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66話/その頃のトキオン-3

突然の爆発回です。

 老人は、その書き付けを眺めながら嘆息した。小窓から取り込まれた橙色の陽光だけを頼りに書き上げたにしては上出来だ。


 トーキオ市最大の繁華街、南大門通りを下り裏道を2本。そこにはひっそりと隠れるようにツタの這う石造りの一軒家が建っていた。その一室が、3方の壁を年季の入った造り付けの棚で覆われ、残りの一面には大きな作業机が設置された、楽器職人コミンズの作業場である。一見しただけでは用途のわからない様々な道具や、修理の材料となるのであろう素材が雑然と棚板に積み重ねられ、収まりきらないものは床にまでその領地を広げている。足の踏み場のない、と形容してもオーバーではないその部屋で、主たるコミンズは先ほどまで書き物をしていたのである。実は彼は、毎日でこそないが、そこそこ頻繁にこうしてペンを持っている。日記のような、忘備録のような、そんなようなものである、というのが最も適切な説明だろう。


 彼は、今一度それの内容を見直して、書き込み終えた自作ノート(適当な不用紙を紐を使って綴じただけの簡素なものであるが)を閉じた。そしておもむろに作業机の足を握ると、その天板の上半分(・・・)が跳ね上がる。よほど注意して観察しなければ他の人にはわからない、彼が自ら仕掛けたギミックだ。跳ね上げられた天板の片割れが元の持ち場に戻ってしまえば、単なる頑丈な一枚板にしか見えない。

 今や曝け出された2枚の板の内側、そこには、少しのものならば仕舞い込めそうなスペースが浅く刳り貫かれており、紐で綴られた紙束が1冊、収められていた。その横に、先ほど書き込み終えたものを並べてまた元通りの机へと戻してやる。


 この家に住む者のみが知る、秘密の隠し場所であった。


「さて、と。……このジジイにもまだちっとだけやることができたみてえだな。さっさとゆっくり隠居でもしてえもんだが。」


 そう呟き、彼は立ち上がる。作業机と対になるようにか、シンプルだが頑丈そうな作りの椅子が、所狭しと転がる素材たちを掻き分けて床の上を鈍く滑った。

 コミンズが後ろ手にドアを閉めたそのとき、ちょうど沈みかけていた太陽がすっぽりと西の山に姿を隠したところだった。




* * * * *




「……うーん、あんまり収穫はなかったわねぇ~。」


 口の広い、華奢な足のついたグラスをそっと左手でつまみ、妖艶に微笑んだ口元でかすかに傾けながら女が言った。その見せつけるかのごとくに胸元の大きく開いたデザインのワンピース・ドレスは海の底を思わせるような深い藍色だ。豊かな金髪はゆるくウェーブを描き、ゆっくりとした挙動の度に肩口で生き物のように流れている。


「そうだね。」


 彼女、サリエステ・ポラリスフィールドがその豊満な肢体を預けているソファは2人掛けだ。

 そのもう片側には、若い男が細身のスラックスに包まれたスッキリとした脚を組んで腰掛けていた。細められたやや切れ長の瞳に、低くはないが筋が通っているとは言いにくい小ぶりな鼻、適度な湿り気でもって整えられた薄い唇、それらは1つひとつをとって見れば珍しくもないが、その配置は非常に整っている。


「まあ、それほどこちらも手間を掛けたわけでもないし、いいけど。……やっぱり、食えない。あの人。」

「わたしは好きよぉ?ああいう人。」

「僕だって好きさ。多分今後も付き合っていくなら、きっとそのうちに尊敬すらする相手だと思うよ。」


 リュース・ミドリカワは左手を少し伸ばし、やわらかな金髪を一束つまんで、毛先へと向かって滑らせた。念入りな手入れのされたその1本1本は全く抵抗なく、指の間を滑り、抜けた。そしてまた次の束をつまむ。


「でもね……誰が相手でも、絶対負けるわけにはいかない。」

「うん。」

「約束、したからね。」


 サリアは、隣の青年の顔にチラリと視線を向ける。今日こそ言おうと思った。わずかに唇を開く。しかし彼は、毛先を弄ぶ手元を見つめたままだ。その思い詰めたような顔を見て、口を噤む。


「……うん。」

「だから。」

「………………。」

「僕は、誰より君を幸せにする。誰より君を……愛してるから。」


 そう言って、肘掛けにもたれさせていた右腕を浮かせ、リュースは逆の向きへ重心を傾けた。柔らかな髪がサリアの肩をくすぐり、それから重みが伝わってきた。今度はサリアの方が、グラスをテーブルへ乗せたあとの軽やかな指先でもってその紅茶にミルクをたっぷりとこぼしたような茶髪にふわふわと絡ませる。そのうちに、青年は目を閉じる。そうして安らかにしている顔は、年齢より幼く見えた。


「わたしも、………………愛してる。あなたのことを。」

「…………ありがと。」


 おずおず発された彼女の言葉を受けてリュースはまぶたを持ち上げ、髪の毛に纏わりつく指先を振り払うように体を持ち上げた。


「あっ。」

「ありがとう、サリアちゃん。」

「リュース……。」

「僕は幸せだよ。だって今も君が傍にいてくれる。」

「っ……。」


 またもサリアは口を噤む。相対するリュースは、満面の笑みを浮かべていた。

お読みいただきありがとうございます。

リア充爆発しろください。

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