7話/劇的に
勇人はその人を待ち構えていた。昼食を済ませて小一時間、村の入り口に立ちっぱなしである。農作業で動くのと違い、少し足が疲れてきた。繁華街にある雑居ビルの麓に立った客引きのねーちゃんたちがダルそうにしている気持ちがよくわかる。
そんな勇人のもとに、パッカパッカガラガラと、馬が車を引く音が微かに聞こえてきた。この音は、こちらに来てからよく聞くようになった音だ。現代の東京ではまず聞こえない独特な音である。
「……ようやく来たかな」
小さく見えてきた影に、大きく手を振ってやる。すると、向こうも振り返してきた。だんだんと近づいてくる影は、真っ赤な出で立ち。どうやら「待ち人来る」ようだ。
アスクの話に聞いていたとは言え、かなり目立っている。楽器職人は派手なナリがお好みらしい。
* * * * *
「お待ちしていましたよ。コミンズさん」
にこやかに右手を差し出したのはアスクだ。教会御用達ということだから、面識があるのだろう。
「よおアスク坊、オーサク以来だな。ずいぶん老けたじゃねえか!」
「コミンズさんは変わりませんね」
彼らは力強く握手をした。美形で年の割に若く見えるとはいえ、中年男性であるアスクを「坊」と呼ぶこの赤装束の派手な老人、「コミンズさん」は腕の良い楽器職人らしい。なんでも彼の手にかかればボロボロのオルガンも新品同様、さらにはそれまでとは比べ物にならないほど心地よい音色を出すようになるとかならないとか。全てアスクからの伝聞である。
「しかしなあ、坊もついに弟子でも取ったんか?なんだこの若えのは」
「彼は今私のところで手伝いをしてくれているユートです。友人ですよ」
「初めまして、ユート・フジと申します。アスクにはお世話になっています」
「ほお、坊が友人とはそれこそ明日には霰が降るぜ。コミンズだ」
(この老人ん中でアスクはどった印象なんだべか、めちゃ気になんな)
「……やめてくださいよ。当時のことは」
どうやらコミンズ翁は勇人の知らないアスクの一面を知る人物らしい。非常に気になる。コミンズと握手を交わし、アスクの表情を伺ってみる。
「ユートも、ほら、オルガンと、あなたの楽器を見てもらうのでしょう?」
どうやら顔に出ていたようだ。勇人は素直に話題を変える。
「はい、コミンズさん、礼拝堂へお願いします」
「なんだあ、着いてすぐ仕事かあ?」
「この村は明るい時間が短いのです。後にでもゆっくりお話をいたしましょう。もてなしの用意は整っておりますから」
「坊がそう言うなら仕方ねえなあ。ちょっくら見させてもらうぜ」
勇人とアスクはコミンズを誘い、教会へと入っていく。翁も異存はないらしく、口では文句を垂れながらも付いてくるようだ。
* * * * *
「しっかし、古いオルガンだなあ、おい。ところどころどこの話じゃねえぞ、リードやら小袋やらバルブやらあちこち傷んでやがる。だいぶ弾きにくかったんじゃねえか?」
「はあ。どうでしょう」
「なんだよ、坊主が弾いてんじゃねえのかよ」
確かに中学校に置いてあったリードオルガンよりなんかペダルがフカフカする気がするし音も不安定だなあ、とは思ってはいた。なにかの弾みで音が鳴りっぱなしになったこともある。しかし、それが経年劣化によるものなのか、そもそも技術的に現代のオルガンとは比べ物にならないのか、勇人には判断できなかったのだ。
「まあ、そうなんですが、これしか弾いたことがなかったものですから」
「……変な奴だなあ。まあ坊のダチらしいっちゃらしいな」
どうでもいいが、坊だの坊主だの、ちょっとややこしい。
「ええと、オルガンの修理はどのくらいかかりますかね?」
「うーん、大分取り替えないといけねえからなあ……日暮れまでには終わると思うが」
「そうですか。よろしくお願い致します」
「おうよ、しかし坊主は若えくせにいやに丁寧だな」
処世術ですから、とはもちろん口に出さず、コミンズにもう一度頭を下げた。翁は、「オッケーってことよ」と軽く返し、右手をひらひらと振って見せた。ゆったりとした真っ赤な上着の柔らかな布地が一緒に揺れて、金魚の尾っぽのように見える。また、このあたりでは全く見かけないターバンのようなものを頭に巻いていたりと、改めて不思議な老人である。
(つかアスクが坊の頃からの知り合いてこのじさまいくつだよ……)
「あとなんだ、確か坊主の楽器を見るんだったよな。あんまり変なのじゃねえだろうな?」
「……多分?」
「なんだあその多分っつーのはよ……。まあいい、後で持ってくるんだな」
「よろしくお願いします!」
実はこの世界に来てからというもの、勇人は今だ弦楽器に巡り合っていない。キャラバンの荷物にそういうものがないかと出来る限り観察しているのだが、運ばれる楽器は笛や太鼓のようなものばかりだった。そういった音楽の方が盛んな地域なのだろうか。
リードオルガンがそれなりに完成されている世界で、まさか弦楽器がないとは考えにくい。元の世界では、リュートの原型だってペルシャ時代には生まれていたというし、日本に琵琶が伝わったのだって確か奈良時代とかその頃だったはずだ。
半年暮らしてみて、この世界はファンタジーワールドとはいえ、文化発展の方向性はそこまで元の世界と差がない。18世紀のヨーロッパにタイムスリップした、と言われたら信じるだろう。少なくともこの村の中なら。
そんな世界だ。ギターとはいかずとも、マンドリン的な何かくらいはあってもおかしくない。それならギターも直せるはず。と信じている。
信じてるぞ異世界。ほんと頼むぞ。
* * * * *
コミンズは、言葉通り日がもう少しで西の山に沈んでいく予感を漂わせ始めた頃、オルガンの修理を終えていた。その間、流石につきっきりというわけにはいかなかったが、勇人も礼拝堂の中で彼の仕事ぶりを見学させてもらっていた。日本では音楽をやっていたとはいえ、オルガンの内部や細かい部品を見るのは流石に初めてだ。専門はギターだしね。
教会の脇に留めた派手な馬車から修理道具と部品のストックが入っているらしいこれまた真紅の大きな箱を抱えて戻ってきたコミンズ翁は、まず作業の妨げになるらしい赤い上着をぽんと脱いだ。そして老人とは思えぬ俊敏な手さばきで消耗した部品を選別し、新しいものに付け替えていく。腕利きと呼ばれるにふさわしい老練な動きだった。
そんな熟練の匠でも午後の入りから日暮れ近くまでかかるほどなのだから、よっぽど教会のオルガンはボロボロだったようだ。コミンズ曰く、音が出たのが奇跡と言ってもいいレベルだったらしい。
しかしそのオンボロオルガンも、匠の手にかかれば。
「……なんということでしょう」
いっそ新品に買い換えたとでも思えるような見事なビフォーアフターだった。
内部の修理と調整を完璧に行ったコミンズは、その後古びた外面もキレイにしてくれていたのだ。埃や汚れを落とす程度の掃除ならば勇人も行っていたが、やはりプロの仕事は一味も二味も違っていた。経年による木材のスレや打痕、装飾の彫刻の削れなども磨き上げ、オルガンがこの教会に来た当初のような姿を取り戻している。もっとも、勇人は新品の頃のこのオルガンを見たことはないが、そう思える出来栄えだった。
「いい仕事してますね~」
「ま、俺の手にかかりゃこんなもんよ」
「コミンズさん、また腕が良くなったんじゃあありませんか?」
「そらあまだまだ引退するつもりはねえからな。死ぬまで精進あるのみよ!」
「本当にお元気ですねえ……」
いつの間にかやってきたアスクも満足げにオルガンを見つめている。勇人がやって来るまで、オルガンを演奏し、手入れしていたのは他でもない彼である。こんなにキレイになって、思うところもあるのかもしれない。
「オルガンに関しちゃあもうできることは全部やったな。……坊主、次はお前さんの楽器を見してみ」
「はい!」
やっとギターに直る見込みが……、間借りしている自室に安置してある、ここのところ眺めることしかできなかった相棒を取りに行くべく、勇人が入り口の方に向き直った。そのとき。
「先生!アスク先生!」
一人の村民が礼拝堂に飛び込んできた。