49 料理人の夢
ハヤトが会場に到着した時に流れた和気あいあいとした空気が、緊張したものに変わる。
しかし、それが例年のS級ギルド試験なのであって今年が特別なだけなのだ。
第六試合はハヤトとチキータが判定人で、そこに試験の運営をしている料理人ギルド本部からハリーも参加することになった。
そのハリーからは不正を許さないという宣言があったばかりだ。
またトーナメントの対戦者はそれぞれ料理に条件を言い合って、その条件を加味した形式で勝負している。
Aリーグのハルトラインはサラダを条件にした。基本的に肉を中心に食べる狼型獣人のロウにとっては不利な条件なのだろうとハヤトは思う。
ロウは魔物を使ったサラダという条件をつけた。異世界バーンでは魔物も食べるが、普通人間はサラダに魔物などは使わない。
つまりライバルに不利な条件をつけあったのだろう。
だがBリーグのブラックアイスとオーベルンは違った。
まずブラックアイスが言った。
「私は条件などいらない」
対決は条件を加えないことも許されている。
「貴様、舐めているのか?」
対戦相手のオーベルンが憤る。
だが実際には、ここにいる誰もがブラックアイスの料理のほうが上だと思っている。
今までにブラックアイスが見せた料理はそれほど抜きん出ていた。
「舐めてはいない。だが私とお前の力は隔絶している」
「き、貴様……いいだろう。ならばイリース水牛を使うことを条件にさせてもらう」
オーベルンは相手の不利になる条件を加味するよりも、イリース人である自分がもっとも得意とする食材を使った料理を条件とした。
オーベルンの料理に対しての誇りと意識の高さが垣間見えた。
ところが……。
「イリース水牛……だと?」
ブラックアイスは驚きの声を上げた。会場の誰もがイリース水牛というメジャーな食材にブラックアイスはどうかしたのかと疑問を抱く。
「なにか問題があるのか?」
オーベルンは当然の問いをした。ブラックアイスは青い顔をしている。
「イリース水牛はやめないか……」
S級試験では双方の条件について質問や調整がおこなわれることも多いが、その条件をやめろというのは前代未聞だった。
「理由は?」
「……可哀想だろう」
「はあ? なにを言っている? 意味がわからんぞ」
「……」
オーベルンの主張は当然だった。
ブラックアイスも反論できない。だが少し考えてからゆっくりと言葉をつむいだ。
「ならば……肉ではなく……乳を使うことを私の条件にしたい……どうか?」
「な!?」
今度はオーベルンが絶句した。
イリース水牛の肉を使わずに乳を使うというのは、バーン世界の料理人の常識からは完全に外れていた。
イリース水牛は基本的に〝肉用種〟の牛とされている。イリース水牛は赤身に脂肪が入り見事なサシになる。
もちろん牛乳を飲んでも美味しいのだが、イリース水牛と言えば肉を食べるというのが常識だった。
「貴公、先ほどは条件をつけないと言ったではないか?」
「それは……」
「裁定を頼む」
条件の設定が対決者で決められない場合、試験を運営しているギルドに仲裁に入ってもらうことができるルールだった。
今回の試験で初めての仲裁となった。
「Bリーグ第六試合はイリース水牛を使うことのみを条件とする」
ギルドの裁定にオーベルンは落ち着きを取り戻す。
「当然だろう。条件をころころ変えるなど認められん」
ブラックアイスは青い顔のままだ。
「ならば……私は……肉を使わずに乳を使ってお前に勝ってみせる」
「好きにしろ! お前がどうしようと、私は最高のイリース水牛の肉を使って勝たせてもらうからな!」
オーベルンはそう言って会場の食材を見繕いはじめた。イリース水牛は、ここイリースにおいては名産の食材だ。食都セビリダの料理人ギルド本部の闘厨場には最高のものが用意されていた。
ところがイリース水牛の牛乳は会場には用意していなかった。あったのは他の種類の牛乳だ。
ブラックアイスは会場から出ていこうとした。けれども足元がふらついている。
心配したハヤトが近寄った。
「お前、ひょっとしてオッサンのところに行くのか? イリース水牛が可哀想というのも……」
ブラックアイスはハヤトが近寄ったことにも気がつかなかったらしい。
のろのろと顔を上げてハヤトのほうを見た。
「ハヤトか……」
「お前、大丈夫か?」
「余計なお世話だ」
ブラックアイスはハヤトを押しのけて会場から出ていった。
「お、おい……」
ハヤトがそれを呆然と眺める。
「皆、必死なんだよ」
「チキータ……」
ハヤトは自分の意思に反して、会場の空気は荒んだものになっていくような気がした。
「でもよ。料理ってそういうもんじゃねえだろ?」
チキータはハヤトの気持ちはわかっていたが、それに声を出して同意することはできなかった。チキータもまた勝利したいのだ。
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