3話/もしもファンタジーなら
2025/06/23更新
「さきほど教義とはおっしゃいましたが、行き倒れていたわたしの命を助けていただいて、そのままというわけにもいきません。わたしは現在記憶も曖昧でやらねばならないことというのも思い当たらないのです。お礼と言っては何ですが、しばらくこちらでお手伝いできることはございませんか?」
この世界について未だほんの少ししか知識を得ていない。少しばかりではあるが話した限りでは、このアスクは教義に篤い、立派な宗教人に見え、少なくとも短い間ならばうまくやっていけそうな人物のように感じた。ここに留まって知識を得ることは今後の生活に大きな糧をもたらすように思える。
などと、自分でも驚くほどに口からつらつらと出ていく言葉の後を追うように考えてはみたが、つまるところ目覚めて初めて出会った良い人っぽい顔見知りのもとになんとかしてしばらく留まっていたい、というのが本音だった。
「ふむ……身なりからしてユート殿は遠い土地からいらしたようです。となればおそらく目的地は州都であるトキオンでしょう。幸いこのリダ村はトキオンも近い。村にいらっしゃれば、ユート殿を探す方からこちらに連絡も届く可能性は高いですね……。
……もしよろしければ、この教会に少し留まって少しばかりお手伝いをしていただく、というのはどうでしょうか」
「もちろん、全力を捧げます」
「それはありがたい。……正直この教会は少々、人手不足でしてね」
アスクはばつが悪そうに、しかしはにかむようにして笑った。ひとまず勇人もつられるように笑った。
* * * * *
教会の主な仕事は、村民を集めての礼拝や説法といった勇人にも想像できるものに加え、経費の計算や教会本部なりトキオン州都支部なりとやりとりする書類仕事、怪我人や病人の世話まで多岐に渡った。
更に、このリダ村では独自に、朝の礼拝の後に子どもたちを集め、午前中は知識を与えるための授業をする。授業が終われば昼食を与えて午後にはそれぞれの家庭へ家業を手伝わせに送り出すのだ。
これはアスクが3年ほど前にこの村に赴任してきてから始めた習慣で、始めの頃こそ不審がられていたようだが、今となっては村民たちからの評判は非常に良かった。
リダ村は農村であるが、それと同時に、州都トキオンへと向かう行商人たちの休憩地点でもある。トキオンの前で商人たちは、時によっては宿に泊まり、場合によっては農作物などを取引する。
その際に勘定を誤魔化されることを防ぐために、村人たちは算術を必要としていた。また、読み書きや芸術の教養があれば、成長した子らが歩いて半日ほどの州都へ出稼ぎに行った際、働き口が広がって仕事を探すことが容易になる。
何故か言葉は通じるにも関わらず読み書きのできない勇人だったが、算術に関しては、必要とされるものは現代日本における小学生が学んでいるような計算ばかりである。なんとか数字を覚えてからは、教会で行われる週に2度の算術の授業を率先して受け持つようになっていった。
「ユートにーちゃん!また明日なー!」
「おう!」
「せんせー、明日は難しいの教えてね!」
「言ったな!じゃあめーっちゃ難しい問題を作っておくから覚悟しろー!」
「ちゃんと教えてよー!」
「ああ、もちろん教えてやるよ!スパルタでな!」
「すぱるた?……ユート兄、お歌ももっと教えてねー!」
「わーってるって!お前ら、しっかりお父さんとお母さんのお手伝いするんだぞ!」
「はーい!」
勇人は微笑みながら村の少年少女たちに手を振り返した。
礼拝堂に忍び込んでオルガン(幸い、日本で見慣れたものによく似ていた)を勝手に弾いていたのを先月アスクに見つかって以来、算術に加えて隔週で音楽の授業も受け持つようになり、教壇に立ち始めて3か月半、という短い間ながら、勇人は子どもたちからの「先生」という認識を確立しつつあった。
幼い頃母親の計らいでピアノを習っており、バンドではレコーディングの際にシンセサイザーも極稀に扱っていた勇人は、子ども相手の伴奏程度にはオルガンを扱うことができた。
(ガキん頃ぁロクに練習もしてねがったけんじょ……異世界とやらで役に立つたあ、母さんにゃ感謝だなあ)
「……でもやっぱ、ギターが弾きっちいよなあ」
かつてバンドで演奏していたギターリフをエア演奏しながら呟く。我ながら良く出来たと自負しているメロディで、自慢の傑作だ。
かつてバンドで使っていたエレキギターたちはもちろん手元にないし、更に、ヒビの入ったアコースティックギターの修理の目処は未だに立っていなかった。この際自分で直してみようかと何度も思ったが、工具なども満足にない状態で下手に触ると悪化させてしまう気がして、手を付けていない。あのギターは勇人の祖母が昔買い与えてくれたものであり、更に、こちらに届けられた勇人の以前の持ち物は、他には何もなかったのだ。未だ得体の知れない世界でオシャカにはしたくなかった。
「今日もありがとうございました。ユートのおかげでこの村の子らは皆、商人に足元を見られることはありませんし、より音楽を楽しむことができます。わたしも、空いた時間に溜めていた書類を片付けられますしね」
「いいえ、素性も何もわからない俺を置いていただいて、アスクには頭が上がりませんよ」
教会関係の仕事を終えたらしいアスクが言葉を掛けてきた。美中年神父ことアスクは、教義と言い張って行き場のない勇人の面倒を見続けてくれている。勇人がこの村に行き倒れてから、半年が経とうとしていた。
つまり異世界で30歳の誕生日を迎えたことになる。
……そう、異世界だ。アスクや他の村民たちと話すうちに、やはりというか、ここは日本どころか地球ではないと思い知らされた。この村だけ見ればヨーロッパの農村でも通るかもしれないが、ひとたび外界に足を踏み出せばモンスターや精霊もいるらしいし、魔王の支配する魔王国なんかもあるらしい。
らしい、というのは、勇人はこの半年の間、ほぼ村から出たことがないのである。そして、魔王国もモンスターの生息域も、平和なリダ村からは遠く離れていた。従って、未だファンタジー生物やファンタジー国家は目にしていない。
しかしあれは先日のこと、魔法だけは村に泊まったキャラバンの護衛魔法使いに頼み込んだらちょっとばかり見せてくれたのだった。
まさにファンタジー現象だった。
「ユートならいつまでもいてくれても構いませんよ。その若さでしっかり対価以上の働きをしてくれていますから。聞けば畑仕事や商人との交渉も手伝っているそうですね。評判ですよ」
おそらくアスクが思っている年齢プラス10くらいが実年齢、とは思っても口にしない。村のおじさんおばさんたちもそうだ。勇人を、州都に出稼ぎに出ている息子と同じくらい、20そこそこの若者だと思っているらしい。
最近では空いた時間に手伝いに行くたび、やれ休憩だ茶菓子を食べろ、やれ夕方だ飯食ってけ、夜だ一杯やってけ、挙句の果てにはほれ手伝いの駄賃だといって少し大目に小銭を渡そうとしてくるのだ。お金だけは流石に悪いので(実は三十路だし)丁重にお断りしているが、故郷の田舎町に戻って来たような懐かしい錯覚に陥りそうになる。
「そういえば、ユートが前に言っていたぎたー?でしたか、数日のうちに州都の、教会御用達楽器職人がこの村に立ち寄るそうですから、調整をお願いする予定のオルガンと一緒に見てもらったらどうでしょう?ひょっとすると直せるかもしれません」
「えっ?ほっ、ほんとに!?」
「ええ、大切な物なのでしょう?」
「……あ、ありがとうございます……!」
感謝の大きさに比例するように、勇人は深々と頭を下げた。ゆっくりと視線を上げると、アスクがいつものようににこにこと笑っている。
「アスク様ー!速達です!」
勇人とアスクのもとへ、村の郵便屋(兼業農家)が駆けてきた。郵便自体がそれなりに高価なこの世界で、一般郵便の倍以上の値段がする速達を必要とするほどの手紙がリダ村教会へ届くとはにわかに信じられない。
「速達……?」
隣のアスクを横目で見ても、何の心当たりもなさそうだった。




