65 裏の影
ハヤトが窓下に駆け下りる。
外に出るとブラックアイスはキョロキョロと辺りを見回した。
「よ、よう。どうしたんだ? なんか用か?」
ハヤトは気軽に話しかけたが、ブラックアイスは真剣な表情だった。
険しいと言ってもよいかもしれない。
「ハヤトはユミという女と一緒に暮らしていると聞いたが……」
「あ~この時間は俺の店にいるぜ」
「そうか。お前は店に行かなくていいのか?」
「……少なくとも今日は店に来るなってことなのかな。よくわかんねーんだけど」
「え? お前の店だろう?」
「今日は休めって」
「それならちょうどいい。時間があるってことか?」
「ひょっとしてまた牧場にでも行くのか。いいよ」
一瞬だけマスクから見える目が少女のように光り輝いた。
しかし、ブラックアイスは抑揚のない小さな声でつぶやくだけだった。
「私はもう二度と牧場には行けないかもしれない……」
「え? なんだって?」
先ほどのつぶやきとは打って変わってブラックアイスは有無を言わさない強い口調で言った。
「試験は三日後だ。明日と今日しか時間はない。行くぞ!」
「え? 行くぞってどこに?」
「ラーメンとかいう料理を出すお前のもう一つの店だ」
「ラ、ラーメン!?」
◆◆◆
「何度も言うけどな。ベストなラーメンを出すには麺にもスープにも熟成がいるんだ」
ハヤトはぶつくさ言いながら歩いている。
「試験の間、店を休んでいたのに急に出せって言われても完璧なラーメンは出せないぜ」
「それ込みで味を推測する」
「また不味いって文句言って来るくせに……」
一緒にラーメンを作った時、散々不味いと言われたことをハヤトは思い出す。
ただハヤトは不満を言いながらも、どこか嬉しそうだった。ラーメンを一緒に作ったことは悪い思い出……というわけではない。良い思い出だ。
店に到着する。店は閉めてあっても掃除はしているし、スープの試作品や麺を打つための小麦粉を熟成させた玉もあった。
たまに来て研究はしていたのだ。ハヤトの料理に対する情熱が窺える。
「ちょっと時間かかるぞ」
「早く作れ」
「まったく……」
我儘な奴だとも思うが、この店の味はコイツと一緒に作ったと信じているハヤトは文句も言えない。
ハヤトがスープの準備をして麺を打っていると、カウンターでその様子を見ているブラックアイスに話しかけられた。
「お前はまともな料理修行をしてどれくらいになるのだ」
「料理修行なんかしたことないぜ。一ヶ月ぐらい神殿で働いたけどな」
「クッキングドラゴンの下で修行したのか。しかし……たった一ヶ月。食堂はどれぐらいやっているんだ?」
「数ヶ月だよ」
「……」
「ところで昨日のユッケビビンバとかいう料理……」
「どうだった?」
「工夫のみならず、技術でもロウの上をいったな」
ハヤトはどうせ未熟だとか言われるだろうと構えていたが意外にも褒められた。
「少し前まで技術面ではロウにかなり劣っていたはず」
やはり遠回しに技術不足を指摘したかったようだ。
はいはい、すいませんねと答えようとしたハヤトだったが、少し間を空けて別のことを話した。
「実は……セビリダのギルドの幹部のビッテンさんにくだらないことを言われてさ」
「くだらないこと?」
「ああ、次の対戦はチキータに投票してお前を負けさせろってな。ロウもそれに乗ろうとしていたみたいだったんだ……だから俺はなんとしても勝ちたかったんだ」
「なるほど、そういうことか」
「気にすんなよ。お前だろうと、チキータだろうと、俺は美味いほうに投票するからよ」
ブラックアイスは麺を打ちながら話しているハヤトをまっすぐ見据えながら答えた。
「いや、ビッテンやロウのほうが正しいのかもしれない」
「おいおい! なに言ってんだよ?」
「私のギルドは……間違っているのかもしれない……」
「え?」
一度、ハヤトが裏の料理人ギルドを否定的に話したことがあったが、彼女は態度を硬化させただけだった。
「いや、きっと間違っているのだろう……ギルドのことでお前を巻き込んでしまったこともあった……」
裏の料理人ギルドの内部でブラックアイスになにかあったのかもしれないとハヤトは思う。
「ギルドが悪くたってお前は俺を助けてくれたし、関係ないだろ?」
ハヤトはブラックアイスの気持ちを楽にするためにそう言った。
けれども彼女は、ハヤトが麺を打ち終えて、それを湯の中に入れる時になってもなにも答えなかった。
付け合わせのネギを切る音が小刻みに響いても、考え込んでいるのか沈黙している。
茹で終わった麺を丼のスープに入れて、具を乗せはじめたごろに彼女は、ようやく口を開いた。
「関係はあるよ。裏のギルドに育ててもらった」
どこでブラックアイスが裏のギルドを間違っていると思うようになったかはわからない。
しかし、彼女は裏のギルドに感謝の気持ちも持っていて葛藤している。
ハヤトもそのことがわかった。
出来上がったラーメンをカウンターの上に置いた。
「俺にとっては関係ねえよ」
「えっ?」
料理人としてラーメンを無意識に目で追っていたブラックアイスが、ハヤトの顔を見上げた。
「俺にとっては、お前はお前だよ」
「ハヤト……」
「ラーメンが伸びちゃうぜ」
「ああ」
ブラックアイスはわずかに躊躇した後、ラーメンを食べるためにマスクを外した。
暴漢に襲われた時と同じようにハヤトの見知った顔が現れた。
紛れもなく、一緒にラーメンを作っって、アイスティアと名乗った美少女の顔だ。
「……」
ハヤトはいつものようにすぐに文句が来るかと思って、それを待っていたが、店内に響くのはラーメンを啜る音だけだった。
「どうだ?」
「美味しいよ……本当に……」
意外な返答だと思ったが、ハヤトは二人で作ったことを思い出す。
「ははは。まあ、お前と俺で作ったラーメンだからな」
「違うんだ」
「え? 違うってなにが?」
ブラックアイスが箸を置く。
「私はアイスティア様ではない……」
「は、はあ?」
マスクで顔を隠していたならともかく、目の前にいる少女はラーメンを一緒に作ったアイスティアに違いないとハヤトは思う。
「この麺料理は美味しいよ。アイスティア様の味だ。それに温かい味がする」
「だからお前と作ったんだろ? 様って……」
「アイスティア様は魔帝様の娘だ」
ハヤトはぽかんとしてから、上ずった声をあげた。
「魔帝ってひょっとして大食魔帝とかいう奴のことか? お前、大食魔帝の娘だったのか?」
ハヤトも裏ギルドの首領が大食魔帝を名乗っていることを覚えている。
だがまさかアイスティアがその娘だったとは思わなかった。
「私は魔帝様の娘ではない。アイスティア様の……〝影〟だ」
「え? 影!?」
「ハヤト。お前に裏の技を教えておきたいんだ……」