22 予備試験 課題「卵料理」前編
ハヤトはせっかくユミと一緒に住みはじめたのに、料理のことになると美少女と一緒に住んでいることさえも忘れてしまうらしい。
料理人ギルドのS級ランク試験が明日に迫っている。S級料理人となれば各国の王族や諸侯の宮に料理長として入れることも珍しくない。
もちろん経営している店があれば、文字通りの金看板になる。
しかしハヤトはそのようなことを求めているわけではない。バーン世界のトップクラスの料理人たちが全身全霊をかけて挑む料理対決。
ハヤトはそのことで頭がいっぱいになっていた。
ユミからしてみると食堂とラーメン屋の仕事以外のわずかな時間さえも料理にハヤトを奪われている。
それでもユミは包丁を研ぎ続けるハヤトを楽しそうに眺めていた。
「そういうところもいいんだけど……せっかく二人で住みはじめたんだからもうちょっと構ってくれてもいいのにな~」
試しにユミは大きめの声で言ってみたが、やはりハヤトには聞こえない。包丁の刃の切れ味を指で確認して一人でうなずいている。
まあ大事な試験が明日からではしょうがないかとユミはくすっと笑う。
ダイニングの食卓の上には料理人ギルドで貰ったというS級ランク試験のパンフレットが無造作に置いてあった。
ユミはそれを何気なく手に取って眺めてみた。
『Bランク以下の助手を二人つけることが可』
え? ハヤトは誰を助手につける気だろうか? というか今までハヤトの口からそんな話を聞いたことがない。
ハヤトだったらまずはガーランドさんや最近では料理を少しするようになった私に頼むことになると思う。
ハヤトはこんなことを言っていた。
「試験期間中は仕方ないけどラーメン屋は休業しよう。ユミとオッサンで食堂を回しといてよ」
だとしたらいったい誰を助手にするんだろうか?
「ハヤト」
返事なし。聞こえていないようだ。また包丁を研ぎはじめた。
「ハヤト! ねえハヤトってば!」
「え? どうしたの?」
やっと返事をしたハヤト。ユミはパンフレットを持っていく。
「パンフレットにこんなことが書いてあるんだけど……」
「なになに。え? マジ?」
ハヤトは料理に没頭しすぎて料理試験のパンフレットもよく読んでいなかった。
◆◆◆
元2年B組のクラスメートは恵まれた適職のためか最近では神殿騎士たちよりも強くなっており、真面目に授業や戦闘訓練に出ない生徒もいた。
その筆頭はもちろん西太一だ。今朝も神殿の午前の授業をサボろうとしている。もっとも本当はサボっているわけではない。
授業は受けずとも西なりに精霊魔術を磨いているのだ。西は神殿寮の裏庭で瞑想をする。目を閉じて魔力を集中させているのだ。
しかし相棒の妖精は本当に彼をサボらせようとした。
「西くん。西くん。遊びにいこうよ。ハヤトが料理試験にいこうってさ」
「お前なあ。俺の瞑想の邪魔すんなよ。誰の魔力で実体化していると思ってんの? え? ハヤト?」
目を開けた西は目の前にハヤトがいることに気がついた。
「そうそう。フェアリーの言う通り遊びにいこうぜ。美味いものを食わせてやるからよ」
意図的に神殿のカリキュラムをサボろうとするものもいれば、ただただルーズなだけの生徒もいる。時田雅子である。
パンを咥えて神殿の食堂から授業がおこなわれている教室(=神殿の大部屋)まで走っている。
「いけなーい。まーた寝坊しちゃった。あーこの廊下の曲がり角を曲がったらイケメンとぶつかったりしないかしら。そんなことあるわけないよね。異世界の建物の中なんだから」
時田は曲がり角の向こうにいたハヤトと西に見事にぶつかってパンが宙を舞う。ハヤトは素早くパンをキャッチして、西は倒れそうになる時田の腕をキャッチする。
「いたいた。S級ランクの試験は食材探しも含まれる場合があるらしいからな。西は食材探し、時田は料理の時間を進めてもらう。これでバッチリだ」
「まあフェアリーがどうしても見にいきたいって言っているからいってやるよ。確かに美味いものの試食とかできそうだしな」
ハヤトは西が抱えていないほうの時田の腕を抱えた。
時田は意味がわからなかったが、どこかに無理やり連れていかれると思って声をあげる。ハヤトは時田の口にパンを戻した。
「もがもがあ~。ひど、んぐんぐ。ごくん。でもこの無理やり感が癖になりそう」
◆◆◆
予選会場はイリース国の王宮の中庭を借りておこなわれていた。料理人ギルド本部の敷地も相当に大きいが、千人の受験者と助手二人を収容できるスペースはない。
庭とはいえ王宮を貸し出すのはイリースの首都セビリダが食都と言われるゆえんの一つかもしれない。
「いや~開場前だっていうのに凄い人だねえ。私なんかが助手になって役に立つのかな」
時田の言葉にハヤトが言った。
「まあ料理はなにもしなくていいよ。物を運んだり、料理の時間を進める必要があるものがあったら頼むわ」
ハヤトは会場入りするための受付に受験票を見せる。
「ハヤトカツラギと助手が二人か。通ってよし」
無理やり連れてこられたのになあとブツブツ言う時田。
ハヤト一行が会場に入ろうとする。
「待て。その妖精も連れなのか?」
「え? コイツ? まあ連れといえばそうですけど」
ハヤトがそう答えると受付が言った。
「なら四人じゃないか」
「えええ? コイツ数に入るの? 小さいよ」
「規定では受験者は推薦があれば、亜人や竜人や魔族でさえ区別なしとある。実際、人間以外の受験者も少なくない。ダメだ」
ハヤトは西とフェアリーに言う。
「じゃあさ。フェアリーには幻界とかいうところに一度戻ってもらうか」
「ヤダヤダ! 私は幻界に戻ったら西くんのこと忘れちゃうかもしれないんだからね。絶対にヤダ!」
「え? 西、そうなの?」
「いや知らねーけどフェアリーは呼び出してから、一度も人間のいる現界から幻界に戻したことはないんだよ。試すってわけにもな~」
「そうか」
ハヤトと西は言った。
「「時田、ごめん」」
「この男ども、ひどい~!」
二人と一匹は会場に入った。
会場にはところ狭しと、かまどや調理台や調理器具が用意されている。もちろん人も多かった。
腕章を付けた監視員も会場の周りに数多くいる。
ハヤトたちは開始の一時間前に来たのだが、もうほとんど調理台が埋まっている。どの料理人も真剣そのものだ。
ハヤトが入ると「アレがハヤトか」と噂をする声が聞こえる。
「へ~お前って料理人の中では有名人なのな」
「こないだ、料理人の女の子にサインをねだられたんだぜ~。精霊術士ってそういうのあんの~?」
「あるわけねえだろ。精霊術士は料理人みたいなありふれた適職と違って王国にも五人もいねーの」
「西くん。西くん。十万人いても西くんからは誰もサイン貰わないよ」
三人が話していると、角刈りで少し太ったオッサンがハヤトたちに話しかけてきた。
「いやーさすが、S級料理人のアンドレ氏を倒したハヤトさんは余裕ですね?」
「え? オッサン誰?」
「俺はチーサンショクっていう料理人なんだ。よろしくね」
ハヤトはチーサンショクなる角刈りのオッサンから握手を求められた。とりあえず握手を返す。
「プッ。なにが女からサインをねだられただよ」
西が笑うとチーサンショクは愛想良く笑顔を見せて言った。
「いや~可愛い女の子じゃなくてごめんね。でも俺はS級試験には詳しいぜ。なんせ二十年ぐらい毎年受けているからね」
それを聞いて西がさらに毒づく。
「へ~チーサンショクのオッサンは才能ないんだね」
「ハハハ。そうかもしれないな。だけど三十年や四十年受けているヤツだってザラにいるんだぜ。まあ今回の受験者は千五百人らしい。その中で受かるのは例年一人って言うんだから、そういう計算にもなるだろ?」
確かにオッサンの言う通りだ。というか何十年受けても一生合格しない者がほとんどだろうとハヤトは思った。
受験者としてこの会場に入るだけでも限られた料理人なのだ。
「で、そのチーサンショクさんはなんの用だよ?」
「別に用なんかないさ。でもいろいろと試験やライバルのことでも教えてあげようと思って。余計なアドバイスかもしれないけどね」
「そんなことしてアンタになんのメリットが? ライバルのことを教えてくれるって言うけど、ライバルはアンタだろうが? 試験はアンタも含めての潰し合いなんだろ?」
チーサンショクは親切に話しかけてきているにもかかわらず西は辛辣だ。
「ハハハ。じゃあ、まず俺のことから教えようかね。ハヤトくんにとってライバルと言えるとは思えないけど。ここに参加している受験者の中にはもう諦めていて記念で受けている人も多いんだよ」
「え? どういうことですか?」
「つまり優勝候補は決まっているんだよ。よくて毎年一人しか受からないんだから当然だよね。俺は記念受験組、お祭りの参加者ってわけさ。それにこうして有望料理人とお近づきになれる」
「有望料理人なんてそんな」
ハヤトは笑っているが西はしかめっ面だ。西はフェアリーを会場に飛ばした。
「よし、それじゃあ俺がこの辺りにいる有力候補を教えてあげるよ」
「マジっすか?」
「まずは~そうだな。お、あそこにいる女エルフはデザート作りの達人で……」
「え? 山菜が得意なんじゃないの? 確か『山菜料理の女神ディート』って言っていたような?」
「……え? 知ってんの?」
「なんかギルドにいったときに挨拶されて」
「あ、あ~見間違えた! そういえばデザート作りの女エルフは今年は出ないって噂だ!」
「そ、そうですか」
「それより見ろ! あそこにいるのはドワーフの『麺王ハッサン』だ! 小麦を糸状に加工するドワーフの民族料理の達人だ」
「麺なら知っています。ウチのラーメン屋もその類だし」
「そ、そうか……。あ、あれは竜人の『火鍋の竜チキータ』だ。試験のトップクラスの常連だぞ」
「そういえば、試験官も言っていましたけど竜人ってなんですか?」
「竜人を知らないのか? 竜族の中で人に変身できるタイプの竜がいるんだ。俺も詳しいことは知らないが、神話の時代に人と交わった竜の子孫とか」
「へ~竜人かあ。人間の女の子と変わらないんですね。でも髪が赤で目が金色だ」
「あ、あそこにいるのは『剣神十二包丁のガラハド』、包丁技の達人だな。その前にいる女は獣の耳が生えているだろう。狼の獣人らしい。『料理賢人のロウ』、料理知識が豊富だぞ」
「なるほど~勉強になります」
ハヤトがしきりに感心しているそばで、西は胡散臭そうにチーサンショクを見ていた。ハヤトがチーサンショクに聞く。
「ところで予備試験の初日はどんな試験が多いんですか? ぶっつけ本番で戦ったほうが楽しいかと思って誰にも聞かなかったんですが、やっぱり気になるので教えてください!」
「いいだろう。例年だとだいたい同じ課題を一斉に作ることが多いな。課題の発表後はいったん解散して食材を取りにいく場合もある。去年は鮮魚だった。食材の目利きと魚を捌く包丁の技を見たんだろう」
なるほど。刺し身のような料理を出した受験者もいたかもしれないとハヤトは思う。
「だから長丁場になることもあるぞ! そこで、だ」
「そこで?」
「俺は栄養ドリンクを作ってきている。ハチミツとヨーグルトとレモンのジュースだ。腹ごしらえにもなる。ハヤトも飲みたいか?」
西は堪え切れなくなって言った。
「おい! オッサン! さっきから適当なことばっかり言いやがって! どうせ下剤でも入れてあるんだろう! そんなもん誰が飲むか!」
「飲みたいです!!!」
「え?」
西が声の聞こえた方向を見ると、銭湯あがりに腰に手を当ててフルーツ牛乳を飲むオッサンのようにチーサンショクのドリンクを飲むハヤトがいた。
「おい! ハヤトおおおおお!」
「ぶっはぁ! 半分ぐらい一気飲みしちゃったけどこのドリンク、なんか味が変っすよ。あ、あれ腹が……」
ハヤトの腹からギュルギュルという音が響く。
「あーはっはっは! ひっかかったなあ、バカめ!」
チーサンショクは走り去った。それと同時にフェアリーが二人のところに戻ってきた。
「ねえねえ。あいつって新人イビリを毎年している悪いヤツらしいよ。皆が噂していたもん」
「フェアリー……もう少し早く言ってよ。お腹が……」
「お前がバカなだけだろ! お前は食材鑑定スキルがあるから毒かどうか判別できるって言ってたじゃないか?」
「食材ならな。もう料理として完成しているものは舌で見極めるしかない。疑わずに一気飲みしちゃったよ」
「ったく! なにやってんだよ! バカすぎる!」
ハヤトは生まれたての子鹿のような動きで会場の周りにいる監視員に泣きついた。
「あそこで笑っている角刈りのオッサンに下剤盛られたんですけど……」
「どういうことだ?」
「ドリンクを飲まないかって言われて……飲んだら……」
「ここは戦場だぞ。アイツを失格にしてもお前にとって意味はない。試験は平常通り三十分後におこなわれるからな。トイレならアッチだ」
「そ、そんな~」
ハヤトはトイレに急いだ。急いでもやはり生まれたての子鹿のような動きだったが。
◆◆◆
一時間半後、やっとハヤトが身体の中のものを出しきって会場に戻ると、人もまばらになっていた。
もう試験は終わってしまったのか。いくらなんでも早すぎではないだろうか。呆れ顔の西を見つける。
「西! 試験はどうなった!?」
「試験の課題は『卵料理』だ。料理の制限時間は四時間。残り三時間ぐらいだな。皆はワイバーンの卵のオムレツだとか言って会場を出ていったよ」
「げっ。そういうことか」
「チーサンショクのオッサンが笑いながら言いに来た。ワイバーンの卵は美味いけど使っているのは契約冒険者がいるような高級店らしいな。市場にいっても一、二個あればラッキーだって。今日は千人以上の料理人がワイバーンの卵を求めて向かっているけどな」
チーサンショクの言う通りだった。卵料理といえば腕を見せられるのはやはりオムレツだ。
地球でもプレーンオムレツはコックの腕の見せどころとして一流ホテルでも看板料理になっている。
そしてバーン世界であれば、プレーンオムレツにはやはりワイバーンの卵を使いたい。ワイバーンの卵は鶏よりもはるかに濃厚な旨味を持つ。アンドレと対戦したときもワイバーンの卵のチーズオムレツが出た。
ハヤトはその味を思い出す。しかしそんな場合ではない。
「一応会場でも鶏の卵は用意してくれているみたいだぜ。それでオムレツ作れば?」
「いや、それじゃあ生の本マグロに冷凍のメバチマグロ、ブランド黒毛和牛にグラム200円の輸入ビーフで立ち向かうようなもんだ」