70話/新しい朝
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主人公編です。
「おはようございます」
「あ、おはようございますです。フジさん。今日もお早いですね」
今日も今日とて、というほど頻繁なわけではないが、勇人はすっかり顔馴染みになった『真実の姉妹』のもとを訪れた。塾と仕事の都合上、ここに来るのはいつも決まって今のような時間帯だ。
ここ、イツノミヤ市への入市を希望する旅人は、大抵昼周りがピークとなるため、まだ仰々しい名を持つ少女たちも暇そうだ。声をかけると、いつも通りにこやかに挨拶を返してくれる。
「おや、なんだかいい匂いがしますですね?」
「ああ、さっきそこで買ってきたんですよ。『イチクロ』、美味しいと聞きまして」
小さな鼻をひくひくとさせるような仕草をする少女たちの目の前に、左手に提げた紙の包みを掲げてみせる。
「うーん、一体何物です?」
「あれ、てっきりご存知と思ってました。最近評判のパンだそうですよ」
「そうなのですか!……わたくしども、流行には疎いのですよ」
「俺はまたなんでも知ってるんだとばかり」
「いえいえ、……仕事以外で外にはほとんど出ませんですので全く世間知らずなのです」
「え、そうなんですか?それならこれ、いつもお世話になってるからお礼といっては何ですが、みなさんで食べてください」
本当は朝起きれない夜の蝶なサクラさんから買ってくるよう頼まれていた物だが、こういう事情なら仕方があるまい。お思いの他甘党の彼には必ず今日と言われたわけでもない。別に明日でも構わないだろう。どうせ勇人は毎朝早めに起床しているのだし。
「ほえっ?いえいえ!フジさんが召し上がってくださいのです!」
「いや、実はさっき店で俺は食べたんで。美味しかったですよ」
「そ、そんな……」
「そう言わず。ぜひどうぞ」
未だ恐縮する姉妹の片割れにパンの入った紙包みを押し付けるようにして渡す。少女は数秒わたわたとしていたが、ついに諦めたのか包みを押し抱くようにして頭を下げた。
「……ありがとうございますです。大切に食べますですね」
「です」
「いえいえ、こちらこそいつもありがとうございます」
返礼として勇人も頭を下げる。すると、包みを受け取った方の少女がいかにも思い出したといった風に声を上げた。
「っとそうでした、昨夕の便でフジさん宛てのお荷物を預かっておりますですよ」
「でしたです!少々お待ちくださいませです!」
こうしてピンク髪姉妹のところをちょくちょく訪れるのは、イツノミヤ市内への配達物は基本的に御用運搬人が運び込むか、門で検閲を受けた上で市の職員に預けられるようになっているらしいというこの町特有の仕組みのためというのもある。こうして門に詰めている姉妹から直接手渡してもらうというのが、宿暮らしの勇人が最もスムーズに手紙を受け取る方法なのである。
ちなみに、ここイツノミヤに到着して最初の手紙が州都トキオンのリュースから。それ以来はこちらの世界へ来てからできた少ない友人たちからぽつぽつと。恐らく門を通った際に提示したミドリカワ家の家紋からリュースのもとへ連絡が行ったのだろうというのが勇人の予測である。
こういった荷物から足がつくおそれはないのだろうかとも思うが、現代でもないし、公的機関からの手配でもないからそういうものなのかもしれない。もしかすると現代日本であってもこういうことがあるのだろうか。
「ありがとうございます。……あ、ミリアンさんからだ」
リダ村のミリアンからの荷物をここで受け取るのはこれが2度目になる。第1便は1週間半ほど前に届き、村に置いてきた衣類を数着包んだものだった。それは、着の身着のままトキオンを出立した勇人にとっては大変にありがたい小包であった。夏が近いことを抜きにしても、日本育ちで清潔感にはそこそこ気を遣っている勇人が着替え無しに1着を着続けるのは非常なストレスであったし、洗って乾かしてすぐに着るというのも乾燥機のない世界では十分に乾かすことができず着心地はすこぶる悪い。生乾きの布地に体温を奪われて夏風邪を引いてしまいそうだった。
かつての同居人によって詰められたと思われたそれだが、肝心のアスクからはめっきり音沙汰がない。少し気がかりだが、手紙によれば彼は現在教会との折衝でとてつもなく忙しいということなので仕方がないと思う。むしろそのような状況を作ってしまったことに申し訳なさを感じる。
さて、勇人の事情は置いておいて、今回の包みである。
それは、前回の衣類詰め合わせに比べて随分と小さく薄かった。両手のひらよりも少し大きく、厚みは大体指1本分ほどだろうか。しかもそれなりに重みがある。正直言って、一体何が入っているのか全くわからない。というか、リダ村から送られてくるものといえば恐らく勇人の私物であると思われるのだが、ギター1本でこちらへやって来た上に村で作った財産などたかが知れており、今手元にあるもの以外にそれらしいものは持ち合わせた覚えがない。
勇人は、首を傾げながらその包みをズィルダで貰って以来愛用となっているカバンへしまい込んだ。
「いつも助かります」
「いえいえ、仕事ですからです」
「こちらこそごちそうさまですのです」
「みんなで分けますです」
「いいえ、お気になさらず。……それでは」
そう言って、宿屋の方面へ踵を返そうとしたそのとき。
「あ、あの、フジさん!」
パンの入った包みを抱えたままの少女に呼び止められた。何かまだ用事があったろうかとそちらへ向き直ると、ピンク色というふざけた髪の色をした少女がひとり、至極神妙な顔つきでこちらを見つめていることに気づく。相方はもうテントへと戻ったのだろう。
「あなたに、お願いしたいことがあるんです」
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