幕間6/Good bye on the rocks.2
地元に帰って来て約半年。いずれはこの工務店を継ぐとはいえど、何のキャリアもない放蕩息子にぽんと仕事を任せるほど我が家の父は耄碌しているわけではない。
幼い頃から顔見知りの職人さんについては見様見真似で仕事を覚え、父たる社長の鞄を持っては客先で頭を下げる。その合間にも、仕事場に申し訳程度に設えられた机に向かって資格のために勉強の日々。そういえばそもそもは実家を継ぐための資格を取ろうとして大学に入ったんだっけと上京した当時の自分を思い出したりして……まあ、充実した毎日を送っていると言って間違いないだろう。やらなければいけないことが山積みで、毎朝早くに起きて日が変わってから就寝する。
正直言ってかなりしんどいが、ぷらぷら遊んできたツケなのだろう。30歳にもなるまで勝手を許してくれた両親のためにも1日、いや1分1秒でも早く一人前にならなければ。
と思う反面、東京で過ごした10年余りのあの日々が少しだけ懐かしくもあり……たまにドラムスティックを握っては積み上げた漫画雑誌を叩いたりして。
「あー、次の給料もらったら電ドラ(電子ドラム)買うかなあ。」
そんなしがない工務店の跡取り息子にもちょっとした夢がある。もしこのまま上手いこと家業を継ぎ、そうしていつか結婚して子供が生まれたりして、その息子だか娘だかがまた家業を継いでくれる頃。
「また、アイツとバンドが組みてえなあ……。」
青春と呼べるだろう、東京でのあの雑多な毎日を共に過ごし、そして一緒に夢を見た友の顔を思い出す。互いにいい年をしたおじさんになったと笑えるようになった頃、また一緒にスタジオでああだこうだと言い合いながら音楽ができたらどれほど楽しいだろう。
もちろん、自分が諦めてしまった夢を未だ追いかけている彼がその頃にはすっかりスターになってしまって疎遠になっている可能性は否定できない。
だから、夢なのだ。彼の夢も、自分の夢も、その結果は神のみぞ知る。とはいえ、できるならば、どちらの夢も叶ってくれるといい。ついでに願わくば、自分のそれが実現するときはあのときのメンバー全員が揃っていてくれればいいと思う。1番はじめに去った自分が言えた筋合いではないが。しかし、夢というやつは、願うことを止めたその瞬間に泡とはじけるよう運命づけられているのだ。今度だけは、希望だけでも後生大事にしまっておこうと決めている。
「でもミズキあたりは呼ぶの大変かもなあ。アイツ売れそうだし。」
ひとり小さな笑いを零しながら、タバコを1本、箱からつまみ、咥えて火をつけた。あの親友はこうやってボックスパックからタバコを取り出す仕草を嫌い、ソフトパック派を自称していたことが思い出される。曰わく、パッケージを振るか叩くかして飛び出したフィルターをそのまま咥えるのが格好いいのだとか。わからないでもないが、ソフトパックではタバコが曲がるだろうといつも反論した。
「ちょっと、アキラ、そこで吸わないでって言ったじゃん!」
「あー、悪ぃ。」
「吸うなら外!」
「はいよ。」
2か月ほど前、同じ敷地内に暮らす姉夫婦に待望の第一子が生まれた。可愛い可愛い初姪だ。そのために、我が家はついに分煙化される運びとなったのだった。
などと大仰に述べてみるが、何てことはない。喫煙者である父と自分とがベランダに追いやられ、満を持してのホタル族デビューというわけだ。
姉に追い立てられるようにしてベランダの戸を開けると、そこでは父がうまそうにマイルドナインをくゆらせていた。
「……っす。」
「おう。」
沈黙が少しだけ痛い。実家に帰ってからというもの、父との関係はどちらかというと上司とのそれのようなものになっていた。一抹の寂しさを感じるが、致し方ないことであろうか。
少しの居心地の悪さを感じながら、左手の指で挟んだナインスターメンソールの煙を吸い込む。作業着の胸ポケットに入れた携帯電話が鳴ったのは、そのときだった。
「ごめん、電話。」
「おう。」
上司たる父に断りを入れ、震える携帯電話を取り出すと、そのディスプレイには東京に残してきた親友、その母御の名が表示されていた。
「もしもし?……お久しぶりです。杉山です。」
その電話を受けた15分後、アキラは財布と携帯のみをズボンのポケットに突っ込み、最寄りの新幹線停車駅へと走ったのだった。
そのとき「行け」と一言だけ告げた杉山工務店社長は、久しぶりに父の顔をしていたように見えた。
* * * * *
と、これまでの経緯を話し終わったアキラがウイスキーグラスを空ける。銘柄は、ミズキが誰かの真似をして付け焼刃にちびちびやるものとは違う。国産の、彼曰くこだわりの逸品。
「マスター、もう一杯。」
「はいよ。」
空になったグラスをカウンターの向こうへ追いやり、アキラがようやくミズキの方へ視線を寄越した。黒い髪の先は、染髪剤が褪色したのだろう、不自然に茶色く光っている。
「金髪に戻したんだな。」
「うん、アキラは黒くなった。」
「ま、一応もう社会人だし。」
「……そっか。」
アキラとはかつて毎日のように顔を合わせ、同じ釜の飯を食ったことも多々ある仲だ。共通の大切な友人の事故、そして行方不明という非常な事態ということを差し引いても、半年ぶりに顔を合わせるというのに不思議なほど積もる話などは何もない。沈黙のうちにグラスを持ち上げ、そしてコースターに置くときの鈍い音だけが空間に存在している。
「今日どこに泊まる?」
沈黙が辛いわけではないが、思っていたより早い再会とはいえ、久しぶりの顔だ。何かしら会話でもするべきだと考えたミズキが、口を開いた。
「とりあえずはミヤんちに泊めてもらうつもりで来たんだけど……あー、でももう坊ちゃん寝てそうだなあ。さっき電話したけど出んかったし。したら……」
坊ちゃん、というのは、互いによく知る後輩兼ギタリスト、ミヤのあだ名だ。命名は我らがバンドリーダー不二勇人。アキラが言う通り、確かに彼の夜はいつも早い。それも彼が20代も半ばに差し掛かった年齢でありながら『坊ちゃん』たる理由のひとつとして計上される。
「しゃあねえ、アイツの家にでも行ってみるよ。鍵まだ持ってるし。……あれのことだからひょっこり帰って来っかもだろ?」
「そう、かもね。」
確かに、アキラの言う『アイツ』もしくは『あれ』、勇人にはそういう恐ろしいほどに気ままなところがあった。それでも今は随分落ち着いたというのだから、困ったものだ。
「あ、マスター、お会計お願いします。」
「はいよー。」
提示された金額は、あれだけ飲んで粘ったにも関わらず、思ったよりも安かった。計算違いではないかと口を開こうとしたミズキを軽く手を広げて制止させ、マスターはゆっくりと言った。
「いつもありがとね。今度は、みんな一緒においで。」
「うん、ありがとう。」
アキラから代金をまとめて受け取り、それに間違いがないことを確認するマスターの眼差しは優しかった。改めて頭を下げて、店を辞する。カランコロン、とドアに下げられたベルが音を立てた。
お読みいただきありがとうございます。
アキラの携帯はスマホです。




