4話/その笑顔が、眩しい
2018/08/31更新
「聖歌隊大会のお知らせ……?」
黒っぽく硬いパンに葉野菜と塩漬け肉を煮込んだスープというシンプルな昼食を口に運びながら、アスクは郵便屋(兼業農家)の持ってきた速達の封を開けた。
「ほんにゃのあるんふね」
勇人もまた、パンをスープに浸し、口に運んで咀嚼しながら答える。実家なら、母親に行儀が悪いとたしなめられるに違いない。
ここ半年ほど、居候として教会で暮らしている。食事はアスクか勇人かが仕事の片手間に用意するもので、もっぱら村民たちから分けてもらった野菜や卵、そして保存食の肉で作るスープに、行商人から安く買った保存の効くパンかショートパスタという質素な献立ばかり。始めの頃こそ現代日本との食生活の差に戸惑ったが、貧乏飯に慣れたフリーター兼バンドマンであり好き嫌いもない勇人はすぐに順応していた。
不満らしい不満といえばたまに酒とタバコが欲しくなるくらい程度のものである。村民に聞いた話によると、どちらも存在していて買うことは出来るらしい。しかし教会に居候し、村民のお手伝いというバイトとも言えないような収入源しか持たない勇人には残念ながら手の届かない情報だった。それに、健全な生活がもたらすすっきりとした目覚めはなかなか気分がいい。
「ええ、年に一度あるかないかという不定期ですが。だいたい大きな都市の司祭あたりが主催で行うんですよ。大きな教会には大抵立派な聖歌隊がいますから、その自慢と自分の出世のためのアピールですね。うちではこんなに素晴らしい聖歌隊を育ててますよ、そしてこんなに大きな大会を運営する能力もありますよ、という」
「へえ……」
出世だのアピールだの、宗教組織も大概にして会社やなんかとあまり変わらないらしい。とはいえ三十路にして会社勤めをしたことのない勇人には、会社組織の人間関係すら想像上のものでしかないが。
聞けばアスクも司祭の位にあるらしい。ただ出世には特に興味がなく、出世欲の深い同僚たちとも疎遠だという。
「信者さんたちの穏やかな生活を見守りながらそれなりに生きていければそれでいいので。権力なんてあっても使い道が思い浮かびませんし」
ということで、出世欲に目の眩んだとある司祭によってこのような小さな村の神父に追いやられているらしい。
勇人にしてみれば、彼のような人物こそトップにいるべきと思えるが。
「それがどうしてうちみたいな小さな村の教会に届くんでしょう。聖歌隊なんているわけがないでしょうに。お断りの返事を書くのも手間なんですよねえ」
アスクは手紙の内容にざっと目を通しながら会話を続け、二枚目に目を通すべく便箋を捲った。
「……これはやられましたね」
「どうしました?」
「我が村の聖歌隊に招待枠として参加して欲しいとのたまっています。「ここのところ貴殿の教会から素晴らしい歌唱が聞こえるともっぱらの噂だ、是非とも参加して欲しい」とのことで。……今回の主催はトーキオ第二教会の司祭なのですが、神学校時代からよく絡まれていた相手でして。大方、自身の教会が持つ聖歌隊で圧勝し、敗者の将たるわたしの無様な姿を見て笑いたいのでしょう」
続けて「全く、相変わらず自分の価値観でしか物を見ない子だ」と溜め息をつく。
「わたしにとっては教会の連中にどう思われようがどうでもいいのに」
アスクは左手に持った手紙を力なく振りながら呟いた。
「……それにしても、その聖歌隊って、もしかして……」
子どもたちはここ最近、休日に限ってだが、ユートの伴奏で朝の礼拝の際に聖歌隊の真似事のような形で歌うようになったのだ。子どもたちは、ユートの指導により、持ち前の素直さでぐんぐん合唱のクオリティを上げていた。村民の他、行商に訪れた宿泊者たちも礼拝に参加していたため、そのことがトキオンまで伝わってもそこまで不思議ではない。
「ユートと子どもたちのことでしょうね。確かにユートのおかげで皆音楽に親しんでいるようですが、彼の欲を満たすための大会にあなたたちを呼び出すとは……。こんなこと、無理を通してでも断らせてもらいましょう」
「いや、アスク、少し待ってください」
この話を断れば、アスクは折角の誘いを断ったとして教会内での立場を悪くするだろう。上司や同僚からの評価などどうでもいい、と本人は言っているが、必要以上に悪印象を与える必要はない。勇人は、アスクにあまり辛い思いをして欲しくなかった。それ以上に。
「明日子どもたちに話をしてみましょう。そもそもあの子たちに来た話です」
これは子どもたち、つまりユートの教え子たちへの出演依頼である。どんな思惑があったとしても。ステージで歌うという経験の貴重さを勇人はよく知っていた。嵌められたとはいえ、まずは本人たちの気持ちを蔑ろにもしたくない。
「しかし、他者と比較されて、おそらく辛い思いをするのは子どもたちですよ?」
「そうかもしれません。でも、もし負けてしまったとしても、きっと素晴らしい経験になります。俺も、精一杯フォローをして、あの子たちに惨めな思いなんてさせないつもりです。もちろんアスクにも」
「……ユートがそういうのなら、彼らの意志によっては参加してみるのもいいかもしれませんが……」
手に摘まれたままのパンを口に放り込み、咀嚼しながらアスクの顔を見やると、彼は、少し困ったように笑っていた。
つられるように勇人も微笑んだ。
* * * * *
「というわけなんだけど、どうだ?」
いつもの様に、朝の礼拝の後集まった子どもたちを見回して、勇人は口を開いた。内容は、昨日の速達、「聖歌隊大会」についてだ。トキオンで教会主催の聖歌隊大会に招待されたこと、そこで歌ってほしいと頼まれていること、ただしコンクールであるから、他の参加団体たちと比べられて勝敗が付けられることになること、ひょっとするとものすごく悔しい思いをするかもしれないし、泣きたくなるよりもつらいことになるかもしれない、ということ。隣に座る子と顔を見合わせ、勇人の一言一言を噛み砕き、一人ひとりがよく考えているようだった。
「州都に行けるのか?」
「そうだ」
「そこで歌うの?」
「そうだ」
「お歌に勝ち負けなんてあるの?」
「時と場合によってはな」
「ユート先生たちも一緒?」
「もちろんだ」
ユートの生徒たちは、28の瞳を例外なく輝かせながら声を揃えて答えた。
「行ってみたい!」
(これは……もしかするともしかする、か?)