63 美しい牙
ロウの料理の試食がはじまった。
判定人と料理人ギルドの幹部がステーキを口に入れる。
判定人より先に感想を漏らしたのは観戦席の幹部達だった。
「美味い。新鮮な肉とは段違いの旨味だ……」
「旨味の強さに気を取られてしまうが、香りも深い」
「柔らかさも増しているのではないか? しかし、いったいどうしてだ? 古くなった肉に思えたが……」
ロウは笑みを携えながら説明した。
「私たち、狼型獣人の先祖は昔から獣や魔物を狩猟して生活をしてきた。必然、獲物が多く取れる時もあれば、ほとんど取れない時もある。先祖は雪の下に肉を保存すれば、腐らないことに気がついた。それだけではなく、長期保存したほうが肉の旨味や香りが増
すことにも同時に気がついたのだ」
ハヤトなら地球の最新の料理知識から、肉自体の持つ酵素によって、柔かくなると同時にタンパク質が分解されて旨み成分のアミノ酸に変わるともっと科学的に説明できただろう。
けれども狼型獣人の経験知はそれを超えていた。
「私たちの種族は鼻がいいからな。最も肉の内部の香りと熟成の状態の良い時の匂いがわかる。私はその嗅ぎ分けの名人じゃ」
西がハヤトを見る。顔はやはり勝てんのかよと訴えていた。
「ドライエイジングビーフ先進国のアメリカでも、熟成の最も大切なことは、科学でも設備でもなく年月を積み重ねた肉屋の熟練だと言われているらしい。つまり経験に左右される職人技だってことだ」
「なに呑気なこと言ってるんだ。大昔から肉ばっか食ってる獣人のなかでも一流の料理人が職人技で作った熟成肉ってことじゃねえか」
「そうみたいだな」
「そうみたいだなって……お前」
ハヤトと西がそんなやり取りをしているとステーキを食べ終えたハリーが口を開いた。
「驚きました……。旨味と香りという点においてこれ以上のデスバッファローの肉は無いでしょう。いや、他のすべての食肉と比較してもあるかどうか……」
チキータとブラックアイスもその言葉に小さくうなずいている。
「大丈夫なのかよ。あの料理で」
「勝つよ。ロウの料理の試食は終わったみたいだ。俺達の料理を配膳しよう」
◆◆◆
審査委員と観覧している幹部の前には蓋のある丼が置かれていた。
その前には箸やフォークやスプーンが置かれていた。
判定人であるチキータがハヤトに聞いた。
「どうしてお箸やフォークやスプーンまであるの?」
「ああ、本当は箸で食ってもらいたいけど箸を上手く使えない人も多いだろうからね」
「ふふ、そういう料理なんだね。楽しみ」
「どうぞ召し上がれ」
判定人と幹部達は慎重に丼の蓋を取った。
「こ、この料理は……?」
判定人や幹部達が疑問の声をあげる。
異世界バーンにはない料理だった。
細切りにしたダイコン、ニンジン、ほうれん草、ゼンマイ、もやしが、丼にそって円状に盛りつけてある。
そして中心にはデスバッファローの生肉の細切りがあった。その上には生卵の黄身が乗せられている。
「ユッケビビンバです」
ハヤトは堂々と自分の元いた世界の料理名を口にした。
この場にいるなかで知っているのは西だけだ。
ただしビビンバは食べたことはあってもユッケビビンバは食べたことはないかもしれない。
「上に乗っているのは生肉と生卵の黄身か?」
「はい」
「珍しいな……そして下にあるのは南方の米か……これまた珍しい……」
冷凍設備が発達していないバーンにおいては、生肉を食すことも生卵を食すことも珍しかった。
またイリースはパン食なので、米は味付けされたものを副菜感覚でまれに食べられることがあるぐらいだった。
「どうやって食えばいい?」
「適度にかき混ぜて上に乗っている具と一緒に米を食べてください」
審査委員と幹部達の試食がはじまった。
「くふふ。ははは。なるほどな」
幹部達はステーキの試食には感嘆の声が漏れたが、逆にハヤトの料理からは笑いがこぼれた。
「生肉は甘いタレに漬け込んであるのか。卵の黄身の風味ともよくあっている」
「はい。タレはウチの店で使っている醤油で作ったものです」
「デスバッファローは味の濃い肉だから重くなりやすい。しかしこの料理は酢を使った野菜のおかげか軽く食べられるのに食べごたえもあるな」
ビッテンはその幹部の話を聞きながら、それでサッパリとしたトンビを使ったのかと気がついた。このような丼でデスバッファローのカルビを使ったら重すぎたのだろう。
ビッテンは判定人席を見る。
「さてこの料理を判定人がどう解釈するか……条件のデスバッファローの旨味を引き出すという点に置いては圧倒的にロウの熟成肉のほうが優れているがな。ふふふ。あの三人であれば……誤った判定をすることはないだろう」
そして判定の時は訪れた。
◆◆◆
「勝負は三人中二人以上の投票があったほうが勝ちです。まずロウの料理を上と判断した人はいますか?」
西は判定人の全員がロウに投票するだろうと思って薄目で確認するが、誰も反応しなかった。
逆に反応したのはロウだった。
「んなっ!? まさか全員ハヤトの料理のほうが上だと言うのか?」
チキータとブラックアイスがうなずいた。
「Aリーグ最終戦、勝者ハヤト!」
フェアリーが西の顔に飛びついて喜ぶ。西はうざそうな顔を作っていたが口の端が緩んでいた。
しかし、ロウは抗議の声をあげた。
「そんな馬鹿な! 条件はデスバッファローの肉じゃぞ! 私の肉の熟成は完璧だったはずだ! 肉の旨味や香りで圧倒しているはず!」
抗議を聞いたハリーが丼のなかにあった肉と野菜を摘んで持ち上げた。
「肉の特徴は旨味や香りだけではありませんよ」
「あっ! ひょっとして!」
「そうです。肉と野菜の食感の対比です。肉のネットリとした食感、野菜のシャキシャキ感。ハヤトくんはこれを強調するために焼いた肉ではなくよりネットリとした食感を楽しめる生肉を選んだんでしょう」
「しかし、それだけでは私の肉の旨味と香りには……」
ロウが言い終わる前にハリーが続けていった。
「黄身と肉に漬け込んだタレですね。これが爽やかな赤身の肉に旨味と香りを適度に加えているんです。あなたの肉の旨味と香りに勝るとも劣っていませんよ」
ブラックアイスとチキータも解説した。
「蓋を閉じてあったことにも意味があった。デスバッファローは牛よりも脂肪の融点は低いが、体温で解けない脂がわずかに口に残る。温かい米が肉の脂を溶かしていたのだ」
「タレと一緒に溶け出した脂が、野菜とお米を味付けして美味しくするんだね」
静かに聞いていたロウが急に大声で笑いだした。
油断していたハヤトはビクっとしてしまう。
「あっははは! どうやらチキータとそこの黒い娘が判定人ではハヤト相手にはじめから勝ち目などなかったようじゃな」
ブラックアイスは意味がわからないというように首をかしげ、チキータは慌てて反論した。
「ど、どどどどどいう意味よ! ハヤトの料理のほうが美味しかったわよ!」
「冗談じゃよ。しかし……なるほどな」
ロウはハヤトの前に立った。
「な、なんだよ?」
「お前には皆やられてしまうわけだ。私もお前を審査する立場になったら贔屓してしまったかもな」
そう言ってロウはハヤトに流し目をして会場を去っていく。
ハヤトははじめてロウの牙を美しいと思うのだった。