60 牧場小屋の厨房
見渡すかぎりの空の青と丘陵地帯の緑が広がっていた。
ハヤトが近づくと、ブラックアイスも気づいたようだ。
「ハヤト!? ハヤトー!」
遠くからでもブラックアイスの仕草がよくわかる。
立ち上がって手を振ってくれているようだ。
ブラックアイスの行動にハヤトも反応したかったが、西とルークに見られているかもしれない。
駆け足を速めるだけにした。
「はぁっはあっ。よう」
「牛を見に来たのか?」
どうやらハヤトは牛を見に来たと、ブラックアイスは思ったらしい。
「いや今日はお前に会いに来たんだよ。西の話を聞いてここにいるんじゃないかってね」
「本当か? 嬉しいよ」
「え?」
満面の笑顔でそう言われて、ハヤトは照れてしまう。
もっとも黒装束とマスクで目元しか見えない。
だが満面の笑みであることが伝わるような、そんな声音と目だった。
「そ、そうか」
「ああ。私もハヤトにずっと会いたかったんだ」
二人で牧場に来てから途中で試験が中断されてたとはいえ、何週間も経っていない。
しかし、あの時の少女と目の前のブラックアイスはまるで別人のようにハヤトは感じる。
いや正確に言うならば、もともと少女のなかにあった温かさや柔らかさが前面に出て、それが輝いているようだった。
「ところで私になにか用でもあったのか?」
「あっ……えーと」
ハヤトはもちろん裏料理ギルドの陰気な噂について聞こうと、ブラックアイスに会いに来た。
ところが緑の牧場で嬉しそうに自分に語りかけてくるブラックアイスを見ると、それを急には思い出せなかった。
「えーと、そうだ! お前の料理すげえ美味かったよ!」
「ハヤトのおかげだよ」
「え? 俺のおかげ?」
「お前がここに連れてきてくれたから……それに料理の奥義を教えてくれただろ?」
「料理の奥義?」
なんのことだろうとハヤトは思う。
「食べさせたい誰かのために料理を作るって教えてくれたじゃないか。忘れちゃったのか?」
「ああ、そうだったな」
確かに料理の奥義には違いない。
「と、ところで、誰を思って作ったんだ? ひょっ、ひょとして……俺?」
「ん?」
どうもブラックアイスから凄く感謝されているようだ。
それにブラックアイスはハヤト以外の男とはほとんど話したことがないと言っていた。ひょっとして俺を思って料理を作ったのかとハヤトは胸を高鳴らせてしまう。
「あ、いや。違う」
即答に、ハヤトはなぜかがっかりする。
「誰だよ……」
「前に言っていたギルドの人だよ」
そういえば以前、ギルドにそんな女の人がいるとブラックアイスから聞いていた。
同時にギルドという言葉でブラックアイスに会いに来た目的も思い出した。ハヤトは真面目な顔になる。
「裏の……ギルドなのか?」
「裏か……表の料理人ギルドでは我々をそう呼んでいるらしいな。我々はただのギルドと呼んでいる」
ブラックアイスのまとう空気が硬いものへと変わる。
ハヤトはそれを変えるべく、心を開いてくれるだろう話題を探した。
ならば話は決まっている。試験で作ったあの料理を捧げられる人物の話だ。
「どんな人なんだ?」
ハヤトはあの料理の味だけで、どんな人物かわかる気がした。
「いつも私に優しくしてくれる人だよ。いや誰にでも優しいな」
「そうか」
話しぶりからブラックアイスがその人物をいかに慕っているかがわかる。
「私はその人のために生きているんだ」
「え?」
いくらなんでも、それはいきすぎじゃないだろうか。
この時、ハヤトはその違和感を指摘すればよかったが、次のブラックアイスの発言で気がそれてしまった。
「でも今日はハヤトのために料理を作ってやろう。最近はオジサンの小屋でお昼を作らせてもらっているんだ」
「本当か!?」
ちょうどお昼時。
料理人は食いしん坊たれ。ハヤトのポリシーだった。
◆◆◆
緑の丘陵地帯にログハウスが見えてくる。
そのすぐ近くで薪を割っている男がいた。
「オジさーん! お昼作りに来たよ」
「あ、アイスちゃーん。お腹ペコペコ……なんだ、ハヤトもいるのか」
牧場のオジサンの声のトーンは明らかに前半と後半で違っていた。
「すいませんね。俺もいて」
「い、いや、別に。さあ入った入った。お腹ペコペコだ」
ブラックアイスはエプロンをしてすぐに料理を作りはじめた。
ハヤトとオジサンはテーブルに座った。
小気味いい調理の音が聞こえてくる。
「お前も受けている料理試験だっけ? それがない時は、アイスちゃんがよくお昼ご飯を作ってくれていたんだ」
「なるほどね」
「それにしてもアイスちゃんの料理は美味いよなあ~。俺、美味くて美味くて食う度に泣いちゃうんだよ。アイスちゃんはハヤトの料理も美味いって言ってたけど、お前の料理もそんなに美味いの?」
「俺は……とても……そこまでじゃ……」
神の料理は、命を賭けて料理技術をぶつけ合う裏ギルドの厨房ではなく、牧場のログハウスで生まれたらしい。
「いや、裏で身に刻んだ技術に、ここで芯が入ったのかもしれない」
芯。まさに心が。
「ハヤト、オジサン、できたよ」
ブラックアイスの出した料理は見た目はただのトルティージャ(ジャガイモを使ったスペイン風オムレツ)とマルゲリータピザ(トマト・チーズ・バジルのシンプルピザ)だった。
もちろんそれに小川で冷やした牛乳がついている。
ハヤトは見ただけで、この料理が超絶技法で作られたことがわかった。
完全なる味付け、完全なる材料配分、完全なる火加減。
だがもちろんブラックアイスの料理の本質はそこではない。
「ともかく食べようぜ」
オッサンが我慢できないとピザを食べる。
ハヤトもトルティージャから口にした。覚悟をして口にしても、また我を忘れそうになる。
しかも、これは……。
「今日はハヤトのために……作ったんだけど、どう?」
ブラックアイスがハヤトに聞く。しかしハヤトは答えることもできなかった。代わりに涙ながらに答えたのはオッサンだった。
「ぐすっ美味い……美味いよアイスちゃん……でもハヤトのために作ったのか……ぐすっ相変わらず美味いけど」
オッサンが泣く理由は料理の美味さか、ブラックアイスがハヤトのために作ったと言ったからか、よくわからないが、ともかく号泣していた。
「オジさんありがとう。ハヤトは……美味しい?」
ハヤトはやっと答えることができた。
「美味いよ……試験の料理ですら、これ以上はない料理かと思ったけど、この料理はそれすらも超えている」
「そ、そう? 私はどっちも一生懸命作ったのだけど……でもよかった」
ブラックアイスは本当に嬉しそうだった。
ハヤトはこの料理が試験のものより美味い理由はもちろんわかっている。
「この料理は……俺のために……ぐすっ」
ハヤトはなんとか涙はこらえていたが、口に出してしまうとやはりこらえきれなかった。
「あ、私、外にいるルークとハヤトのお友達にもご飯持っていくね」
ハヤトは驚いた。
「西が来てたことに気がついていたのか?」
「え? こないだ会ったハヤトのお友達ならきっと来てるだろうと思って。お腹も減ってるでしょ」
ブラックアイスは料理をお盆に載せてログハウスを出ていった。
「アイツ……すげーいい奴じゃんか……いや、別に前からいい奴だと思ってたけどよ」
ハヤトは料理をまた食べはじめる。
「本当に美味いな……ビッテンさんはああ言ってたけど……」
目の前の料理の味は、裏ギルドがどうであろうと、ブラックアイスを信じたいとハヤトに思わせた。
いつも読んでいただいてありがとうございます。
今日は夜の更新はないかもしれないです。