66 名前の無い少女
今日も今日とて異世界料理バトルはなろうっぽくない話になっております><
これからのために感想とかあると嬉しいかもです。
ハヤトはわけがわからない。
ブラックアイスの目からは、涙がボロボロと零れていた。
色々と質問をしたかったが、目の前の光景を見るとなにも言えなかった。
「このラーメンの味で、アイスティア様のお前への気持ちがわかったよ」
ブラックアイスの言葉をハヤトはただ黙って聞いていた。
「包丁技からやるぞ」
「え?」
「さっきも言っただろう。お前に技を教える」
「わ、技を教えるって……」
ブラックアイスがカウンターの中に入ってくる。
包丁を取ってハヤトに手渡した。
「さあ、まな板で野菜を切れ」
「あ、あぁ……」
包丁を受け取ったハヤトは気圧されて、言われた通りにまな板で野菜を切りはじめる。
「これでいいのか?」
「全然ダメだ……」
ブラックアイスがハヤトの真後ろに立つ。
ハヤトの背中と腕、いや体全体に温かいものが触れた。
「え? えぇっ?」
「あまり時間がない。包丁はこうだ」
野菜を押さえているハヤトの左手にはブラックアイスの左手が添えられ、包丁を持つ右手には彼女の右手が添えられた。
「お、おい。ちょっ、ちょっと!」
「力を抜いて、私の動きに合わせろ」
ブラックアイスはそう言うとハヤトの指の上から包丁を握って野菜を切りはじめた。
「もう少し力を抜いてくれ。教えにくいぞ」
「こ、この切り方は!?」
ブラックアイスの野菜の切り方は、なんと伝統的な和食の切り方に近かった。
イリースは国民が示すように西洋風の切り方だ。
彼女も闘厨場では見せていない切り方だった。
そして異常に速く正確だった。
「すげえ」
「ふふ。お前がいるから切り難くてしょうがない。こんなもんじゃないぞ」
カットされた野菜が次々に小山を作っていく。それは異常なほど均一だった。
「野菜は均一に切らねばならない。火の通りが均一でなくなるからだ」
それぐらいの理論はハヤトもわかっていたし、均一に切ろうと今までもしていた。
だが目の前の野菜を見ると本当に理解していたのかと思う。
「お前も合わせて少しずつ動いてみろ」
「あ、あぁ」
ハヤトもブラックアイスに合わせて動いてみる。
「どうだ?」
「まあ最初はこんなもんだ」
「ダメってことかよ」
「しばらくは自分で動こうとするよりも私と呼吸をあわせることを優先してみろ」
「わかった、やってみる」
ハヤトはもう一度力を抜いて彼女の体温や息遣いを感じてみる。それに逆らわずに合わせることに集中した。
すると自分でも信じられないような動きでハヤトは野菜を切ることができた。
「うん。なかなかだ。覚えは悪くないな」
「すげえ。これが野菜を切るってことなんだな」
「まだまだだよ。でも今からは徐々に私のほうが力を抜いてみるから自分でやってみろ」
「わかった」
ハヤトはブラックアイスの動きを思い出しながら、それをトレースしていく。
少しずれたなと思うと彼女がなにも言わずにそっと正しい動きに修正してくれる。
「うん。いいぞ。段々よくなってる」
「ああ、動きに大分慣れてきたよ」
ハヤトは調子に乗って野菜を切りまくる。
ブラックアイスが笑い出した。
「こら! そんなにスピードを上げなくていいぞ。ふふふ」
「いや、面白くってさ」
そう言うとブラックアイスは急に笑いを止めた。
重々しい気配が伝わってくる。
「ど、どうした?」
「私も調子に乗ってこうしてアイスティア様から……怒られたことを思い出したよ」
悲しそうな、切なそうな声だった。
ハヤトは段々と目の前の人物が、アイスティとは別人であるということを受け入れはじめていた。
思い出すと料理の味が似ているようでわずかに違ったり、話が噛み合うようで噛み合わなかったこともあったし、体が接触しても殴られるということもなかった。
ハヤトは包丁を置いた。
「なんで止めるんだ」
ハヤトは体をブラックアイスのほうに向き直る。
距離はまったくなかった。
「な、なんだ?」
今まで料理の技のためとはいえ、自分からハヤトに抱きついていたブラックアイスが後ろに退ろうとする。
ハヤトは自分でも意識せず、彼女を抱き止めてしまった。
「ハヤト……」
ブラックアイスはわずかに身をよじったが、すぐに大人しくなった。
むしろハヤトの力に呼応して、背中に手を回す。
「あ、なんだか変な気分だ」
「……嫌か」
「なにかよくわからないけどこのままでいたい……」
ブラックアイスがハヤトを抱きしめる力が強まっていく。
「教えて欲しいんだ。お前は誰なんだ? 影ってなんだよ」
「私は……アイスティア様の身代わりだ」
「身代わり!?」
ハヤトは戦国時代の武将にそんな存在があったことを思い出す。
「なんでだよ。お前アイス……それじゃあ同じか……ティアとそっくりじゃないか?」
「背格好が似ている姉妹……いや孤児が集められて一緒に生活していた。魔法などの力で私たちの見た目はどんどん似ていった」
「そんなバカな……嘘だろう?」
「事実だ。だが皆もういない」
ブラックアイスの声には真実の迫力があった。
「お前のギルドはどうしてそんなことをしている?」
「アイスティア様は魔帝様の料理の技をすべて引き継いでいるということもあるが……」
ブラックアイスは言い淀む。
「あるが……?」
ハヤトは先を促す。
「アイスティア様は魔帝様と同じ適職だという噂がある」
「魔帝の適職!? 料理人じゃないのか?」
「適職には上位職なるものが存在すると知っているだろう?」
日本人のハヤトはそんなことを知る由もなかった。
いやひょっとしたら神殿の授業を受けていれば知っていたかもしれないが。
「料理人にも上位職が存在するらしい」
「それはお前がアイスティアの影とやらになることとどう関係する?」
「その上位職は稀有なものらしいのだ。だからアイスティア様の御身を守るために私がいる」
ハヤトは〝答え〟を聞いているのに混乱するばかりだった。
唐突にあることを強く聞きたくなった。
「お前の名前は?」
「私に名などない……アイスティア様の影だからな」
牧場の雌牛に名前を付けて喜ぶ少女の姿を電光が走るように思い出す。