62 料理賢人の罠
Aリーグ最終戦、ハヤトはやっと闘厨場で調理をはじめた。
何種類もの野菜を鮮やかに細切りにしていく。
「おい! デスバッファロー料理じゃないのかよ。野菜ばっか切ってなにを作ってるんだ?」
助手としてハヤトの側にいた西が突っ込みをいれた。
西も今までのように暇つぶしで料理試験に関わっているわけではない。
「肉料理だけどこいつは野菜も同じぐらい重要なんだ」
「料理のことはお前に任せるしかねえけど、この世界の秘密は料理に関わってるかもしれないんだからな」
西はお気楽なクラスメートの多くと同じようにすぐに日本に帰りたいと思ってはいないが、この世界の秘密は暴きたいと思っている。
裏の料理人ギルドの神の噂について調べるつもりだった。そのためにはハヤトが料理人ギルドの中枢にいてくれたほうがいいと判断している。
「おう! 任せとけ!」
ハヤトも試験がただのランクの認定試験ではなく、なにか裏があることは感じている。
料理人ギルドの幹部であるビッテンからブラックアイスに投票するなと言われた。
裏のギルドの〝選別〟の噂を聞いて、そうするか迷わなかったといえば嘘になる。
けれどもブラックアイスの真心の篭った料理を食べた今のハヤトにもう迷いはなかった。
結局、ハヤトは料理のこと意外は深く考えられないのだ。
闘厨場の観戦席ではビッテンとハリーもハヤトの調理を見ていた。
「野菜の細切りか……デスバッファローを真っ二つにしたことも見事だったが、細かい包丁さばきも見事だ」
「細切りにしているのは第六戦以降に闘厨場に置いたマンドラダイコーンですね。今、わずかに加えたのは酢でしょうか。どんな料理になるか想像もつきません」
「明らかに今までより技術が上がっているな」
「いえ……料理は一に心ですよ。だからアレほどの技を振るえるんです」
野菜を切っていたハヤトもやっとデスバッファローから肉を切り出した。
取り出した肉は唐辛子のような形をしており、目の覚めるような鮮やかな赤に純白のサシが入っている。
「珍しい肉を取ったな。『トンビ』か」
「肩の肉でありながら『モモ』のような特性を持った部位ですね。しかもモモより柔らかい」
「うむ。細かいサシは入っているが、脂の量は少ないからサッパリ食べられる」
「それは逆に言えば、他の部位のほうが味は濃厚だということです」
「確かに……俺ならば選ばんな。なにか狙いがあるのか?」
二人は調理技術の上達とは別にハヤトの肉の部位の選択に疑問を持った。
ところがロウの肉はさらに不可解だった。
「ロウの取り出した肉……なんだあの色の悪さは。ハヤトくんが助手と狩ってきたデスバッファローじゃないのか」
ビッテンがいぶかしがる。それもそのはずだった。
ハヤトの鮮やかな赤と美しい白のコントラストを誇る肉に比べて、ロウが取り出した肉の塊は明らかにどす黒かった。
それどころか……。
「表面にカビさえ生えているぞ。腹を壊すんじゃないか? 料理以前の問題だ」
ロウは肉の塊の表面を削ぎ落としはじめた。
表面についていたのはやはりカビだったようだ。しかしそれを削ぎ落としても切断面から色の悪い肉が見えるだけだった。
ロウはいつものように楽しげに料理をしている。
「……止めるべきか。ロウ氏はハヤトくんが用意した肉は使えないと自分が用意した肉を使おうとしているのかもしれない。デスバッファローは狩るのが難しい高級肉だから古い肉しか用意できなかったのか? それならせめて会場の肉を使えば」
ロウに注意するために立ち上がろうとしたビッテンを、ハリーが制した。
「いえ……あのロウ氏のあの肉こそ狼型獣人の秘伝では?」
「なに?」
「狼型獣人は肉をより美味しくするために敢えて長期保存すると聞いたことがあります」
「そんな方法があるのか。確かに腐る前までならば肉も旨味が増す場合もあるが……」
二人がロウの肉に注目している頃、ハヤトを手伝えなくなった西もそれを見ていた。
「おい。ハヤト。何だあれ?」
「ん?」
「ロウの肉だ。見ろ、なんだあの黒さ。俺達が取ってきた肉じゃないのか?」
「……みたいだな」
ハヤトもロウの肉を見て調理の手を止めた。
「カビが付いてるところを切り取ってるけど、ひょっとして腐ってんじゃねえか?」
「あれは……おそらくドライエイジングビーフだ」
「なんだ? そのドライなんとかって」
「乾燥熟成させた牛肉だ。魚も釣りたてよりも時間を置くと旨味が増すって聞いたことあるだろ?」
「聞いたことがあるような気がするけど……腐んないのかよ」
「アメリカとかでは専用の保管庫を作って厳密な温度管理の下で作っているらしい。日本ではただ冷蔵保存しただけの安全性が怪しいまがいモンも多いらしいぞ」
「ちょっと待って。ここはバーンだぞ。冷蔵庫なんてありゃしねえ」
「氷雪系魔法とやらで冷蔵庫のようなものを作っているのかも……いや、ドライエイジングビーフは、そもそも冷蔵庫なんて無かった時代にヨーロッパで肉を冷たい洞窟や地下倉庫などに吊るしたのが始まりらしい。肉食の獣人にあったっておかしくはない」
「おい! 大丈夫なのか? 旨味がどうたらって言ってたけどこっちは普通の肉なんだろう?」
西の問いにハヤトは短く答えるだけだった。
「大丈夫。俺は俺の料理を作るだけさ」
◆◆◆
調理時間が終わり、二人の料理は出来上がった。
試食の時間がはじまる。
判定人は、チキータ、ブラックアイス、ハリーの三人である。
ロウのほうが先に作り終えたということを理由に、先に食べて欲しいと要望を出して受け入れられた。
料理はステーキだった。
「私の料理は温かい料理じゃからな。悪いが先に食べてもらうぞ」
この戦いは各地の料理人ギルドの重鎮たちにも注目されていて観戦者にも料理が振る舞われている。
ロウは自信満々に料理を配膳したが、幹部の一人が肉の鮮度を問題にした。
「この肉は傷んでいるのではないのか? 大丈夫なのか?」
「ギルドの幹部ともあろうお方が。誓って傷んでなどいない。これは私の種族が秘伝の保存法で熟成させたデスバッファローの肉だ」
「そ、そうなのか? 熟成期間は?」
ロウは目を閉じて薄っすらと笑う。
「解体した肉を冷所で、さらに35日」
「な、なに? ということは?」
目を閉じたまま答えた。
「そう。S級料理人認定試験が始まる前からこの肉は準備している。強敵に使うタイミングを測っていた。もちろんハヤトのデスバッファローは使っていない」
西がハヤトを見る。
その顔はハヤトがチーサンショクに下剤を盛られた時と同じ顔をしていた。
つまり、嵌められたぞ……という顔であった。
「さらに言えば、私はハヤトの店に行って、デスバッファローを使った料理も食べた。熟成肉を使った料理ではなかったし、それを作っている匂いも嗅げなかった。まあハヤトの性格からして狩ってきたデスバッファローを渡して、自分は熟成肉を使うなどという
こともないだろうがな」
今度は判定人に料理を配膳するために、ロウはハヤトと西の前を通り過ぎた。
すれ違う瞬間、ハヤトに聞こえる声で言った。
「お前はまっすぐ過ぎて汚い戦いには不向きだろう。裏とは私が戦うから安心していい」
ハヤトは自分と同じようにロウも覚悟を持って、この勝負に挑んだことに気がついた。一見、純真に見えた獣人は、やはり〝料理賢人〟だった。