06 黒装束の客
売れない。売れない。売れない。
ハヤトとユミが屋台で商売をはじてから二日目になっていた。
『鯛のお粥 柚子風味』は売れていなかった。いやまったく売れないというわけではない。
初日はクラスメートのほとんどが来てくれたし、清田は「美味い!」と口から米を飛ばしながら三杯も食った。だからなんとか赤字にはならない計算ではあった。
しかし、肝心のイリース人が食べてくれない。食べてくれたイリース人は顔見知りの神殿騎士、魚市場のオッサン、厨房の先輩。
つまりハヤトの知り合いが100%だった。
二日目も魚屋のオッサンは、粥を気に入ったという口実で朝からユミに会いにくる。どう美味かったかを聞いても上の空だ。
その度にタダで魚の干物を置いていってくれるのはありがたいけど、色目のない評価をしてくれる客が欲しいとハヤトは思う。
場所が悪いのだろうか。でもハヤトの屋台は露店市の端ではあるが、人通りは少なくはない。
イリース人はチラチラと屋台を見てはいるが、買おうとするものはいない。
人見知りのユミも見よう見まねで呼び込みをしてみるが、口ごもっている上に秋田弁になっていて訳がわからない。日本語もわからないイリース人にとっては宇宙語だろう。
「なんで売れねえんだろ」
ハヤトはすでにベコベコに凹んでいた。それはそうだろう。食には異常にうるさいけれど他は普通の高校生である。今はその拘りすらも否定されようとしているのだから。
ユミはハヤトを元気づけようとしているのか明るい声を出す。
「そろそろお昼だね。ハヤトくんのお粥は美味しいから楽しみだな」
「あ~そうだな~昼飯時だな~客はいね~けど」
ハヤトはゾンビのような返事をして、ゾンビのようにヨロヨロとお粥をよそった。
二日ほどお粥ばかり食べている。それでも二人は飽きなかった。ユミにはハヤトに対する思いがあったし、ハヤトにとっては簡単な料理ではあっても細部まで力を注ぎ込んだ料理だったからだ。
「味は洗練されてさらによくなっていると思うんだけどな」
「だよね。私もそう思う」
ハヤトも手をこまねいて見ていたわけではない。粥の味の向上に努めていた。
まずは精米の問題から取り掛かった。すり鉢を二つ合わせ、その中に精米していない米を適量入れる。そしてすり鉢の中をユミの風魔法でシェイクする。すると米がすり鉢の内壁と擦り合わさることによって糠臭さもまったくなくなり、完璧な精米になったのだ。
精米の早さも段違いになる。
スープのほうもイリース人がよく食べるチーズを少しだけ入れることにした。これはイリース人の味覚に合わせる目的もあったが、合わせ出汁の効果を狙ったものでもある。
日本料理では鰹出汁と昆布出汁を合わせる。科学的にも鰹節のイノシン酸と昆布のグルタミン酸を合わせると、人間は旨味の感じ方が数倍になることがわかっている。
昆布はセビリダの朝市にはなかったので、グルタミン酸が含まれるチーズを使うことにしたのだ。十数種類のチーズで試行錯誤した結果、とてもよく合うチーズが見つかり、素晴らしい味に仕上がった。
「美味いな」
「うん……美味しいね」
二人は屋台の中でうなだれていた。これでは客が来ても気がつかないだろう。実際気がつかなかった。
「一人分くれ。早くしろ」
え? ハヤトが顔を上げると粥を出す台を指で叩く男がいた。若いイリース人のようだ。騎士のように武装しているが神殿騎士の顔見知りではない。
「は、はい! ただいま!」
ハヤトは立ち上がって一人分の粥をよそう。立ち上がったことでハヤトは気がついた。騎士の他にもう一人いることに。
本当の客はそっちだったのだろう。客の出で立ちは異様だった。
地球の中近東で見られる女性のように黒装束姿をしていて目しか出していない。わずかに見える肌の色は、やはり中東の女性のように褐色だった。瞳の色は灰色で、左目の下にはホクロがある。
ハヤトは当然注文した人物である騎士に粥を渡すと、騎士は慎重に一口食べた。ハヤトが感想を聞こうとする前に騎士は言った。
「毒は入ってないようです」
な、なんだって! ハヤトが頭に来て「ふざけんじゃねえ、毒なんか入れるか」と言おうとするが、先に黒装束の女性が騎士に返事をした。
「そんなことは匂いでわかる。お前は心配しすぎだ」
若い女の声だ。女のほうはイリース人には見えないが、身分が高い女性なのかもしれない。騎士から粥を受け取り、口を隠す布をずらしてスプーンで食べる。
あっけにとられたがハヤトは気を取り直す。
「おい! 毒っていうのはどういうことだ!」
「うるさい! お嬢様が食べられているのだ。静かにしろ!」
騎士は剣に手をかける。ユミも鋭い目で弓矢の照準を騎士にあわせていた。
なんなんだコイツは! ハヤトは冷や汗を流す。戦いの素人の自分でもこの騎士は強いのでないかという嫌な予感。
お嬢様と言われた黒装束はこの緊張した修羅場の中で、それでも平然と粥を食べ続ける。数時間にも感じられた数分がすぎると、黒装束は屋台の配膳台に空になった器を置いた。
「ルーク。屋台の店主に聞いてくれ」
「はっ」
お嬢様と呼ばれた黒装束はハヤトにも聞こえる声で騎士のほうを向いて話をする。
「この料理はなんというのか」
「おい! お前、この料理はなんて言うんだ?」
黒装束のお嬢様はハヤトに直接聞かず、騎士を通して聞いた。ハヤトが怒鳴り返す。
「粥だ!」
お嬢様と呼ばれた女はハヤトにも聞こえる声で言った。
「粥と言うのか。魚の干物とチーズの相乗効果で味を構成したスープ。そのスープでよく精米した米を食わせる料理だな。ユーズノハの香りも利かせている」
ハヤトはなんだコイツと思う。精米のことを知っているってことはやはりイリース人ではなく、米を食うとかいう南方の国の人間なのか。それ以上に正確に料理を言い当てられたことに驚く。
ハヤトが動揺していると黒装束のお嬢様はひらりと踵を返した。
「いくぞ。ルーク」
黒装束のお嬢様は先に歩きはじめる。ルークと呼ばれた騎士は、懐から金貨を数枚取り出して屋台の配膳台の上に叩きつけると、黒装束のお嬢様を追った。
ハヤトには配膳台に置かれた金貨がいくらになるかはわからない。しかし、粥代の十倍あるいは百倍以上になるだろう。売れない粥の報酬に手に入れた金貨の無機質な輝きを見ると、ハヤトはバカにされているような気持ちがした。
「金はいらねえから美味かったか言え!」
ハヤトは二人の背に叫んだ。自分自身でも、どうしてそう叫んだかわからない。謎の女性のするどい料理の分析に頼りたかったのかもしれない。ハヤトは走って二人を追いかけようとしたがユミに腕を掴まれる。
その様子を遠くから見ていた黒装束のお嬢様が、ルークになにやら耳打ちする。ルークが再びハヤトたちのほうにやってきた。ユミは慌てて、再び弓に矢をつがえた。
「お嬢様からの伝言だ。なぜ、俺に毒と言われたか考えろ」
「なんだとこの野郎!」
「それからこれも言えと言われた。お嬢様が出されたものをすべて食べることは滅多にない。以上だ」
ルークはそれだけ言ってお嬢様のほうに走り去っていく。
屋台周辺は再び客のいない平穏を取り戻す。ハヤトは精神的に疲れきって座り込んでしまった。
「なんだったんだ……。あいつらはよ~」
それはユミも一緒だったようだ。ユミは弓と矢を立てかけてから配膳台に手を置いて体を支える。ほっとしたように息をつく。
「さっきの騎士。多分……相当強かったよ。清田くんとまではいかないまでも赤原くんぐらい」
「え? 赤原は適職が重騎士だろ? くっそ強い壁役なんじゃないの?」
「うん。その赤原くんぐらい強いんじゃないかな」
マジかよとハヤトは思う。スライムにも勝てないハヤトが凄んでいい相手ではなかった。うっかり包丁で追い立てようとしていたのだ。こだわりラーメン屋の店主が舐めた客を相手にした時のように。
しかしハヤトはそのことについては、もう忘れていた。料理バカのハヤトにとって胸に突き刺さる言葉は、確かな舌を持つと思われるお嬢様とやらの暴言だ。
「毒だのなんだの……最初の客がアレかよ。なんかもう心が折れそうだよ」
ハヤトはイジケはじめた。人差し指で地面に絵を描く。ユミも少し気分を変えてくるねと言って屋台を離れた。
絵を描いたことで少し平静を取り戻したハヤトは、一人ぼっちで黒装束のお嬢様が食べた器を洗おうとした。そのときに気がつく。
「あいつ。米を一粒も残してないぞ」
ここのところ試食の度に皿洗いをしているが、ここまで綺麗に食う奴はユミと清田ぐらいしかいない。もっとも清田の場合は皿のほうは綺麗になっていても口から飛ばしている。
「そういえば、あの騎士が、お嬢様は出された食事を全部食べることは滅多にないとか言っていたな」
……ひょっとして、美味かったってことなのか? 黒装束のお嬢様にとっても。ならどうして客が来ないんだろう。
「そういや。どうして毒と言われたか考えろとかも言ってやがったよな」
毒? うん。いや。ああ、そうか。やっぱそういうことか。
「でもじゃあどうしたらいいんだよ……」
ハヤトがなにかに気がついて頭を抱え込んでいると、突如カラフルな物体で視界を遮られる。
吊り下げられた綺麗な毛色の鳥が逆さまに視界に入る。
「うわ! 鳥の死体?」
「ご、ごめん。呼びかけたんだけど返事がなくて。森でキジを射ってきたの。なにかお肉でもお粥に入れたらいいんじゃないかと思って」
ユミの適性職業である『森の守り手』は優秀な狩人でもある。ユミは自身の気分転換のためではなく、ハヤトのためにキジを射ってきてくれたのだ。キジは野鳥のなかでもとても美味しいので、猟師が売らずに自分で食べてしまうことも多いらしい。
それにしても、どうしてユミはここまでハヤトのためにしてくれるのだろう。
さすがのハヤトもそろそろユミの気持ちに気がつきそうだったが、料理バカの思考が邪魔をした。
野生のキジは美味い。確かにめっちゃ美味い。しかし、お粥じゃキジを入れてもダメなんだよな。
「うん? キジ? ひょっとしてキジなら。うんイケる。イカは腐りやすいからダメでも、キジや鶏なら使う分だけその場で絞めればイケるぜ!」
ハヤトは急に満面の笑みを浮かべてユミに抱きついた。
「ありがとう! ユミのおかげでなんとかなりそうだよ!」
「ッ! キャアアアアアアアァ!」
ユミは真っ赤な顔になって、体重が乗ったビンタをハヤトに食らわせた。
ハヤトはバレリーナのようにクルクル回転しながら屋台の支柱に激突する。木の支柱にはヒビが入り、雨よけは傾いてしまった。
ハヤトはこれで完全にユミに嫌われたと思った。料理のことには気がついても、せっかく気がつきそうだったもう一つの重要なことは銀河の彼方に吹っ飛んでしまった。
◆◆◆
夕食の忙しい時間が終わるころ、神殿の厨房で料理長ハリーは仲間に言った。
「皆、すまんが後は頼むよ」
厨房の料理人たちは笑顔でハリーを見送る。料理人たちはハリーが向かう先をわかっていた。
ハリーが向かう先は、もちろん様々な屋台が並ぶ露店市だ。
「今ごろハヤトくんはきっと苦戦しているだろう。そろそろ教えてもいいころだろう」
ハリーはハヤトの苦戦の理由を知っている。それを教えるつもりで向かっていた。
しかしハヤトの屋台があるべき場所でハリーが見たものは……屋台を覆い隠すほどの人だかりだった。
ハリーは屋台を見ることすらできない。だが辺りに漂う香ばしい匂いで、なにを売っているのか、おおよそわかった。
鳥の脂とタレが炭火にポタポタと落ちることで発生する甘く香ばしい匂い。
「うまくいっているなら帰ったほうがハヤトくんのためになるかとも思うが……空腹にこの匂いは辛いな」
ハリーは我慢できなくなって並ぶことにした。目の前の人がはけていき、ハリーの順番が回ってきた。
「ねぎまとつくね、ぼんじり(尾骨の周りの肉)というのも貰おうかな」
ハリーは屋台に貼ってある説明書きを見ながらハヤトに言った。
「あ、ハリーさん、来てくれたんですか」
「お粥はやめたんだね」
「いやーなにが材料になっているかもわからない料理をどこの国の人間かもわかんない俺たちが売ってもダメでしたよ」
イリース人は米を食べない。売り子をしているハヤトとユミはイリースの人間には見えないし、実際に日本人だ。
日本でも外国人がなにを材料にしているかよくわからない食べ物を売っていたら、興味を持っても口にいれることはなかなかないだろう。
ハヤトはイリース人のことを考えず、クラスメートの喜ぶ顔を思い浮かべて、お粥を選択してしまった。
「それで材料がなんであるかハッキリわかる鶏肉にしたと」
「ええ。匂いも立ちますしね。匂いで強引に客を捕まえようかと。前の世界にはドネルケバブの屋台っていうのがあって、外国の人が肉を美味そうに焼くビジュアルを見せて強引に客を捕まえていたんですよ」
「私もそれにやられたよ」
「内緒ですが、実はユミの風魔法で匂いを付近に流しているんです」
美味いかどうかはまずは食べさせないと話にならないのだ。神殿の騎士たちはハヤトを異世界からの救世主と知っていて信用してくれている。
だが、道いくイリース人はそうではない。外国人のハヤトたちから見たこともない食べ物を買うことはなかったのだ。
ハヤトが手際よく経木(木を薄く削った包み)に焼き鳥を包む。
「ねぎまにつくねにぼんじりです! じゃあちょっと忙しいんで。すいません」
ハリーは焼き鳥を受け取って屋台を背にした。神殿に戻りながら焼き鳥を頬張る。
「なるほど。ハヤトくんの元の世界ではこうやって部位ごとに切り分けたり、細かくしてダンコにして焼くことで、味や食感の違いを楽しむのか」
ぼんじりを噛み締めながらハリーは星空を見上げる。
「だが、これほどまでに香ばしく焼きあがっているのはハヤトくんの腕によるものだろう。裏料理人ギルドとの料理バトルに勝つためにはハヤトくんの力が必要になるかもしれん。コレ酒飲みたくなるね」
少年と少女が威勢よく焼き鳥を売る声が、異世界バーンの地に響き渡った。
本日のメニュー
『焼き鳥』
ここから少しづつ俺TUEEE的になるかも(あくまで料理で)