40話/旅立ちの日に
7/2 改稿、文章追加
2025/3/5 修正
葦毛の馬を駆けさせる勇人の前髪を、横薙ぎの風が揺らした。野の花の香りは息をひそめ、代わりに草いきれが僅かに立ち上っている。夏の始まりを告げるものだった。
「もう夏かー……こっちに来て随分経っちまったなあ」
勇人は呟きながらも、馬上で手綱を握りなおした。そのとき、不意にくしゃみが出た。しかも3回連続だ。1回がほめられ、2回がそしられ……だっただろうか。
「3回はなんだったべなあ。忘っちゃ」
走らせている葦毛の馬が、妙なくしゃみをしてひとり言を言っている勇人を不審に思ったのか、少しムッとしているのがわかった。悪い悪いと声を掛けて謝る。この馬も、グラニと同じように賢い馬だと乗ってすぐにわかった。アスクが買い求めたのもわかる気がする。
勇人は、トキオンから伸びる街道を北の方角へ向かっていた。
今のところ太陽は高い、しかし、次の町、ないし村がどのくらい離れているのかわからない。もし日が暮れるまでに宿を確保できなければ、危険な目にあうことはすぐに予想がつく。以前黒の森で狼に追われたときの経験を思い出し、勇人はぞっとした。幸い馬もそれほど疲れていないようだ。急ぐに越したことはない。
また少し馬を走らせると、リダ村周辺では見たことのないような種類の花が咲いていた。この時期の花なのだろう、見渡す限り、というのは少しオーバーだが、一面真っ白に咲き誇っている。まるで天上の野原なのではと錯覚するほどだ。風に揺られると、その白い花弁がきらりと光る。ただの反射や見間違いではなく、どうやら花自体が発光しているらしい。昼間なのでその光は僅かに判別できる程度だが、夜にここを訪れることができたなら、非常に幻想的な光景が見られることだろう。幼い頃祖母の家で見た、銀河を旅する鉄道の物語を思い出した。今でも気に入っている物語で、ひとり暮らしの部屋にも文庫本が置いてある。
その夜景を想像し、改めてここがファンタジーな異世界なのだと認識する。今までリダ村の中だけで平和に暮らしていた上に、初めてのお出かけだった州都でもカレー(日本式)を食べさせられる始末だったから、忘れかけていた。
この世界には、まだまだきっと、勇人が知らないものが沢山待ち受けているに違いない。
元々この世界で音楽の道……この世界風に言うなら吟遊詩人の道を志している勇人にとって、リダ村との離別というのはいつかやってくると考えてはいたことだった。
こんな形で別れを告げることになって、寂しい気持ちがないと言ったら嘘になる。しかし、この新しい旅立ちに期待の気持ちを抱いていることは間違いなかった。
(俺も、やっぱ男だってこどだぞなぁ……)
年甲斐もなくワクワクしつつある気持ちを抑えずに、白い野を街道に沿って走る。相変わらず町の影は見えず、追っ手らしい姿もない。去り際のライラの言葉を信じるとするなら、彼女が何か裏で手を回したのかもしれない。
爽やかな初夏の風を感じながら、1人と1頭はまだ見ぬ世界へ向かってスピードを上げていく。
「そうだ」
いつかまた、リダ村に戻るであろう。その時が来たら、アスクとの約束通り、またみんなで歌を歌おう。そしてその曲目はオリジナルのものにしよう。作詞作曲ユート・フジ。
村を離れている間に見たもの、聞いたもの、感じたもの、それらを全て歌にするのだ。
勇人は、我ながらなかなかいい案だと思った。
世の吟遊詩人たちが勇者の歌を書くように、勇人は勇人の物語を歌にしよう。リダ村の家族に伝えるために。
お読みいただきありがとうございます。
これにて1部完です。やっと異世界らしい冒険が始まります。ああ長かった。
間に幕間的なものを挟む予定です。




