43話/聖女の面影
8/20 改稿
2025/03/05 修正
この曲の解釈をするとき、ほとんどの人々が、勇者の亡骸に聖女がひとしずくだけ涙を零した、という神話的エピソードからか、ほとんどが聖女と勇者の悲恋の詩だと思っている。勇者を失った聖女が歌ったのだと。
なぜかこの世界の人々は、勇者と聖女には切ないラブロマンスがつきものだと思っているようで、切ない表情で竪琴を爪弾きながら歌う聖女の絵画はトキオン第二教会にも飾られていた。中には聖女と勇者の憎悪にまみれた殺伐関係などと言うひねくれ者もいるが、それはそれで置いておく。解釈は自由だ。
「しっかし、当時は全く気にしなかったけどよ、今思えばあのばばあも何でこんな暗い歌で孫を寝かしつけてたかねえ。……まあ悪ガキだったからなあ、ばあさんなりに文句のひとつも言いたかったのかねえ」
「いや、暗いとも言い切れない」
マイナーコードを多用した物悲しいアレンジの伴奏で歌われることが多いが、メロディ自体は短調とも長調とも分類しがたいし、歌詞だって綺麗な言葉で書かれている。暗いというのは聞き手の解釈によるものだ。
「どういうことだ?」
「例えばこうしたら……」
伴奏をメジャーに転調させて少し演奏してみる。悲哀を感じさせたメロディだったはずが、逆に暖かみすら感じるような柔らかい雰囲気になった。
「ほんとに同じ曲か?雰囲気が違うな」
「だろ?それかこうとか……」
次はサビ(と思われる部分)の旋律を少しだけいじり、マイナースケールだったものをメジャースケールへと作り変えた。
「おお、全然違う」
「まあこれはメロディもちょっといじってるしな」
「そうなのか。でも全然変じゃないというか、いい曲だな」
ベンの言う通りで、思ったよりもはまっている。なんだか某海外アニメ映画でヒロインがいきなり歌い出しそうな曲だと思ってしまったのは、気のせいだろうか。
しかしこれで妄想の域すら出なかった勇人の仮定が少し現実味を帯びてきた。
「これだけでも印象はだいぶ変わるし、歌詞自体も解釈次第だし……」
「すごいもんだなあ」
「おばあさんはこの曲を優しい歌だと思ってたんじゃないかな」
「どういうことだ?」
「まあ、これは全部俺の推測に過ぎないから話半分で聞いてくれ。……あ、仕事に戻るなら手を洗ってほしいな」
すっかりトイピアノに聞き入っていたベンは、言われた通りに手を洗ってから、鍋で煮込んでいる料理にスパイスを加え始めた。酒場の内には、さらに良い香りが漂ってくる。
「この曲は一応、聖女が歌った歌、ということになっているんだろ?」
「一応っつうか聖女様が歌った曲だからな」
「まあ、この際それは置いておこう。さっきメロディや伴奏を少しいじって明るい曲調にしたとき、妙に自然だったよな?」
勇人の問いかけに、ベンは頷く。
「もし、元々はそっちの曲だったって言ったらどうする?」
「はあ?そんな馬鹿なことあるかよ!」
「だよな。……オッサン、聖女がこの曲を歌うときに使ったっていう楽器、知ってるか?」
「あれだろ、あの、聖女様がよく絵で抱えてる」
「そう。竪琴だ。実はあの楽器は……」
途中で言葉を切り、勇人はトイピアノで音階を奏でた。鍵盤まん中あたりのCから1オクターブ上のCまでの白鍵を順番に。簡単に言えばドレミファソラシドだ。
「この音しか出ない」
「それがどうしたってんだ?」
高校の頃の音楽の授業で、楽器の発展を学ぶ機会があった。ハープのような弦楽器は、かなり古くから存在しているタイプだ。なんでもメソポタミアとかの頃からあったという。しかし張れる弦の数に限りがあるためか、中世になるまで奏でられる音階はピアノなどで言うところの白鍵の音のみ。全音階のみであった。今では改良が重ねられて半音階が演奏できるものも登場している……というのが勇人の頭の中にある知識である。
そしてこの世界がほとんど、地球と同じような文明、文化の発展をしているということは確認済み。音楽もそうだ。元の世界よりややカジュアルなものもあるが、似たような教会音楽が発達している。そういった事情を鑑みると、時代的に、聖女の竪琴が半音階を奏でられたとは思えない。それに、本当に絵画に描かれたような竪琴を使っていたなら、あれは半音階など到底奏でられそうにない見た目だった。
「他の音も使わないと、この旋律は奏でられないんだ」
言いながら、勇人は聖女の曲のサビを演奏してみせる。いくつかの黒鍵を叩かなくては作ることの出来ない調べだ。
「しかもこの曲は聖歌として結構昔からあるんだろ?」
竪琴の件の他にも、勇人は違和感を感じていた。この世界に来て、聖歌隊大会に出場して、この世界でも教会の古い聖歌は全音階しか使っていないということに気づいていた。それならば大昔の聖女自身が歌ったなどといういつかわからないほどの年代物の歌が、半音階を使って構成されているのはいかにもおかしな話ではないだろうか。そしてこのメロディは、全てを全音階に直すと、明るい響きの長調になる。
「ああ、こんなに人気が出始めたのは割と最近らしいがな」
「やっぱり」
「やっぱり?」
「誰かが、この曲を短調に書き換えて、悲恋の曲という触れ込みで流行らせたんじゃないかな。もしそうならそいつの目論見は大成功だな」
仕掛け人に何か得があるとは思えないが……いや、名前は売れたかもしれないな。羨ましい。
「はあ~、すぐにゃあ信じられねえ話だな」
「俺の勝手な推測だから根拠もないし。話半分で聞けって言っただろ?」
「いや、でも面白い説だ」
「……でだ。今までの話を踏まえて、当時演奏されていたと思われるのがこれだ」
先ほどはサビだけを演奏したものを、今度は始めから、そして聖女の持つ小さな竪琴の音域を考慮して鍵盤の白鍵のうち真ん中の1オクターブ半ほどだけを使い、アルペジオで伴奏を、メロディは歌う形でお披露目する。
「悲しい歌には聞こえねえ」
「だろ?」
物言わぬ姿となって帰ってきた勇者に対する聖女の言葉。長調にしてみると、散々言われていた悲恋やなんかより、聖女の母のような暖かさが際立つ。
この歌には、「なにもこわくない あたたかいひにつつまれて」という歌詞がある。
歌はここで終わっている。しかしおそらく。
「その続きは『ゆっくり、おやすみなさい』なんじゃないかな」
ベンがまた、手で鼻を擦った。
お読みいただきありがとうございました。




