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結局売れなかったバンドマン(29)は異世界で成り上がりの夢を見る  作者: 有柏くらゐ
第二部-1.さすらいのミュージシャンとまだ見ぬ異世界編
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56話/入塾に関して

 農業ギルドの扉を開けると、相変わらず公務員然とした女性が受付に座っていた。ギルド員らしい農家さんたちももうチラホラと姿を見せている。農業ギルドらしく朝は早いのだそうだ。早速受付に行き、勇人は用件を告げた。すると、立て板に水を流すように受付の女性が答えてくれる。やはりピンク姉妹の言うことに間違いはなかったようだ。


「日用品につきましては、当ギルドと提携している商店のリストが掲示板にございますのでそちらをご覧ください。あとは読み書きの習得ですと……。」


 少し言葉に間を空けて、彼女は手元の冊子をパラパラと捲り始めた。茶色っぽい紙を紐でまとめただけの簡単なものだ。そこに様々な情報が記載されているのだろう。


「お待たせしました。現在当ギルドでご紹介できるのはこちらの塾です。」




* * * * *




「ここ……で合ってんだべか。」


 最近は読み書きを覚えたい農民が急増しているようで、問い合わせが多いから心配しなくていい、と親切にも教えてくれた受付嬢の言う通りの道筋を辿ると、その場所にあったのは、どう見ても民家だった。平屋建ての集合住宅。所謂長屋というやつだ。そして、かなりこなれた雰囲気を醸し出している。もっと有り体に言えば、ボロ屋だ。ここで、本当にお姉さんが言っていたところの「塾」のようなものが営業しているというのだろうか。


 行けばそれらしい看板が出ているはずだということだったので、気持ち的には二分信八分疑といったところだが、長屋周囲を調べてみる。

 すると、確かにあるひとつの扉の横にだけ、それらしいものがあった。表札と言った方が相応しいような、遠目では気づかないような質素なただずまいの看板である。ただ、文字が読めないので実際には本当にそれが看板なのかは不明だ。非常に不安だが、仕方がない。太陽の高さはまだそれほどではないが、もう普通の家庭ならば朝食を済ませて働きに出掛けている頃合いだ。早すぎて失礼になるということもないだろう。勇人は年季の入った木製の戸をノックした。


 返事がない。もう一度、今度は少し強めにノックしてみる。


 ……返事がない。やはり道を間違えたのだろうか。ギルドに戻ってもう一度道を教えてもらおうと踵を返した、その瞬間、背後で鍵をガチャガチャとするような音、続いて何かを引きずるような音が聞こえた。咄嗟に振り向くと、先ほどノックした扉が開いており、中から男性が顔を出している。その表情は非常に不機嫌そうだった。寝不足です、と油性マジックで書いてあるような顔だ。


「っせーんだよ朝っぱらから!午前は寝かせろ!」


 訂正する。不機嫌そう、ではなく、実際に機嫌が非常に悪いようだ。ドアから突き出された頭は、ぼさぼさの茶色の髪。人相は寝起きのためか非常に悪いが、そもそもの造形は悪くないと言えるだろう。彼は、ドアの向こうに未だ体のほとんどを隠しているが、おそらく勇人より背が高い。

 悠長に相手の観察などしてしまったが、ここは謝るべき、と勇人は我に返る。


「すみませんでし」

「人が寝てるときにドンドンと……て、あれ?」


 勇人の謝罪を遮り、ドスの利いた声で何かをまくし立てようとしていた男が、急に目を丸くして口をつぐんだ。背後を確認するも、誰もいない。


「ええ、なんで?もしかして……昨日尾行()けてきたんでしょー?やだー!こわーい!」

「……は?」


 何のことだ。両手で口を押さえ、口調を豹変させた彼の言葉が、全く飲み込めない。そもそも初対面なのだ、飲み込めるわけもない。


「いや、あの、ギルドの紹介で……。」

「ええ?……ああこっち(・・・)の仕事の話?やあねえ、それならそうと早く言ってよ~!何?サプライズってやつ?やだもぉー!」

「はあ。」


 未だ何がなんだかわからない勇人の様子を見て気づいたか、男は、首を傾げている。そしてぽんと手を打ち、こう言った。


「やだわあ、私ったら!こんな恰好じゃわからないわよねえ、私よ、ワタシ。サ、ク、ラ!なによー、昨日はもう決まってるとか言っちゃって~。」

「……へ?サ、ク、ラ?」


 桜……バラ科サクラ亜科サクラ属、だったか……などというこの場では全く意味を持ちそうにない知識を記憶の底から引っ張り出したところで、ふと思い当たった。


「……サクラさん?昨日の?」

「ピンポーン!……うーん、その様子だと、もしかしてほんとに偶然なの?なによ、喜んでガッカリ!……ああ、でも困ったわあ。寝起きですっぴんなのよねぇ……。」


 改めて彼の顔を眺めてみると、確かに、目元には昨夜隣に座っていた彼女の名残がある、ような気もする。元の世界でも知識として知ってはいたが、こうして見せつけられると改めて思う。化粧の力とは凄まじいものだと。誤解のないよう言っておくが、別に昨夜の彼女(彼?)がまるで女性のようだったとか美人だったとかいうわけではない。ただ、今目の前にいる男性とは似ても似つかない別人のように見えたというだけだ。


「あ、いえ、気にしませんので……。というか、農業ギルドの受付で、こちらで読み書きを教えていると聞いてきたんですけど、合ってます?」

「私が気にするのよー!……まあ、もう見られちゃったものは仕方ないわね……。そうよ、ここが『桜文塾』。そして私が講師の……サクラよ。」

「いや、それ源氏名でしょ。」

「サクラよ。」


 言い張る彼から無理に名前を聞き出す必要もないだろう。ギルド受付のお姉さんが言うには、リーズナブルな料金でしっかりと教えてくれる塾だということだったし。


「……よろしくお願いします。サクラ先生。」

「こちらこそ。『桜文塾』にようこそ。……あ、でもまた午後に来て!授業は基本、午後からよ!」


 こうして、勇人は『桜文塾』に入塾することと相成ったのだった。

お読みいただきありがとうございます。

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