幕間5/Good bye on the rocks
本日2度目の更新です。
ポケットから携帯電話を取り出して確認する。画面に表示された時計によれば、先ほど新着メールを確認してから5分と経っていない。ライブハウスのステージにいるときには一瞬で過ぎ去るその時間が、今はずいぶんゆっくりと動いているように感じられる。
(連絡、来ない。)
思うに、この世のほとんどの人間が携帯など持たなかった頃には、もっと世界はのんびりとしていた。待ち合わせの時刻が少し過ぎたくらいではこんなに心が乱されることもなかった。
不景気が報じられて久しい昨今のウィークデーらしく、客ひとり、店員ひとりの店内で、彼女はまた携帯電話のバックライトを点灯させた。やはり目新しい情報はひとつもない。手持ち無沙汰となって、質の良い木製のカウンターテーブルに置かれたコースターの上のロックグラスを手に取る。口元へ運んで少し傾ければ、元々少量の中身はあっという間に空になった。
「マスター、同じの。」
「今日はずいぶんペースが速いんじゃないかい?」
「大丈夫。」
「そうかね。……はいよ。」
背の低い、武骨なグラスには新しい氷と酒が注がれ、マスターの骨っぽい手でもってそっとコースターの上に乗せられた。海を隔てた遠い外国の、海辺の町で作られたウイスキー。その香り高い琥珀色の液体は、彼がよく飲んでいた銘柄だ。
それをひと口含むと、ウイスキーらしい木樽の匂いに混じって、僅かに磯のような海藻の風味が感じられる。もう一度携帯電話を確認する。着信なし。何も進展のないまま、今日が終わろうとしていた。
「しかし、来ないねえ。」
「うん。」
待ち人来たらず。改めて言葉にされると、酔っているせいもあってか少し泣きそうになる。今日の待ち合わせ場所に指定したこの店で、2時間もの間待ちぼうけだった。
「……すっぽかされた、かも。」
「いや、あの子に限ってそんな、ねえ。何かあったのか……。」
涙を零さぬよう気をつけながら、茶化すように自分でも思ってもいない言葉を絞り出すと、マスターはカウンター越しにそれを否定する。同意見だった。彼は、相手への礼儀を何より重んじる。もし何か事情があって来れないという場合、必ず連絡が来るはずなのだ。実際、彼が今まで待ち合わせの約束に遅刻、もしくは反故にしたときは必ず度の過ぎた謝罪と埋め合わせが用意されていた。
「きっとそろそろ来るよ、ミズキちゃん。だからそんな、暗い顔しなさんな。」
「うん。」
そのとき、タイミングを見計らったようにカウンターの上の携帯電話が震えた。酔った手でもたもたとグラスを置く間にもそれは続いている。メールではなく、電話の着信だ。高鳴る鼓動を感じながら、画面に表示されているはずの相手の名も確認せずにボタンを押して応答した。
「はい、もしもし?」
「ミズキ!お前今勇人と一緒か!?」
「なんだ。アキラか。」
左耳に飛び込んで来た聞き覚えのある声に、気落ちしながら返事をする。この声も久しぶりだ。
「なんだってなんだ!……じゃねえ、その感じだと一緒じゃないのか……!」
「……ユート、なんかあったの?」
ただならぬ様子のアキラの言葉に、徐々に酔いが冷めてきた。彼はなんと言っても自他共に認める勇人の親友だ。半年ほど前に喧嘩別れのような形で彼は実家に帰って行ったが、そのくらいのことで彼らの友情は壊れたりしないと知っている。
「なんかあったっつーか、なんつーか……。」
「どういうこと?」
「俺にもわかんねーよ!ただ、さっき奴のお袋さんが連絡寄越したんだ。なんかアイツ、事故ったらしい、けど……。」
事故。ここで待ちぼうけている2時間もの間、その可能性を考えなかったわけではない。
徐々に冷めてきていた酔いが一気に吹き飛んだ。
「……けど?」
「消えちまったらしい。」
「はあ?」
「消えちまった、って。」
「何それ、面白くないよ。」
「俺だって知らねーよ!……詳しくは会って話す。お前、今どこだ?」
「アフターアワーズ。……会って、ってアキラこそ今どこいるの。」
彼はあの後すぐに、新幹線に乗ればすぐだけれど在来線では少ししんどい場所にある地方都市に帰った。送別会だってやった。勇人は参加しなかったけれど。少しだけ寂しそうなアキラの顔は記憶に新しい。
「最終のひかりに乗ってる。あと1時間くらいでそっち着くから。」
言われてみれば確かに、声の後ろが少しやかましい。新幹線のデッキで話しているのだろう。
「わかった。新宿着いたら連絡して。……じゃ、切るね。」
終話ボタンを押し、携帯電話を閉じた。視線を上げると、マスターが心配そうな顔でグラスを磨いていた。
「何かあったのかい?」
「うん、そうみたい。……もう1杯、ちょうだい。」
マスターは何か言いたげな様子だったが、手際良くウイスキーを用意してくれた。
実際、ここで酒なんか飲んでいる場合ではないと自分でも思う。しかし、今のミズキには、新幹線で駆けつけてくるアキラを待つ以外何もできないのも確かだ。なら、これから聞くであろう悪いニュースに少しだけ備えていたって叱られたりはしないだろう。
息を切らしたアキラが店に飛び込んで来たのは、それからちょうど1時間後のことだった。
お読みいただきありがとうございます。
ミズキの携帯はガラケーなのでパカパカします。




