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69話/その頃のズィルダ

「やれやれ……これで何人だ?」

「5組8人じゃ。」

「よく憶えてんなじいさん。」

「まだまだ若いモンには負けんからして。」


 泡の立て続ける金色の酒が満たされたグラスを傾けながら、きししと老人が笑った。それを見て、熊のように大きな体をした店主が息を吐き出す。


「しっかし、全く懲りないもんだなあ。」

「まあそこまでまじに追われてる感じじゃないがの。」


 ここズィルダの町は、トキオンを始点とし、トーキオ州の端、そして州境を越えて北上する北街道、その第1の宿場町だ。周囲にはプレシオスと呼ばれる発光する花の群生地が広がり、その開花時期である真夏には、稀少な光景を求めて各地から観光客が押し寄せる。


「なんだそりゃ。」

「なんというかの……捕まえても命を取るつもりはない?みたいな?」

「みたいな?じゃねえよイイ年したじじいが。」

「流行り言葉を使いたいお年頃なんじゃもん。」


 店主が再び大きな溜め息をついた。相変わらず老人は酒のグラスを片手に笑顔だ。


「……ま、連中もそろそろ諦める頃合かね。」

「じゃの。」


 老人は、微笑みながらぐびりとグラスに残った酒を飲み下した。空になったそれに、店主が素早く次の酒を注ぎ入れる。


 老人の好むその酒は、注ぎたてのときにだけ、雲のような泡が立つ。それが弾けて控えめにぷちぷちと音を立てるのに口をつけるのが、老いた今では何よりの幸せと思えた。


「今日はピーヴォひと樽いってみるかの?」

「やめてくれ!こないだスッカラカンになったストックがようやく元通りになったとこなんだよ!」

「冗談じゃわい。」


 この町が一年で最も賑やかになる季節を前にした、平和な夕方である。ここのところ州都から人を探しているという男たちが度々訪れていたせいで、ふたりにとっては久しぶりの穏やかなひとときに感じられる。

 夜はまだ始まってもいない。老人がゆっくりと、グラスを持ち上げた、そのとき。


「ごめんくださーい!ここに『フユト』さんって人、来ませんでしたか!?」


 平穏は、轟音と共に開け放たれた扉とけたたましく鳴るドアベル、そして同時に飛び込んできた大きな声に打ち破られた。


「言ってるそばからこれだよ……。」

「酒零してもうたわい。」


 ふたりは思わずその声の主の方へ視線を向ける。そこには、走って来たのだろう、肩で息をする少年が立っていた。背中には50センチ四方ほどの荷物を括り付けている。


「その人、黒髪でなんか変な楽器持ってたと思うんですけど!」


 彼が継いだその言葉に、ベンと老人は目を見合わせた。それは間違いなく、先日ふたりが出会い、そしてここ最近見知らぬ男たちが嗅ぎ回っているらしい人物のことだ。また彼への追っ手だろうか。しかし、これまでにやって来た連中が、どう見ても不審と評するに値する様子だったのに対して、この少年は随分と開けっぴろげな雰囲気である。


「俺、あの人を探してるんです!どうしてもあの人に会いたいんです!お願いします!何か知ってることがあれば教えてください!」


 ぽかんと口を開けたまま返答のないふたりに焦れたのだろう、少年がまた言葉を足した。そのただならぬ様子に、もう一度ベンは老人と目くばせをしてから、口を開いた。


「ま、まあ、そんなとこで立ち話もなんだ。そこ座りなよ、あんちゃん。」

「うむ、野次馬どもも集まって来てもうたからの。」


 少年が、老人の言葉にはっとして振り返ると、そこにはズィルダの町民らしい中年の男たちが遠巻きながら視線を寄越していた。




 * * * * *




「で、あんちゃん『フユト』を探してるっつったな?」


 老人の隣の席へと腰掛けた少年へ茶を出しながら、ベンが問いかける。


「はい!どうしても会いたいんです!」

「さっきもそう言っとったのう……理由を聞いても良いかの?」

「は、はい、実は……。」


 少年は訥々と、しかし言葉を紡ぐのを止めることはなく語った。そのうちに、初めは警戒していた聞き手ふたりの様子もゆっくりと変化していく。語られた内容もだが、少年の真剣な眼差しがその言葉に嘘がないと思わせた。


「なるほど、そういうことか……。」

「ふむ。……おお、もう夜じゃの?」


 少年の独白が終わり、表を見ると、確かに老人の言葉通り先ほどまでは山際で粘っていた太陽はすっかり沈んでしまっていた。


「ベンよ、今晩は泊めてやったらどうじゃ?」

「そうだな……あんちゃん、『フユト』を追うにしても今日はもう無理だろう。泊まって行きな。」

「ええっ、で、でも俺、こんなちゃんとした宿に泊まれるほどのお金が……。」


 その提案に少年が慌てていると、ふたりはニヤリと笑ってまた目配せをした。


「構わんさ。特別に、……あいつと同じ条件で泊まってっていい。」

「また楽しくなりそうじゃ。今日はうちのも連れて来てやろうかの。」

「へっ?それって……。」


 事情が飲み込めない少年に、ベンが少年に先日の大宴会とその顛末聞かせてやる。途端に目を輝かせ始めた少年を前に、老人が心底楽しそうに笑った。


「また酒を仕入れにゃならんなあ……。」


 そうぼやくベンの顔も、笑っていた。

お読みいただきありがとうございます。

ひとまずその頃の編はこれで終了です。幕間を挟んでまた主人公に戻ります。

そろそろ餃子にも飽きた頃合いでしょう。

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