幕間4/あるバンドが解散した夜
元々第1話にしようと思ってた奴を前に短編で上げたものです。また少し書き直しました。
以前お読みいただいた方には大変申し訳ありません。
8/20 修正
幾度と無く訪れ、否、半ば根城のようにすら感じていたいつもの小汚い楽屋が、そのときばかりは水を打ったように静まり返っていた。静まり返っていた、というのは言葉のあやである。もちろん、次の出演者たちの演奏する楽曲は耳に届いている。
「ごめん、もっかい言って」
不二勇人は、放り込まれた言葉を反芻しきれずに吐き出した。向かい合った相手は、あからさまにムッとした表情で、もう一度、今度はことさらゆっくりと一言、一言、しかし簡潔に言った。
「地元に戻って、実家継ぐことにした。俺、もう30だし」
20代のほとんど全てを共に過ごした相手、アキラの誕生日は先月の半ばだった。仲間うちでささやかながら楽しい一夜を過ごしたことは記憶に新しい。
「…………えっ。じゃ、じゃあお前、ミーツはど」
「やめる」
なんで、とかどうして、とか何の意味も持たない疑問詞ばかりが口をついては出て行く。
アキラが言うにはこうだ、学生の頃からだらだらバンドを続けて来たけれど、30歳になって将来のことも考えたくなった。そんなとき実家から「帰ってこないか」と久しぶりの電話があって、色々考えたけど、夢を追うのはもうやめる。
ここのところアキラがなにか辛気くさい顔で口を開こうとするたび茶化していたが、これか。
「なんで相談してくんねかったんだよぉ……」
「ヒトの話、聞こうとしんかったんはお前だら。よっく考えろよ、……俺たち、今年30になんだぞ!10年以上やってきて、バイトとスタジオの往復でロクにライブもない!ファンだって大方ヨソに取られちまってノルマは持ち出し!企画に呼ばれんのだって久しぶり!未来なんかねえよ!……やっと、気づいたんだよ」
「そっ、そんなの、わっかんねえじゃんよ!」
「…………言うと思ったよ。……そうだって、俺もずっと思ってたよ……!でもな、もう俺には無理だ」
言うべき言葉も、言いたい言葉ももうなかった。
「でも、お前らとやってきてほんと楽しかった。……月末には引っ越す予定。……こっち遊びに来るときは、連絡くれや」
言いながら、アキラは楽屋の隅に置いておいたスネアドラムとペダルのハードケースをキャリーに積み込み、テーブルの上からスティックケースを持ち上げた。ケースを吊り下げた右手で、ずり下がってきたメガネを上げる。見慣れたアキラの癖だった。
「遊びになんか行がねよ」
「そうかい」
「ツアーでおめのどご、回ってやっかんな。そんどぎぁ、死ぬほど酒奢らせっかんな……っ!首ったまぁ洗って金貯めて待っどげ!」
「……そうかい」
そのまま楽屋のドアを開け、手を振ってアキラは出て行った。ドアが閉まる瞬間、アキラの黒縁メガネ越しの瞳がこちらを見ていたような気がした。
再び室内には静寂が訪れる。勇人は残った2人に視線を投げかけてみた。
「気ぃ遣わなくて、ええんやで」
「…………先月くらいからアキラさん、悩んでる、みたいなことはうっすら……」
「こないだ聞いた。やめるって」
少しおどけてみせると、二者二様の反応を示した。やはり勇人だけに伝えていなかったらしい。いつまでたっても夢を見ている友人に、うんざりしていたのだろうか。
「新しいドラマー、探さねどなあ」
「……そのことなんすけど……俺、実は地元の市役所受けてて……一昨日、受かったんすよ」
申し訳無さそうにぼそぼそと話すギタリストのミヤは、勇人やアキラより5歳ほど年下の最年少である。公務員だろうが、サラリーマンだろうが、まだまだ人生を棒に振らずにすむ年齢だ。
そんなミヤですら、今後の食い扶持を考えるくらいには、このバンドは終わりのにおいがしていたのかもしれない。
出会った当時の、東京に出てきたばかりで右も左も分からない田舎少年だったミヤが思い出された。学生時代のサークルのツテで半ば無理やりバンドに引っ張りこんで5年。「一緒にプロを目指そう」と言ったら、ミヤは文字通り目を輝かせて勇人たちにくっついてきた。あの少年の未来を、勇人たちは目減りさせてしまったのかもしれない。
「……そが。公務員になんの?」
「悩んでたんすけど……、でもアキラさんもほんとにいなくなっちゃったし」
「わかった。ミズキは?」
「私は、……チクタクから誘われてる」
『チクタク』は、勇人たちより少し平均年齢が若いバンドだ。この界隈ではシーンを牽引している売れっ子だと言える。去年ベーシストが抜けて以来、ミズキはサポートメンバーとして駆りだされていた。噂によれば、レコード会社からデビューのお声もかかっているらしい。
「チクタクかー。……正直うちのバンドにはもったいなかったくらいミズキは上手ぇがんな。頑張れよ」
「まだ返事はしてない」
「行けよ。正直アキラとミヤが抜けちまったらうちはやべぇ。……俺に変に気ぃ遣ったりすんだけはやめろ」
「ユっ、わかった。……チクタクに入れてもらう」
ミズキは、何か言いたそうにしながらも、決意したことを示すように力強く頷いて見せた。あまりに強く頭を振ったからか、黒髪のロングヘアーがわさっと揺れている。
初めて会ったとき、ミズキは金髪と見紛うような明るい茶髪で、当時流行っていたオシャレなカットのショートヘアだった。だいたい3年ほど前か。勇人が少し背を伸ばして通うようになったジャズバーのカウンターで、23歳だった彼女は一人でウイスキーを飲んでいた。それはちょうど前のベーシストがバンドから脱退した頃で、「いいベーシストがどっかにいないか」なんて話を顔馴染みになり始めたマスターにぼやいたら、「わたし、ベース弾ける」と左隣りから予想外の答えが返ってきた。
驚いてそちらに視線をやったときに、同じようにパッと顔を上げたミズキのただずまいが妙にサマになっていたものだから、即決でスタジオ練習に誘ってしまった。そのときは少し酔っていたし、紅一点としてある程度弾いてくれればいいかな、なんて思っていたのだが、約束通り素直にスタジオにやってきたミズキの演奏で度肝を抜かれたのだった。驚きで口をぽかんと開けていた勇人たちに、「並くらいには頑張れると思う」などと言い放ったミズキは3年あまり一緒にいても掴み所のない女だ。
そのくせ、勇人が半ば冗談で「女ベーシストはやっぱり黒髪ロング」などと言ったらその次回には髪を黒く染め、ロングのエクステを着けて現れたりする。面白いやつ、と勇人はこの年下の女ベーシストを好ましく思っていた。
「ユートさんは」
「ユートは、どうするの」
「俺は……まあ、なんとかやってくよ。最悪一人でも、アキラのとこにツアーすっまでは頑張っから。俺ってば曲書けて歌えちゃったりする天才だしな~!」
なるべく明るく聞こえる声で、勇人は答えた。年若い2人に、心配は掛けたくなかった。
「そう……。頑張ってね」
「お前ぇらも、きばれよ!」
「……っす。ユートさん、応援してるっす」
こうして、勇人とアキラが青春とプラスアルファの全てを注ぎ込んだバンド、『ザ・ボーイ・ミーツ・サムワン』は解散した。
* * * * *
「かっこつけてみたはいいけどさあ〜、どうすればいんだー」
ライブハウスでの打ち上げも終了し、部屋に戻って第三のビールを煽りながら勇人はひとりで泣き言を漏らした。
大学入学にあたって上京してきて以来、10年以上住処としてきたワンルームのボロアパートの部屋。かつてはアキラが昼夜問わずに入り浸っていたこともあったし、ミヤやミズキ、それ以前のメンバーたちがやってきて酒盛りをしながら夢を語り合ったこともある。勇人にとって、この部屋は『ミーツ』の思い出そのものだった。
傍らのスタンドに立ててあったレスポールを手に取り、リフを弾く。ミーツで一番人気があった曲だ。ライブの最後、決まって演奏した。
今日が真っ暗闇でも、明日は明るいかもしれない、明日がダメでも、明後日は素敵な一日に決まってる。そう、希望を歌った曲だった。
「よく考えると、これって先延ばしにしてるだけだなー」
そうだ。先に延ばし延ばししているうちに、三十路を迎えてしまった。
「んにゃ、俺ぁまだ30でねえ」
アキラと違って勇人は早生まれだった。30歳の誕生日には、まだ半年と少しの猶予がある。
「半年で、なんかできっかな」
あと半年。
半年で何かつかめなかったら、そのときはアキラと同じように諦めよう。唐突にそう思った。
勇人の実家にも、家業があった。それを継ぐのが心底嫌で、両親の制止を振りきって上京してきたのだ。どうにもならなかったら、地面に額を擦り付けて実家に戻ることも、多分、できるだろう。
「甘ったれだなァ……」
そう呟いて、勇人はアルコールで回る頭をほったらかしに、ギターをスタンドに戻した。
翌朝、と言うには少しばかり遅い時刻。時計の針は2本とも、てっぺんのやや右よりを差している。ほとんど真昼だった。
「頭いっでぇ……」
昨日はあのまま寝てしまった。座布団を枕にしてはいたものの、硬い床のせいで背中も痛い。とりあえずテーブルの上に置きっ放しになっていたタバコの箱から1本取り出して咥え、100円ライターで火をつける。これからのことを考えながら、冷蔵庫まで行って水のペットボトルと発泡酒の缶を取り出した。今日はバイトが休みだ。迎え酒をしながらゆっくり今後を考えようと思った。
* * * * *
あれから約半年、勇人は今晩も、ハードケースに仕舞ったアコギを片手に駅前へと向かう。近々に迫った30歳の誕生日に考えを巡らせながら。
お読みいただきありがとうございました。




