58話/その頃のリダ村
主人公不在編になります。
「ですので、その件に関しては何度もお話しした通りですよ」
「はあ」
リダ村教会、礼拝堂裏手の僧房内。応接室とは名ばかりのリビングにて、美貌の中年神父アスク・ヴィーサはため息をついた。州都トキオンでの聖歌隊大会以来、任意の聞き取り調査という名目で教会の下っ端がこの田舎村を訪れるのは、今回で5回目である。どうやら教会では躍起になって消えた男について調べ上げようとしているらしい。そのために、だいたい6日に1度、彼らはこの実りのない任務のために、歩いて半日の道のりを日帰りで往復しているという。ご苦労なことだ。
「何か思い出されたことなどもありませんか?」
「ありませんねえ、どうもこのところ忘れっぽくて……年は取りたくないものですね」
「そうですか……」
「ええ、すみませんね」
上からの指令に振り回される彼が余りに哀れであったので、笑顔を作って片手を軽く上げ、心にもない謝罪をポーズだけとって見せた。
元から話す気などさらさらないのである。
それを知ってか知らずか、おそらくペーペーでは役者不足と思われたのだろう、リダ村へ寄越される使者は回を重ねるごとに少しずつナリが立派な者になっている。権力におもねるようなつもりなど微塵もないアスクにとっては至極どうでもいいことだ。むしろ上の人間になるほど面倒くさい。
しかし、アスクは思う。
(もしあの小娘が来たら少しは楽しいかもしれませんね。……彼が行ってしまってから、少し退屈ですから)
「あの、ヴィーサ司祭様?」
目の前の若い男が、こちらを怪訝そうな目つきで見ている。アスクの年若い友人と、見た感じでは同じくらいの年頃だろうか。ただ、今ここにいない彼の方が比べ物にならないほど興味深い人物であるが。
「すみません、ちょっとぼんやりしてしまいました。何ですか?」
「いえ、ですから」
「せんせー!飯ができたぞー!」
調査員が口を開き、これまでに何度も聞かされた尋問の句を告げようとしたそのとき、リビングのドアが思い切り開き、元気の良い声が飛び込んできた。村で唯一の飲食店、『ラ・リダ』のひとり息子、ハリスだ。
ここひと月ほど、週に1度、子どもたちの授業のない、つまりは給食のない日、アスクは村の家庭に昼食をお呼ばれしている。聖歌隊大会から帰って後、ひとりで食事を摂るアスクが寂しかろうと例によって必要以上に村人たちが気を回した結果の習慣だ。折角の厚意を無下にするのは良くないと、アスクは彼らの誘いをありがたく受け取ることにしていた。今日お邪魔するご家庭はどうもハリスの家らしい。
「おや、もうそんな時間ですか。今日はここまでですね」
「あり、お客さん?」
「いえ大丈夫ですよ、ハリス。こちらはもう帰られますから」
ハリスに声を掛け、立ち上がる。腰を浮かすときに少しだけ安物の椅子が軋んだ。
「司祭様!?」
「トキオンの皆さんによろしくお伝えください」
「しかし!」
彼は、昼食時だというのになおも食い下がってきた。勢い込んで椅子から立ち上がった彼には聞こえていなかったかもしれないと思い、もう一度伝える。
「……くれぐれも、よろしくお伝えくださいね?」
「は、はい……」
ちゃんと聞こえるよう、少し大きめの声で、ゆっくりと発音してやった。彼も、今度はしっかり耳に届いたらしく、返事を寄越す。
いくら教会の上層部にいる連中を好かないとは言っても、こういった挨拶は欠かしてはいけない。礼を欠いては足元を掬われる恐れがあるからだ。
「では、ごきげんよう」
リビングから廊下へ進み、玄関のドアを開けてやると、彼は深々と頭を下げてから去って行った。これからトキオンまでまた歩いて帰るのだろう。夏も近いこの時期にはつらそうだ。
彼のこの後に思いを馳せていると、ずっと静かにしていたハリスがぼそりと言葉を漏らした。
「……にーちゃんが前言ってたこと、やっとわかったぜ」
「ほお、ユートが?どんなことを言っていたんです?」
「アスク先生は……怒ると怖い」
「はて、そんなことないでしょう?それにそもそもユートに怒ったことなんて……」
そこまで言って、ふと思い出した。そういえば彼と同居を始めて3か月ほどが経った頃、1度だけ喧嘩をしたことがあった。今思えば取るに足りない、くだらない言い合いだ。原因すら忘れてしまった。
しかし、彼がそのように思っていたとは。
「あと、『アスクは、意味が分からないことで怒る』とかなんとか……」
「なんと失礼な」
ハリスの声真似はそれほど似ていなかったが、十分に彼の顔が浮かんできた。確かに彼ならそんな口調で話すだろう。アスクは自然と微笑んでいた。否、彼との楽しいエピソードが思い出され、大声で笑い出しそうになったのを堪えている表情だった。
やはり、あの友人は面白い。
できることならば、彼が早く戻って来てまた楽しい日々を送れることを祈りたい。
* * * * *
「ごきげんよう、アスク神父」
『ラ・リダ』にて、ハリスとその母と共にこの村1番との呼び声高い美味な昼食をいただいてから数日。アスクは、己の罪深さを身に沁みて感じていた。先日旅立った友人風に言うなら、『フラグ』という奴だろうか。
「……ごきげんよう。今度はあなたですか」
「ええ、何か差し障りがございますか?」
ここのところ定期的に仕事を果たしている僧房の呼び鈴が鳴った。執務室と名付けた自室にて教会運営のための書類仕事をしていたアスクは、手を止めて来客を出迎えるため立ち上がる。建てつけの余り良くない玄関戸を開けると、若い女が立っていた。
「まさか。ようこそいらっしゃいました」
小娘。先日そう心の中で呼ばわった相手だった。
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