一つとっても完全なる焼きたてのパンと作りたてのバターだった。
パンの香りは焼きたてのものに限るし、バターの油脂は酸化しやすいため作りたてに限る。
どちらの食材も真価を十分に発揮している。
実際にブラックアイスの料理のように会場が静まり返るということもなく、料理人たちはチキータの料理の食べ方について話しながら食べていた。
時田も感嘆の声も聞こえた。
「やっぱり朝ご飯は和食に限るよね~染みるわ~。ぐすっ……あれ?」
ブラックアイスの料理のように食べることに没頭し過ぎて会場が静寂に支配されるということもない。
チキータの料理も超絶であることはハヤトの目から流れる熱いものが語っていた。
「どうしたハヤトくん?」
ハヤトはハリーに心配されて声をかけられる。
S級料理人認定試験Bリーグ決勝。チキータとブラックアイス。
二人の超絶料理人の裁きの時はすぐ迫っていた。