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狼将軍と花

狼将軍と花について

作者: aaa_rabit

短編らしい長さになりました。

 3年前、土を作るところから初めた小さな庭園は、今や色とりどりの花が絢爛豪華に咲かせている。見た目は鮮やかだが空気を吸い込めば心地良い自然の息吹が肺を満たし、その中に僅かだけ花の甘さが香るのだ。一際大きな木の隣りに作られた花壇で控えめに咲く一輪の花ーーアリアンジュの名を持つ花が、芳香を漂わせながら美しい薄紅の顔を綻ばせている。日課である水遣りや雑草抜きなどの細々した雑務を一頻り終え、薔薇の妖精と讃えられる少女は満足げに息を吐いた。




 長年に亘って侵攻し続けてきた隣国が斃れたという報せが届いたのは1年も前のことだ。最初は貧困に喘ぐ地方の農民層によって起こされた暴動は瞬く間に各地へ飛び火し、最終的に革命軍によって帝国が瓦解するまでに至ったが、その動きと連動して属州と成り果てた幾つかが新たに国を興した。随分と規模を小さくした旧帝国では人間至上主義を謳う貴族の多くがこの革命で姿を消したことから、新政権との間には消極的ながらも国交が開始されている。


 そして同じ頃、国境沿いで展開されていた戦も、責任者を失った敵軍がなし崩しになったところで終結した。警戒を解かないまでもこれ以上大規模な戦闘は行われないと判断した国王によって、戦争に参加していた兵士達は順次帰還している。


 特別な日にしか鳴らされない城の鐘が、毎日のように鳴り響く。それは、何処かの部隊が帰還した合図なのだ。将達は御前で成果を報告する義務があるため、どの部隊も必ず王都へやってくる。そのため王都では連日凱旋が行われ、一時溢れる客数を前に市民は大忙しだった。その経済効果は3大会(春の品評会、秋の武闘会、冬の新年祭)を全部合わせてもまだ足りないほどで、どれだけの金額が動いたのか把握しているのは財務長官のみだろう。最初に帰還した部隊は熱烈な歓迎を受けたものだが、物珍しさを失った今では人気の部隊でもない限り民衆が集まることはない。王城で開かれる労いの宴に貴族は自由に参加出来るが、元々軍閥ではないテュールローザ家には関係のない話だ。寧ろ、地元に帰還していく軍人達に家族や恋人に向けた商品を売りつけることの方に忙しく、父や長兄は遅くまで駆け回っている。


 そうした忙しなさの中で、アリアンジュ本人は至って変わらない日常を過ごしていた。彼女の薔薇を育てる腕は当代が認めるところであり、正式なテュールローザ家の研究員として家に貢献している。そこには過保護な家族の干渉、具体的には美しく成長した妹を害虫から守るために、不特定多数と接触するような仕事は任せられなかったのだ。彼女自身、用もなく出掛けるような性格ではないので、父の思惑通りグランティルド邸の往復以外は大人しく家に篭っていた。庭師達に指示を出しながら薔薇を剪定していると、浮かれた騒がしさが垣根越しに伝わってくる。


「こりゃあ王都の軍隊さん達でも帰って来たんですかねえ?」

「そうかもしれないわ」


 2月くらい前に顔馴染みの部隊が帰ってきた時には、街全体がお祭り騒ぎだったのを思い出す。テュールローザ邸は閑静な貴族街の中でも大通りから外れた場所に門を構えているが、そんなところまで騒ぎが届くくらいなのだから余程だろう。


 小気味よく蕾や芽を落としていた彼女だが、母屋から呼ばれる声に作業を一旦止めた。慎重かつ素早く石畳みを駆けていた侍女は、主の姿を認めて走り寄る。


「落ち着いて聞いてくださいませ、お嬢様。プロウテン将軍がお帰りになられました」


 次なる部隊の到着を知らせる2度目の鐘が鳴った。


******


 同じ王都でも活気が全然違う。整備された石畳を歩みつつ、グランティルドは集まった民衆の顔を見下ろした。数年ぶりに着衣を許された軍服は全体的に緩くなっていたが、これは限られた食事しか得られなかっただ。元々着痩せする彼でさえこの有様なのだから、筋骨隆々だった部下達に至っては嘗ての面影もない。それでいて目ばかりがぎらついているので、これでは飢えた狼の群れだと思い、それは彼本人も同じかと思い直す。国王の御前で報告をするまでが任務と捉える彼だが、王都まで辿り着けばどうしてもその姿を探さずにはいられない。記憶にある彼だけの花は今頃美しく育っていることだろう。有りもしない男の影に怯え、会えない日々に心募らせる夜をどれだけ過ごしたことか。待っていると信じるのがどれだけ大変なことか、いつも置いていく側の彼は知らなかった。


 本音を言えば今直ぐにでも彼女に会いたいが、それは駄目だと戒める。このまま進めば日暮れ前には解散出来るだろう、それから彼女に会いに行けばいいだけだ。これまでの年月を考えれば、たった数時間我慢するだけである。


 忍耐を胸に毅然と前方を見据える狼将軍は、部下達にとっては凛々しいとしか映らない。副官は微かに揺らいだ空気を敏感に感じ取ったが、それだけだ。狼将軍の胸中が表情に出ればまだ違うものを、彼の鉄壁な仮面が崩れたことは一度もなかった。背筋の伸びた後ろ姿に感じ入るところあったのか、1人また1人とだらしなくしていた襟元を締めて飢えた心を内に隠す。城が彼等を迎える頃には精鋭部隊の名に恥じぬ姿があった。




 そろそろ殴り飛ばすかと、彼は本気で検討を始める。彼の発する不穏な空気に気付いてか、部屋の主の体が一瞬強張った。


「目が怖いんだけど。お前、今一瞬だけ本気でヤるか?って思っただろう!」

「……そこまでは思っていません」

「じゃあどこまで思ったんだよ。ほんっとお前は可愛くねえなあ」

「お褒めに預かり光栄です」


 可愛くねえを連呼するクソ親父、ではなくロロ陛下を冷ややかに見つめる。ここにきて彼の予定表は大きなズレを生じさせていた。陛下への報告といっても形式的なもので、精々半刻もあれば解放されるのが普通だ。だというのに、謁見室での遣り取りを終えた後も逐一報告していたものを改めて話せと別室で拘束されて早数時間。嫌がらせとしか思えない。


「要件がそれだけでしたら帰らせていただきます」

「まあ待てよ。どうせ、帰っても寝るだけだろ?せっかく宴を開いてやってるんだから参加していけ」

「お断りします。他に用事があるので」

「ほー。ふーん。へー。折角今日はお前の為に特別な客を連れてきてやったのにな〜。すっげえ上玉だぜ?」

「結構です。……失礼を」


 アリアンジュより勝るものはない。これ以上付き合わされてたまるかとばかりに豪奢な扉の取っ手を引いたが、鼻腔を擽る甘やかな香りに誘われるまま緩慢に振り返った。何故ここに彼女がいるのか。無防備を晒す彼の前で、反対側の扉から現れた女は差し出された男の腕に自分の腕を絡める。慣れた様子で微笑み合う2人に、彼の理性がぷつんと切れた。


 気付けば男を殴り倒し、取り返した女を担ぐようにして奪い去る。手近な扉を乱暴に蹴破って女をソファに降ろすと強引に唇を奪った。抵抗する四肢を全身で封じ込め、彼を惹きつけてやまない香りに酔いしれる。


「アリア、俺のアリアンジュ」

「グラン様。待っ……」

「もっとだ」


 吐息をも奪う荒々しい口付けに、女の力が次第に抜けていく。その様子に機嫌よく喉を鳴らし、今度こそ飢えを満たさんと上気した肌に舌を這わせようと、


「落ち着けバカ野郎!」


 意識が遠のくも、焦がれた甘い香りの前ではただ甘美な夢への誘惑だった。



******



 お陰で面白いものを見せてもらったよ。顔面に痛々しい青痣を作った国王は、眠るグランティルドを咎めることもなくただ笑った。


 どのようにしてか彼の意識を奪った男は疲れているだけだから問題ないと太鼓判を押し、普段彼が寝起きしている場所まで運んでくれた。


 初めて入った彼の部屋は多少埃臭かったが少ない私物はきちんと整頓され、部屋の主の几帳面さが窺える。静かに寝息を立てる彼を起こさないよう、そっと温かな手を自分のものと絡める。記憶にあるのと変わらない、国という大きなものを守る手だ。誇らしい筈なのに、彼女は周りと同じように喜べない。彼は優秀な軍人だ。その分、与えられる任務も過酷なものが多いと一早く帰還した次兄が教えてくれた。彼は多くを語らない。出立したあの日から今まで、元気にしていると書かれた短い便りが一通届いたのみで、その間何をしていたのか彼女は全く知らない。終戦後いつまで経っても帰らない彼に、何かあったのではと気が気で無かった。今日になって無事な姿を見た時には安堵したが、明らかに窶れた顔を見ればそれが気休めでしかないと気付く。約束通り帰ってきてくれたのに、素直に喜べないのはそのせいだ。


「何かあったのか?」

「グラン様。起こしてしまいましたか?」

「いや。それよりも……おいで、アリア」


 上体を起こした彼が腕を広げ、彼女は逆らわず身を委ねた。力強い鼓動の音に彼がここにいて生きていることを実感する。泣かないと決めたはずなのに、湧き上がる感情の前では脆くも崩れ去った。熱い滴がぽたぽたと腕の中に落ちていく。やはり彼は何も言わない。優しい抱擁だけが全てだった。



******



 彼は大事な花を懐に収めながら困っていた。悲しませたくないと思う一方で、彼を想って泣く彼女の姿は嫌いではないのだ。頼りない灯火に映し出される美しい薔薇は、柔らかな肢体をワインレッドのドレスで飾り、彼は先ほど目にしたものが夢でなく現実だったのを知る。一時は鎮火していた焦りの炎が勢いを取り戻す。意識を失ったお陰で理性もリセットされたが、心中穏やかでないことには変わりない。


「アリア、君は陛下を」


 愛しているのか?


 辛うじて呑み込んだ問いが彼の葛藤を表している。男に心に吹き荒れている嫉妬の嵐に気付かぬ女は、愛らしく小首を傾げた。


「陛下、ですか?王太子殿下の専属庭師として、恐れ多くも目を掛けていただいておりまして、その縁でお言葉を賜ることもありますが……グラン様?」


 ぐらぐらと視界が不安定に揺れる。伏兵はなんと陛下ではなく王太子殿下だったとは、さしもの彼も予想していなかった。確か今14で、彼との年齢差よりはお似合いだろう。だが相手はまだ子供だ。3年前、その子供を恋人にした彼が言うことではないが、客観的に見ても甲斐性や男の魅力が遥かに劣る子供に負けたのは流石に堪えた。


「アリア、君は騙されている。王太子など将来性はあるかもしれないが男として最悪の部類だ。何故なら王族という奴らは、国益を最優先にするからして君を幸せには絶対出来ないと断言しておく。百歩譲って君が好いた男だとしても、」

「待って。落ち着いてください、グラン様」

「すまん。だがアリア、」


 彼女の細い人差し指が言い募ろうとする口を閉じさせる。優しい眼差しは彼の知らない女の顔で、鼓動が大きく跳ねた。


「ユウレネシシリィティナ殿下は女性ですよ、グラン様。それに、私が好いている殿方は昔も今もここにいらっしゃるグランティルド様ただお一人だけです」


 3年を経た少女は既に大人の女になっていた。動作や眼差しの一つで彼を翻弄し、一喜一憂させる。最早、彼は彼女に抗うことは出来ないだろう。見事に大輪の花へと変貌した蕾は、凶暴な狼を鎖が無くとも手懐けてしまった。


「ずっと……会いたかった」

「私もです」


 労わるような口付けを何度も交わし、互いの体温を分け合う。彷徨う狼は漸く大切な花の元へ帰ってきた。




 安息を得た狼の日常は変わらない。獰猛な群れを率いる者として時に鋭さを纏いながら頂点に立ち続けた。そして花園に帰れば馨しい芳香に包まれながら、大切な彼だけの花を愛でる。そこに小さな狼の姿が増えるのはもう少し先のこと。今はただ、一輪の花の傍で悠然と寝そべる狼がいるだけだ。

補足説明:

3大会とは…イルペルス王国主導で行われる大きな行事のこと

春の品評会:半月かけて特産品や絵画など17品目に分けて人気を競い合う。物によっては商人や貴族、王族の声が掛かることもあり、部門によっては選考から熾烈を極める。開催に合わせて大市場も開かれ、選考で落ちたものや普段は目にすることの無い珍しい物が並ぶ。

秋の武闘会:参加条件は国民であれば誰でも与えられ、本戦では軍部の主立った者や王族の前で技を披露する。同時に元締めを国が行う賭けも催され、娯楽として昔から楽しまれている。

冬の新年祭:建国日に合わせて恙無く過ごせた1年に感謝し、種族も年齢も性別も関係なく大騒ぎして過ごす。



折角なので没ったものも載せておきます。本編で満足した方はご注意ください。

※場面は王都を練り歩く特殊部隊の一幕部分です。

 忍耐を胸に毅然と前方を見据える狼将軍は、部下達にとっては凛々しいとしか映らない。副官は微かに揺らいだ空気を敏感に感じ取ったが、それだけだ。狼将軍の胸中が表情に出ればまだ違うものを、彼の鉄壁な仮面が崩れたことは一度もなかった。


 一度もなかったのだ。


 それを偶然見てしまった副官は生温い眼差しで見守ったが、続いた部下達の態度はそれぞれに分かれた。この世を呪う者、目を剥いて固まる者、苦しい胸を掻き毟る者。精鋭部隊の隊列は一気に崩れ去った。


 彼は背後の阿鼻叫喚図を知らない。何故なら彼の興味は、美しく咲いた一輪の花に向けられていたからだ。両者の間が何人もの人垣に隔てられていても、彼がその香りを見逃す筈がない。最後の日は理性が勝った。でも今は本能が全てを支配していた。獲物を捕らえた狼は何処にも逃がさないよう、己の腕に囲い込む。


 大きく息を吸い込めば、青さをなくした柔らかな甘みが胸いっぱいに染み込んでいく。


「アリアンジュ」

「お帰りなさいませ、グラン様」

「っ!ああ、今帰った」


 互いの姿しか目に入らない二人は、熱烈な口付けを繰り返す。



 待ちぼうけを食らったとある国主は言った。


「まあ良かったんじゃね?ああでも、俺もにやけるあいつの顔が見たかったなー」


と。


************

これもありか?と書いてはみましたが、狼将軍は職務に忠実なキャラなので最後まで頑張っていて欲しかったので、こちらは没になりました。


以上です。

長い間お付き合いいただき有り難う御座いました。

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