52 チキータとハヤト
ビッテンが闘厨場の観戦席に戻ると隣にハリーが座った。
「ハヤトくんとチキータさんになにを話したんですか?」
二人が直接話すことはあまりない。料理観の微妙な食い違いのせいかもしれない。
だが、お互いの実力はもちろん認めあっている。
「若い料理人にな。このレベルの戦いになると料理の技術には差がつきにくいから判定は厳正に、と伝えただけだ」
「なるほど……アナタらしい。しかし少なくともハヤトくんはその手には乗らないでしょう」
「わからんぞ? 彼も受験者としてこの場に立っているのだ。それに彼はブラックアイスを二度、判定することができる」
トーナメント上、ブラックアイスが勝った場合、もう一度ハヤトは彼女の判定をする。そしてその相手はチキータになる。
「お前だって、ブラックアイスの正体はもうわかっているだろう? 試合の判定を厳正にするというのは、そういうことも含まれるはずだ」
「私が万が一、オーベルンに票を投じたところで、ブラックアイスの料理のほうが上ならば、二人は間違いなくブラックアイスに票を投じるでしょう」
「そうかな……。俺はお前がオーベルンに投じれば、二票で勝つと思っているんだが」
ハリーはそれには答えなかった。
「この世界は〝料理〟で均衡が保たれている。だが伝説にあるように、逆に料理で世界の均衡を崩すような大きな力を得ることも可能なのかもしれない。表のギルドの意見は分かれているが、間違いなく大食魔帝の狙いはそれだ」
「私もそう思います」
「大食魔帝と俺は似ているんだろうな」
「アナタと彼は違いますよ」
ハリーはそう信じている。
強引であろうとも、ビッテンはこの世界と食を守ろうとしているのだ。
「似ているからこそわかる。奴のやり方と力がな。こちらも手段を選んでいられる状況じゃない」
ハリーも、ビッテン以外の表ギルドの幹部たちが、浮き足立っていることは重々承知している。反論も難しかった。
◆◆◆
ハルトラインとロウが会場に戻ってきた。
二人は同じような植物を持っている。
「アレってマンドラダイコーンか? 凄え……本でしか見たことがないぜ」
「うん。そうみたいだね」
マンドラダイコーンは、最高のダイコンだ。みずみずしく甘みが強い。逆にすりおろせば、ピリッと辛い最高の薬味になる。
だがマンドラダイコーンは非常に危険な魔物だ。魔力のこもった奇声を発する。それを聞いた人間はショックで動けなくなってしまい、最悪死に至る。
死を覚悟してまでダイコンを得ようとする者は少ないので、市場に出ることはほとんどない。
人間はサラダにあまり魔物を使わないという不利をハルトラインは乗り越えたようだ。
同時にロウもマンドラダイコーンを選んだということは、狼型獣人で肉料理が得意かと思われたが、少なくとも食材の面では不利を乗り越えたようだ。
そのころ、ブラックアイスも宣言通り多量の牛乳とともに会場に戻ってきた。
どうやら体調も治ったようでテキパキと調理をしている。
ハヤトとチキータはその様子を眺めていた。
「アイツはやっぱり凄いな。俺たちの中でも技術的には抜きん出ているよ」
「ハヤト」
「ん?」
「ハヤトだったら牛乳を使った料理で、オーベルンの肉料理に勝てそう?」
ハヤトはずっと会場にいるオーベルンの調理姿を見た。
いや見ただけではない。もう数時間前からオーベルンが調理しているほうから芳醇な肉の香りが漂っているのだ。
「難しいな。オーベルンは鬼気迫る様子で調理している。今回の試験の中でオーベルンにとって今までで最高の料理を出してくるに違いない。いや人生で一番かも」
「そうでしょ?」
「俺は所詮戦いの場に立ってないし、思いつかない。でもブラックアイスの調理を見ると、アイツも体調は治ったみたいだ」
「なんだか……ブラックアイスを応援しているみたい」
チキータは不満気だった。
ハヤトはそんなチキータをあまり見たことがない。
「別に応援してるってわけじゃないけどさ。ブラックアイスとオーベルン、どっちと戦いたいかって言えば、ブラックアイスだよ」
「なにそれっ!」
チキータが完全に怒った声を出した。
「なにそれって……」
「だってハヤトがブラックアイスと戦うってことは、先にブラックアイスと戦うことになる私が負けちゃうってことだよ?」
先ほどのハヤトの発言は、もちろんトーナメントの順番など考えずのことだった。
頭の中でトーナメント表を思い浮かべて気がつく。
「あ……いや。ごめん。チキータのことはもちろん応援しているさ。でもブラックアイスとも勝負したくてさ……」
ハヤトは料理のことになると、こういう時まで正直だった。
チキータは目に涙を浮かべて、ハヤトの前から走り去った。
「お、おい! 待てよ!」
竜人の足は速い。ハヤトが呼び止める間もなく去っていった。
その様子を見ていたビッテンが、ハヤトのもとへやってきた。
「どうしたんだい? ハヤトくん。喧嘩かね?」
「ああ、ビッテンさん。すいません……ちょっとだけ……」
「話してみなよ。女性のことなら少しは詳しいつもりだよ」
ハヤトはビッテンをじっと見る。
40は過ぎているだろうが、長身で大きな体躯、赤髪のオールバックの男前。さらにはこの世界の高級料理チェーンの総帥。
モテる要素は十分にあるような気がした。きっと女心にも詳しいだろう。
「その……実は……」
ハヤトは先ほどまでの流れをビッテンに話した。
「なるほど。チキータくんが可哀想かもしれないな。彼女はS級料理人認定を得る以上に君との対決を楽しみにしていたのかもしれない」
「それは……そうかもしれませんね。対戦する約束もしていますし」
「しかしチキータくんでもブラックアイス氏に勝つことは至難だろう。そうなると焦ったり、苛立つ気持ちも出てくる。ハヤトくんはそれに気づくべきだったな」
「……」
ビッテンはさすがにモテそうなだけはあるとハヤトは思う。チキータの苛立ちはまったくわからなかった。チキータが自分の前に立つにはブラックアイスを倒さねばならないというトーナメントの順番すら忘れていたぐらいだ。
「でもハヤトくんの気持ちもわかる。チキータくんとブラックアイスくん、どちらのほうが親しいからという理由で勝敗の判定をすることはできない」
「で、ですよね?」
「いっそ、この試合でオーベルン氏が奮迅して勝ち残ってくれれば、君としては助かるだろう」
「確かに……オーベルンが勝てば……チキータとブラックアイスの判定はしなくてすみますけど」
ハヤトはオーベルンとブラックアイスの調理風景を眺めた。
しばらく異世界料理バトルを一日、二回更新したいと思います。
一巻が好評発売中です。二巻の発売も決まっています。
17日の0:00更新を9:00にします。
申し訳ございません。