42話/泡沫は夢か
8/20 改稿
2025/03/05 修正
勇人の提案は、宿屋1階の酒場で歌わせてもらい、そのおひねりを宿代として納めてもらうということだった。
勇人としては、『ラ・リダ』での実績を考えて流石に宿代くらいはもらえるように努力するつもりであったし、たとえ不発であってもいくばくかの収入があるつもりでの提案だったのだが、ベンにとってはお遊びでも構わないような対応だった。
勇人は奮起した、とはいえトキオンの聖歌隊大会で悪目立ちをしてしまったので、いつものようにギターを使って弾き語りをすることはしばらく控えなければならないだろう。折角アスクたちのはからいでここまで逃げてきたのに見つかってしまっては元も子もない。
しかし歌だけというのも寂しい。勇人は宛がわれた部屋にギターを置き、一度今晩のステージとなる酒場をチェックしに行った。先ほどチラッと見たとき、部屋の隅になんだか使えそうなものが設置されているのを発見していたのだ。
「オッサン、これ使っていいか?」
「あ?……おう、勝手にしてくれ。だいぶ古いから使えるかわからんぞ」
酒場の隅っこにひっそりと置かれたそれは、予想通り小さな鍵盤楽器だった。リダ村にあったオルガンより小さい。古びた布でカバーのかけられたそれの蓋を開け、鍵盤を軽く叩いてみると、カーン、と予想外に煌びやかな音色が鳴った。ピアノ線の代わりに金属管をハンマーで打つ、元の世界でいうトイピアノのようなものだろう。勇人も小さい頃祖母の家にあったもので遊んだことがある。
鍵盤数はかなり少ない。現代の持ち運べるキーボードの主流である61鍵もない感じだ。数えたら36鍵、丁度3オクターブ分だった。これでベース音とコードを弾くのはやや難しいかもしれない。音も可愛い音色の割に音量が大きくてなかなかうるさいし、精々パワーコードがいいところだろう。
1音1音弾いて確かめてみると、ところどころ音に濁りやピッチのずれがある鍵盤があった。管が錆びているのかもしれない。しかし、これは中々の出物だ。
「仕事してるとこ悪いけど、ちょっとうるさくなるかも」
「仕方ねえなあ。まあミラの男だから大目に見てやるよ。好きにしな」
「え、ミリアンさんとはただの友達だよ」
「えっ?」
まあ、好きにやらせてくれるというので遠慮なくトイピアノ向けのアレンジをしながら練習をさせてもらう。弾いていると、アルペジオなんかにはもってこいの音色だと感じる。幻想的な雰囲気だ。日本に帰ったら機材としてトイピアノを買おうと心に決めた。その機会は多分しばらくないけれど。
厨房の方からいい匂いが漂ってくる。ベンが大きな鍋をかき混ぜながらポツリと言った。
「しっかしあれだなあ、それ、ちゃんと音鳴るんだなあ。ばあさんが死んでから誰も触ってなかったが……」
ベンが言うには、昔、彼の祖母が弾いていた楽器なのだという。評判も上々で、当時はこれが目当てで飲みに来る客も少なからずいたとか。
「そうか……おばあさんに会ってみたかったな」
「口うるさいばばあだったぜ」
「そうかい」
少ししんみりしてしまった。
「おばあさんは、ここでどんな曲を弾いていたんだ?」
「そうだなあ……あんまり覚えちゃいねえが……だいたいは聖女様の歌だったかな。メロディがキレイな曲が多かったってのは思い出せるんだが」
「聖女様か……」
聖女の曲は総じて美しいものが多い、というのはアスクの談だ。しかし勇人がこちらの世界に来て覚えた曲のレパートリーはほとんどが勇者の聖歌だった。聖女の曲も知らないわけではないが、はて、どんなのがあったか……と頭の中の引き出しを1つずつ開けて探していく。折角だからトイピアノで聖女の曲を弾いてみようと思った。美しい旋律はこの楽器の音色によく合うだろう。ベンの祖母もそう考えていたのではなかろうか。
数秒の後、勇人はひとつの曲を選んだ。
聖歌隊大会で、エリィが歌った王女の恋、あのパートのアレンジをするときに参考にした、有名な聖女の曲だ。あの王女の想い人であるカレーの勇者より、もっとずっと昔の勇者のことを、聖女が歌ったという曲。
元々がひどく叙情的なメロディだが、演奏するトイピアノの、経年による僅かな音の歪みによってさらに物悲しさを増している。鍵盤を極めて優しく叩くと、その力加減を適切に伝えたハンマーによって、鋭かった金属の音は、やや穏やかになり、ほんの少しだけ残響を残して儚く消える。聖女が瞼の裏に描いた泡沫の夢のようで、零してしまった雫のようで、この曲になんとも似つかわしい。
この曲はアスクが教えてくれたもので、その背景にある伝承をもその際に知っていた。
聖女が送り出したこの勇者は、旅の途中で死んだのだそうだ。魔王の元にも辿りつかず、名も無き森で、ひっそりと。見つかったのが僥倖とさえ言えるような状態で。変わり果てた勇者が戻ってきたとき、聖女は1滴だけ、涙を流したという。
そこで言い伝えは終わっている。
「この曲、ばあさんも昔弾いてたような気がするなあ……」
1曲弾き終わると、ぐしっと鼻を擦りながらベンが言った。勇人は、彼が調理を再開する前にその手をちゃんと洗うか見張ることにする。
「そうかい」
「俺がチビの頃、昼寝のときにこの歌を聞いた気がするんだよな」
「昼寝のとき?」
「おう。なんでこんな悲しい曲なのか知らんが」
この歌の歌詞は非常に抽象的である。耳障りのいい言葉を意味深に見せかけて並べたような、神懸かった出来の旋律に対して、悪く言えば当たり障りがない歌詞だといえる。花が咲き、小鳥がさえずる楽園を舞台にした、思わせぶりな言葉遊び。それだけに、この曲は聞く人によって内包する物語が変わる。
愛する勇者を失ったにも関わらず、聖女という立場があるゆえに、秘めた想いを口にすることもできず、ただただ想像の楽園では共に幸せになりたい、という聖女の乙女チックな妄想説が今のところ主流らしい。ベッタベタだが、まあ無理のない解釈ではないだろうか。あとは、勇者の後を追った聖女が最期に見た光景だとか、トンデモなところで、勇者という邪魔者が消えた今、世界はわたしの楽園とばかりに聖女が歌っただとか(そんな性格の聖女、絶対嫌だ)……解釈の仕方は千差万別である。
しかし、子守唄にはなるだろうか。少し考えてみて、ふとある仮説に辿りついた。
この歌には、「なにもこわくない あたたかいひにつつまれて」という歌詞がある。
お読みいただきありがとうございます。
実家のトイピアノは思い切り鍵盤を叩くとかなりうるさいですが、そっとたたくと壊れかけのオルゴールの様な音が出ます。




