17 本日のお客様「黒装束のお嬢様」前編
黒衣のお嬢様編は続きます。
西太一がハヤトの部屋に勝手に入ると、ハヤトとユミがベッドの下で肩を寄せ合って寝ていた。ベッドの上のブリリアントはパジャマがめくれてヘソが出ていた。
西はブリリアントの素肌に触れないよう慎重にパジャマのめくれを直してお腹を隠してやる。
「くそ。こいつらなんなんだ。俺はまた、頭が痛い思いをしてガキンチョを樹海に運ばないといけないんだぞ」
西はブリリアントだけ回収して二人を起こさず去ろうかと思ったが、ブリリアントをパジャマからゴスロリ服に着替えさせないといけないのでそうもいかない。
イライラしている西の耳元にフェアリーが舞う。
「え? なになに、またプリンを作ってもらえ? ああ、そりゃいいな」
西はニヤリと笑う。
「おい、ハヤト。星川。起きろ」
「ん~もう朝か」
「んにゃ?」
「お前ら昨日の夜は楽しんだのか?」
もちろん西はどうせ二人はまだプラトニックな関係だろうとわかっている。しかしハヤトを強請る目的もあった。
「へ? 西?」
ハヤトは西が言っている意味がわからずに隣にいるロングヘアーの美少女の顔を見て再び西を見た。
「おわあああああああああ!」
ハヤトはやっと頭の回線が繋がった。ユミは今さらベッドに這い上がって、タオルケットに隠れるという謎の行動をしている。
「今日のことをクラスの奴らに言われたくなかったらプリンをもっとたくさん作って寄越せ。そうしたら黙っといてやる」
ハヤトは「わかった、わかった」と西にすがる。ちなみにプリンを受け取った後、西は約束通り言わなかったが、後日にフェアリーが色を付けてあることないことクラスメートに話しまくった。
◆◆◆
その日からハヤトは店を早めに閉め、ラーメンの専門店を作るための試作品作りに取り組んでいた。
味見は元冒険者のオッサンやユミがしてくれる。
料理が得意なハヤトは、すぐにオッサンやユミが美味いと唸るラーメンを作った。しかし、ハヤト自身はラーメンの出来にまったく納得していなかった。
ハヤトはどうして、そんなにもラーメンにこだわるのか?
ハヤトの考えはこうだった。日本料理にしろ、フランス料理にしろ、中華料理にしろ、高級な料理店は、前菜、副菜、主菜、デザートといったような、コース形式で複数の料理を出すことによって客に満足感を与える構成になっている。
ハヤトはそれと同じようにスープ、具、麺をそれぞれ単品ごとでも納得できるレベルのものを用意して、それを組み合わすことでラーメンを作ろうとした。
つまりコース料理の満足感を一杯のラーメンで再現するという野望を抱いたのだ。ハヤトの野望はあまりに遠大であったのだ。ハヤトの中だけであったが。
「普通に……美味いですけどね。普通どころかめっちゃ美味いっすよ」
従業員の元冒険者のオッサン、ガーランドはそう言う。ガーランドは孤独に様々な地方のグルメ行脚をしていたオッサンだ。舌はそれなりに確かだとハヤトは思っている。
「オッサン。AとBのラーメンどっちが美味い?」
「好みの味はAだけどBのほうが美味いかな?」
ハヤトは落ち込んだ。Aのラーメンは魚醤を使った醤油ラーメン。Bのラーメンは塩ラーメンだ。オッサンの好みの味は醤油ラーメン。にもかかわらず塩ラーメンのほうが美味いと言う。
かつて冒険者として様々な地域を回っていたガーランドにも聞いてみたがバーン世界には醤油がない。だからハヤトは醤油がないなりにいろいろ工夫して魚醤による醤油ラーメンを作ったが、それでも醤油ラーメンより塩ラーメンのほうが美味いとガーランドは言う。
ハヤトのラーメンの試作はまだまだ続きそうだった。
このころ、ユミは神殿騎士団の所属を離れてハヤトの店の正社員になった。ハヤトはこれ幸いと営業時間中も店をユミやオッサンに任せ、ラーメン作りに没頭した。
それでも納得する結果が得られずにハヤトは日に日にやつれていった。一日三食、ラーメンのスープを飲んでいるだけなのだから当然だ。健康にもよくない。ユミは見ていられなくなっていた。
◆◆◆
ある日、ユミがウエイトレスをやっていると、久しぶりにあの黒装束のお嬢様とルークが店に来た。店が開店したてのころは毎日のように来ていたが、最近は来ていなかったのだ。
「肉野菜炒め定食二人分だ」
ユミはルークの注文通り肉野菜炒め定食を二人前届ける。
他の客の対応をして二人の席のそばに寄るとルークの皿はすべて綺麗になっていたが、お嬢様の皿はわずかに減っているだけだった。
黒装束のお嬢様はいつものようにルークを通してユミに聞いた。いつものようにルークから聞かなくてもお嬢様の声は直接聞こえている。
「ルーク、この肉野菜炒め定食とやらは誰が作ったか聞いてくれ」
「おい女! この肉野菜炒め定食は誰が作ったのか?」
ハヤトはラーメンの試作に没頭している。ガーランドが作ったものだった。
「従業員のガーランドさんよ……」
「やはりな。ルーク! 下ごしらえは他の者がやってもいいが『炒め』は技が出るからハヤトにやらせろと伝えろ!」
「はっ」
ルークの復唱を聞きながらユミはショックを受けていた。ガーランドは厨房に立つ前にハヤトから炒め方の指導も受けている。ユミの舌ではハヤトとガーランドが作った炒めものの味を区別することができなくなった。
それでも黒装束のお嬢様には、その差がハッキリわかるという。
ユミは肉弾系戦士のルークに事あるごとに突っかかっていた。
しかし本当に反発していたのは、この黒装束のお嬢様だ。ユミは黒装束のお嬢様はハヤトと同じ『料理人』なのではないだろうか、ハヤトと同じ道を歩んでいる女性なのではないかと思っていた。
そしてその道の目指す先は、きっとハヤトと同じようにはるか彼方にあるのだ。
二人は惹かれ合って共にその道を歩んでいってしまうのではないか? それがユミの推測と恐れだった。
だけど最近のラーメンに対してのハヤトの苦しみを見ていると……。
「あ、あの……アナタに頼みがあるんですけど」
「頼み? どういうことだ? と聞けルーク」
「はっ」
◆◆◆
厨房の隅でハヤトはうなだれていた。
「やはり魚醤の醤油ラーメンじゃダメだ。俺は醤油がなくては醤油ラーメンも作れないのか?」
当たり前だ。醤油がなければ醤油ラーメンは作れない。魚醤と醤油は味が違う。魚醤で美味しいラーメンを作っている店も日本にはあることをハヤトは知っていた。
しかしハヤトの料理にかけたプライドはそれを許さなかった。あのソイソースの味で納得できるラーメンを再現したい。
ないものはできないということも納得できないほど料理バカだった。
もちろんハヤトは醤油そのものを作るということで解決をはかろうともした。
ハヤトは料理のことではあらゆる分野で研究熱心だ。醤油の作り方も知識としては押さえていた。ある意味、異世界トリップ向きの男である。
ところが醤油や味噌は麹なるもので作る。その麹は麹菌によって作られるのだ。麹を使っての味噌、醤油の作り方はわかっても、菌を培養することはもはや料理を超えており、長年の伝統のなせる技か、あるいは生物学の分野だった。
実際に日本でも種麹(米を原料に麹菌を培養して、その胞子を大量に集めたもの)を出荷している会社は非常に限られていて、大手の醤油メーカーでさえもそれを買って醤油を作っている。
麹菌が自然発生しやすいだろうと思われる環境は用意した。けれどもハヤトの執念が奇跡的に麹菌の培養を成し得たとしても、それを使って醤油ができるのは一年以上かかることだろう。
醤油は日本の長い伝統が生んだ錬金術の結晶のようなものだった。醤油はまさに錬金術の到達点、賢者の石と同等である! とそんなことを考えているのはハヤトだけだろう。
「畜生。日本では気軽に醤油使っていたけど、醤油って錬金術師が追い求める不老不死の薬や賢者の石と同じぐらい価値があったんだな。学生服を麹菌で常に発酵させておけば、急に召喚されても大丈夫だったのに俺のバカバカバカ!」
ハヤトは麹菌の培養がもし成功したら、転移に備えて今度こそ普段から着ている衣服を麹菌で発酵させておこうと思っていた。本当に料理バカだった。
一応、ハヤトはすでに日本の知識で麹菌らしきものを作り、味噌と醤油を仕込んではいる。
しかし、とりあえず成功したか失敗したかどうか確認するだけでも、短くても数ヶ月、長くて一年以上、経過しなければわからない。
十回、試行錯誤したら十年以上。二十回なら二十年以上かかるのだ。それでも納得のいく醤油はできないかもしれない。
なんという厳しいレコード作業、円環作業なのだ……。ハヤトは錬金術師の苦労を思う。だがいつか必ずや!
調味料の研究はさておきラーメンの試作は進めたい。
醤油がなくても醤油ラーメンを作るのだ。しかし、どうしたらいいのか? 神の調味料を作り出すことも、その調味料なしで美味いラーメンを再現することも壁は途方もなく厚く高かった。
凹む。ハヤトは調理場の床に指で絵を描きはじた。黒装束のお嬢様にお粥を毒かと言われて凹んだときのように屋外料理を作っているわけではないから床には砂もない。絵は、もちろん描けなかった。
そのとき、ハヤトの眼に美しい足首が映る。黒い外套の間から見える足首。ユミの足とも違う。誰だ?
「おいルーク。そのラーメンとか言うものの試作品を出せとハヤトに言え。あ、やはり、いい。ハヤトには自分で言おう」
「へ?」
ハヤトが見上げるとそこには黒装束のお嬢様とルークがいた。
「弓使いから聞いたぞ。新しい料理の専門店を出すのに試作品を作っているそうだな。私が試食してやるから、まず店を閉めろ」
「え? ああ。お前、試食してくれんのか? それはありがたいけど、店閉めろってオッサンとユミがやってくれているし……」
「片手間で新しい料理などできるか! 準備中とでも店の前に張り紙しとけ! 背水の陣で作るんだ!」
「な、なるほど。そうしよう!」
店を閉め、背水の陣でラーメンを作る! ハヤトの料理魂が再び燃え上がった! ハヤトも料理バカだが、黒装束のお嬢様も極端だった。