44話/変わらないもの
7/9 改稿
2025/03/05 修正
酒場の扉に据え付けてあったベルが、カランと乾いた音で鳴った。もう夕刻だ。来客だろう。ベンが威勢よく挨拶をしている。
一方勇人といえば、トイピアノをだいたいいじり終えたので、カウンター席の隅に陣取って、少し早目の夕食をとっているところだ。
「よお、じいさん、今日はずいぶん早えじゃねえの」
「今日はばあさんが孫に会いにトキオンに行っとってな、お目付役がおらんのよ。おーるおっけー?」
「おいおい、大丈夫なのかそれ……。ピーヴォでいいか?」
カウンターの、勇人から3つほど離れた席に腰かけた老人は、店主であるベンとの会話から察するに、ここズィルダの町の人間のようだ。痩せ気味で背筋が少し曲がっており、うっすらと生えた白髪が頭部にくっついている。コミンズのようにド派手な服を着ているわけでもないし、見た感じ特筆すべき点のなさそうなおじいちゃんである。
勇人は食事を再開した。先ほどベンが大鍋で煮ていたスープだ。良い香りがしていたので楽しみにしていたのだ。実際に、期待を裏切らぬ味で満足である。
もちろんベンが鼻を擦った後、手を洗わせた。
トン、と小気味良い音をさせて、ベンが老人の前に大振りのグラスを置く。透明なガラスの中には、たくさんの気泡が生まれてはぷつぷつと弾ける、どこかで見たような黄金色の液体が満たされていた。もちろん、グラスの飲み口は、雲のように真っ白な泡が覆っている。その白い帯の幅は3センチ程だろうか。
パーフェクト。パーフェクトである。大事なことだから3回言う。パーフェクトである!
「おーせんきゅー!」
「無理して流行り言葉使おうとしてんじゃねえよ」
呆れたようなベンの言葉を無視して、老人はビールがなみなみと注がれたグラスを口元へ寄せ、一気に傾ける。豪快に喉を鳴らして飲み込み、堅い木でできたカウンターテーブルにグラスを置くと、先ほどの半分程までに中身が消えていた。いい飲みっぷりだ。
泡で口にヒゲを付けた老人を見て、あっという間に飲ビール欲に負けた勇人は、自分にも老人と同じものを出してくれるようベンに頼むと、二つ返事ですぐに用意してくれた。
「へいお待ち!」
異世界に来てから初めてのビールである。見た目は先ほど述べたとおり、完璧だ。期待に胸が高まるが、もし思ったものと違ったらそのショックは計り知れないので、深呼吸をして一度気持ちを落ち着かせる。そうしてから、勇人は意を決してビールグラスを握り(ビールは泡が消えないうちに飲むこと!)、魅惑的な金色のそれを喉に流し込んだ。
「ぷっはあ~!くうー!やっぱ人生この時のために生きてるようなもんだね!」
「おっ、にいちゃんいける口じゃの!」
「おとうさんこそ!」
ビールは裏切らない。たとえ異世界でも。
その思いを強く胸に刻み込んだ。
今度ビールの歌でも作ろう。黄金に輝く俺の愛とかそんなタイトルで。
スープの中から芋をひとかけ掬い上げて咀嚼し、嚥下して、またビールをひと口呷る。今度は、先ほど勢いのままに口内を通り過ぎていったそれをゆっくり味わった。見た目は黄金に輝くピルスナービールそのものだが、味は日本で大手メーカーが生産販売しているものとは少し異なっている。のどごしはそれほど爽快ではないが、味や香りがもっとふくよかで、ヨーロッパで作られているビールに近い。若い頃入り浸っていたビアホールでこんな感じのベルギー産ビールを飲んだ気がする。
「そういえばベン、さっきここから懐かしいのが聞こえとったが一体どうしたんじゃ?あのばばあが死んでからめっきり聞かん音じゃったが。お前アレ弾けたんじゃったか?」
「あーそりゃ俺じゃなくてこいつの仕業よ。ここで歌うからアレを貸せってさ、図々しいことに」
老人の疑問に答えながら、グラスを磨くベンが勇人の方へあごをしゃくった。
「ほー!そりゃ楽しみじゃのう。アレの音も久々じゃわい」
「おとうさんはここのおばあさんの演奏を聞いたことがあるんですか?」
「おう、だいぶ昔の話じゃが……ばばあも年取ってからは店では弾かなくなったからのう。20年前くらいか、ワシも当時はまだピチピチじゃった」
「その頃じいさんはもう初老だろうが」
「そうじゃったかの?」
「いや、今でもお元気じゃないですか」
「ほっほ、まだまだ若いモンには負けはせんぞ。なうなやんぐじゃからして」
そう言いながら老人は空になったグラスをベンに差し出した。それを見て勇人も同じようにおかわりを頼む。ほどなくして新しいビールがふたりの前に用意された。
通りに面した窓から外を眺めると、先ほどまで少しだけ残っていた夕日の残滓はすっかり消えて、町の灯りだけが照っていた。そろそろ客が入る時間だ、とベンが呟くと、見計らったように入り口のベルが鳴るのだった。
* * * * *
初めのうちこそ、冒険者風の旅人たちが2、3組来客したが、この店のメイン客層は最初に来た老人のような、地元の人間らしい。トイピアノで演奏しつつもちらちらと店内の様子を伺って大体1時間、勇人はそう判断した。特に、そこそこ年配の男性が多い。
店内はほぼ満席、人数にして20人くらいか。これだけの人数をひとりで回すベンはなかなかどうして優秀なようだ。そして、勇人にとってはこちらが大事なのだが、トイピアノの上に乗っけたおひねり用の空き缶。その中身と言えば……銅貨が1枚、革貨(革製コイン)が4枚。日本円に換算するなら千四百円也。以上である。なんとなくしょっぱい。
「にいちゃん、いい声だねー!よかったらこれ!」
「あざっす!」
「おおーいい飲みっぷり!」
入らないおひねり、その代わりのように酒がどんどんやってくる。正確な数は数えていないが、多分10杯近くは飲んでいると思う。これはこれで嬉しい。
こちらの世界に来てから本当に酒に強くなった。昔だったらミズキに説教をくらった上に水を掛けられるレベルで酔ってもおかしくない量のアルコールを摂取しているが、まだまだ全然余裕だ。
始めのうちこそ、旅の冒険者風のお客なんかが貨幣をひょいひょいと投げいれてくれたのだが、だんだん地元の人間が増えるうちに、誰かが酒を一杯奢ってくれた。それをガッと飲んだら、勢い込んで飲み切ったおかげか、酒ばかり奢られているというわけだ。
今も、奢ってもらったビールを飲んだだけで歓声が上がる始末。曲よりこっちの方がウケているんじゃないかと思える。ていうか誰も歌など聞いていないんじゃないか?いや、いいのだ。酒場はみんなが楽しくやるための場所だ。
ええい、ままよ、と勇人は昼間にベンに披露した聖女の曲(長調、ベンの祖母仕様(仮))を演奏することにした。勇人自身、この曲は結構気に入っているのだ。我ながらアレンジもうまくいったと胸を張れる。みんなが楽しんでいるなら、自分も歌って楽しい曲にしよう。
イントロが終わり、メロディに歌詞を乗せる。歌いながら、やっぱりいい曲だと思っていると、先ほどまでざわつきでは言い足りないまでに賑やかだった店内が徐々に大人しくなっていき、ついには凪いだ湖面のように静まり返った。
「ばばあの歌じゃ……」
カウンターの老人が、ビールのグラスを持ったまま呟く声が聞こえる程に。
お読みいただきありがとうございます。
ご感想くださった方、ありがとうございました。
ベルギーのピルスナーが結構好きです。




