33話/ひとときとそれから
下手側の舞台袖に引っ込み、そのまま楽屋方面へ繋がる廊下に出たところで、リダ村聖歌隊の面々はやっと先ほどまでの張り詰めた空気から開放されて、一息ついていた。皆それぞれが満足げな顔をして、冗談混じりに互いのミスを笑い合っている。
「あ、そうだ。ユート兄、最初のとこ間違えたでしょ!」
「うっ、ばれてたか。」
「当ったり前じゃんよー!俺たちが何回にーちゃんと練習してると思ってんだ?」
勇人が、ばれていないのではと希望していた出だしの小さいミスを、からかうように指摘したのは、一緒に曲のはじめを受け持ったアンヘリーナだった。最年長の彼女は気が強く、若干13歳ながらに姉御気質で、勇人相手にも物怖じせず口を利く。ウェーブのようなくせのついた黒髪を肩の少し上で切り、肌は少し浅黒い。年の割りに身長も高く、まあ、他にも色々と発育のいい少女だ。
「いやー、悪い悪い。」
「まあいいけど。っていうかアンタもミスってたじゃないの、ハリス。」
「げっ!」
「あははは、アン、その辺にしておこうよ。アンだって歌詞間違ったんだから。」
「うぐ。な、なによー、イリヤだって音外したじゃないのー。」
「そうだよ。だからお互い様ってこと。ね?」
「し、仕方ないわね……。」
アンヘリーナが首を突っ込んできたハリスをちくちくとつついていると、イリヤが間に割って入ってきた。彼女と同じく13歳で最年長の少年イリヤは、ほとんどが上に兄か姉を持つ聖歌隊メンバーの中では珍しく4人兄弟の長子だからか、驚くほど大人びている。彼の弟妹のアキとリカも、この場に来ていた。それぞれ3歳ずつ年が離れていて、リカの下にも、3つ年下の弟がいるらしい。そしてアキが言うには、イリヤはいつもニコニコしているが、たまに怒らせると本当に怖いとのこと。
13年をリダ村で一緒に過ごしたアンヘリーナもそれを知っているのか、天然のプラチナブロンドであるトゥヘッドに、薄いブルーグレーの瞳を持った美しい幼馴染の言葉には逆らわないようだ。
「お疲れ様でした、みなさん。」
「アスクせんせーだー!」
「神父さまー、どうでしたー?」
「素晴らしかったと思いますよ。」
客席からやってきたのだろう、アスクが廊下の向こうから姿を現した。未だ興奮冷めやらぬ様子の子どもたちは、アスクに褒められて嬉しそうだ。
「お父さんやお母さんたちが客席でみなさんのことを待っていますよ。」
「よーし、みんな、さっさと戻るぞー!」
「はーい!」
「アスク、ちょっと子どもたちを連れて行ってもらえますか?俺、上手側にギターのケースを置いてきちゃってるんで……。」
「わかりました。先に行ってますね。」
アスクに子どもたちを頼み、勇人は、最終組の演奏が始まったステージの裏を抜け、上手側袖に置いておいたケースにギターを仕舞う。大舞台を乗り切った相棒のボディを撫でてから、蓋を閉め、金具で留めた。ギターケースを持ち上げて、アスクと子どもたちに早く追いつくべく、楽屋側の廊下に出ようとした。
「あれほど……ていたのに、これはどういうことなのだ?」
「……様、しかし……れも手を尽くし……。」
「リダの…………ンを壊せとの仰せは、確かに……。」
「……いな。だが、あれは一体なん……のだ?」
(なんだ……?)
ドアの向こうから聞こえてくる話し声は、おそらく、男が2人、女が1人。女の方が男たちよりも立場が上らしく、叱責しているような口ぶりだ。そして、特徴的とすら言える声の低さ。元の世界で『少年声』と呼ばれる女性声優が多くいたが、彼女たちの中に放り込んで比べたとしてもかなり低い方だろう。
「まあ、いい。こ……で、手は打つ。下がれ。」
「はっ。」
声が止み、小さな足音が遠ざかっていく。3人は去ったらしい。
「リダ……、壊せ……、手は打つ?なんだべ、いやーな感じがすんな。」
勇人は、そっとドアを開け、周囲を確認してから、楽屋前の廊下にすべり出た。
* * * * *
急いでリダ村応援団の待つ席へと戻ると、トリであるトキオン第二教会聖歌隊の賛美歌がクライマックスを迎えているところだった。主催教会の聖歌隊として、流石に自信があるだけのことはあると思わせる、堂々とした正統派の聖歌だ。人数も多い。これまで出てきた聖歌隊の中では抜群の出来だろう。
席についてしばらくしたところで曲が終わり、観客は思い思いに拍手を送っている。そのタイミングで、勇人は、隣に座るアスクに先ほどの出来事を耳打ちした。
「なんですって……。壊したというのは、もしかして。」
「オルガンでしょうね。」
「手を打つというのも気になります。……しかし、関係者以外立ち入り禁止のはずの楽屋付近でそんな話をしているということは、第二教会の人間ですね。」
「おそらく。」
「……あの子はバカですがそういう曲がったことはしない子なんですが。」
「誰が首謀者かはまだわかりませんし……。」
「まあ、すぐにはどうしようもありませんね。」
客席の拍手が鳴り止んだ頃、勇人とアスクの密談も、ひとまず様子を見ようということで落ち着いた。場内アナウンスによると、これから結果発表まで、少し休憩を取るらしい。その間に審査員たちが話し合いでもして順位を付けるのだろう。
「お疲れだったな!ユート、ありゃあ思ってたより全然すごかったぜ!」
「うん。ユートと子どもたちは優れた音楽家だな。」
「ありがとうございます、コミンズさん。ミリアンさん。」
「ほんと、ひいひいおじいちゃんのお話があんなにかっこよくなるなんてねぇ。みんな、素敵だったわ~!」
「ユートさん、みなさん、お疲れ様でした。あの楽器、初めて見ましたが、何て言うんです?……あっ、こら、サリアちゃん!よそ様のお子さんに見境なく抱きつかない!」
ようやく席に戻ってきた勇人に、客席から見守っていたコミンズやミリアン、そしてサリアとリュースが話しかけてきた。リュースはギターが気になっていたらしく、質問に来たが、その直後、サリアを止めに行ってしまった。
「だってぇ、かわいいんだもの~。」
「だめです!」
「ねえねえ、お兄ちゃんたち、勇者様なの?」
「そうよ~、このお兄ちゃんとお姉ちゃんは勇者なのよぅ。」
「あっこら、微妙に説明がめんどくさい嘘をつかない!」
……リュースは大変そうだ。なんか、なんとなくのイメージだが、リュースは若白髪とか生えている気がする。
「エリィ、よく頑張ったね。すごく可愛かったよ!」
「えへへ、ありがとう。おとーさん。」
エリィとエドワルドの親子も相変わらずだ。エドワルドにとってエリィは若い頃にできた初めての子どもらしく、その後、夫人が体調を崩しているためにエリィが9歳となった今でも第二子はいない。この可愛がりようも頷けるというものだ。本当に目の中に入れたとしても痛がらないのではないか。そんなくだらないことを考えているうちに、勇人は恐ろしいことに思い当たった。
「……アスク、エドワルドさんって何歳でしたっけ?」
「彼ですか?確か……」
「あ、いや、やっぱりいいです。」
現代日本は晩婚だから比べること自体が間違ってる、と心の中で強く唱え、勇人は不吉な予感を追い払った。すると、またアナウンスが入る。
「順位発表の用意が整いました。皆様、ご静粛に。……では、ミルヒア司教様、講評からお願いいたします。」
ステージへ視線を移すと、修道服を着た小太りの老人が袖から出てくるのが見える。トキオン第一教会から招いた司教で、トキオン州の教区長を助ける補佐司教なのだとアスクが小声で教えてくれた。要するに偉い人である。彼が今大会の審査委員長のようだ。
「へっ、リダ村が一番に決まってるぜ。」
「コミンズさん、あなた最初から見てないのだからわからないだろう。」
発表前から滅多なことを言うコミンズをミリアンが嗜める。しかし、その気持ちは、リダ村一行だけでなく、聖堂に会した人のほとんどが思っていたことだった。もし一等を逃すにしても、何らかのリアクションがあるはずだ、と。子どもによる聖歌隊というのも、伴奏がオルガンではないというのも、また、斬新なアレンジも、全てが前例のない、非常にセンセーショナルな出来事だった。大会を観覧するために集まった約千人の観客たちのうちの一握りなどは、自分が歴史的な瞬間に立ち会ったと信じていた。
しかし、その観客たちと反対に、その革新的な聖歌隊を作り上げた張本人である勇人は、はらはらしながら司教を見つめていた。
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