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結局売れなかったバンドマン(29)は異世界で成り上がりの夢を見る  作者: 有柏くらゐ
第一部-1.リダ村:元バンドマンと異世界の農村編
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1話/君の声を、聞いた気がした

2025/02/10更新

 限界まで絞ったオレンジ色の照明の室内に、ジャズピアノのレコードがかかっている。店の隅に転がされたスピーカからの、会話の妨げにならない程度のボリュームに上品さを感じる。

 年季の入ったカウンタには背もたれのないチェアが10脚弱。4人掛けのテーブルがひと組、壁に押し付けられるように据えられた、見知った店内。「アフターアワーズ」だ。



 ミズキはカウンタの左端、いつもの席を陣取っているようだ。

 初めて会ったときミズキは茶髪で、当時流行っていたオシャレなカットのショートヘアだった。だいたい3年ほど前か。少し背を伸ばして通うようになったジャズバー、アフターアワーズのカウンタで、23歳だった彼女は一人でスコッチを、ロックで飲んでいた。


 ちょうど前のベーシストがバンドから脱退した頃で、「いいベーシストがどっかにいないか」なんて話を顔馴染みになり始めたマスターにぼやいたら、「わたし、ベース弾ける」と左隣りから予想外の答えが返ってきた。

 そのときパッとグラスから視線を上げたミズキが妙にサマになっていたものだから、即決でスタジオ練習に誘ってしまったのだ。


 そのときは酔っていたこともあり、紅一点としてある程度弾いてくれればいいかな、ダメなら断れば、なんなら来なくてもいい、なんて思っていたのが、素直にスタジオにやってきたミズキの演奏で度肝を抜かれた。驚きで口をぽかんと開けていた勇人たちに、「並くらいには頑張れると思う」と言い放ったミズキは3年一緒にいても掴み所のない女だった。


 そのくせ、勇人が冗談で「女ベーシストはやっぱり黒髪ロング」などと言ったらその次回には髪を黒く染め、わざわざエクステを着けて現れたりする。面白いやつ、といつも思っていた。


「ミズキ」


 呼びかけると、彼女はチラリとこちらに視線を寄越した。新しいバンドに移ってから元に戻したのだろう、出会った頃のような、ブロンドめいた明るい茶髪のショートヘアだ。ほっそりとした頸のミズキによく似合っている。


 彼女の新天地たる「チクタク」は、現在のシーンを引っ張る新鋭といっても過言ではない。噂によれば、年内のメジャーデビューも決まっているとか、いないとか。

 ミズキは勇人たちといるにはもったいないほど腕が良かった。


「お前、やっぱ、ショートヘアの方が似合うな。黒髪ロングにさせて、悪かった」


 こちらを向いた彼女が、少しだけ、唇を開いた。




 * * * * *




 背中が痛い。ついでに頭も少し痛い。二日酔いのように芯から湧き出る痛みではないことがせめてもの救いだ。


 耳を澄ましてみると、遠くから子ども特有のきゃらきゃらとした声が聞こえた気がした。どこだ、ここは。全く心当たりがない。恐る恐る目を開いてみると、ぼんやりと光が溢れてきた。


 白い部屋だった。天井、壁、窓にかけられたレースのカーテン。全てが白っぽく統一されている。この調子だと床やなんかも白いのだろうか。薄いカーテンが時々ふわりと揺れ、頬に風が当たるのがわかる。汗ばむような暑さはなく、肌寒さを感じるようなこともない、心地のよい風だ。


 やはり、この部屋に見覚えはなかった。というより。


「ここはどちらの外国ですか」


 およそ日本らしくなく、壁も、天井も、白っぽい石造りなのだ。高校時代に学んだ世界史の資料集かなにかで見た欧風家屋を髣髴とさせる。

 東京はやはり外国だったのかもしれない。


 ただ、そこまで広い部屋ではなさそうだった。

(だげんじょ天井はたけぇ)


 背中と頭は少々痛むが、いつまでもここで寝ていたところで致し方ない。勇人は、えいやあ、とゆるく自身に声を掛けて上体を起こした。予想通り床も布団も、ついでに、いつの間に着替えさせられたのだろうか、着ている服も白っぽかった。布団は、どちらかといえば寝台といった風情の、簡素なベッドの上に敷かれている。このベッドと、右手側の壁に設えられているシンプルなドアだけが古びた木製で、一面白の部屋の中に少し生活感を与えていた。


 同じような四つ足のベッドがもうひとつ並んでいるところを見ると、病室か何かだろうか。初めこそ見慣れない造りに戸惑ったが、もしかするとキリスト教系かなにかの病院なのかもしれない。

 もちろんそういった場所には行ったことはないが、30年生きてきた甲斐あって、院内に礼拝堂を持つ病院だってあるということくらいは知っていた。


「昨日、公園で歌ってて、怖い人に絡まれて、逃げて……車に轢かれて?……死んだ!って思ったけど……生きてる、よな?」


 両手を握って、開く。もう一度、握って、開く。指の一本一本を曲げて伸ばす。違和感はない。少なくとも、ギターを弾くのに支障はなさそうだ。

 ギターといえば、一緒に轢かれたはずだがどうなっただろう。おそらく、あの後ここに運び込まれたはずだ。共に事故に遭ったのだから、持ち物として回収されているだろう。


 室内を見回すと、勇人の背面側、いわゆるヘッドボードにあたる部分(このベッドには見当たらないが)が接している壁に、ギターケースが立てかけてあった。ベッドから降りて、右手側へ3歩ほどの距離だ。ぺたぺたと裸足で歩く。石の床がひんやりと冷たくて気持ちがいい。


 見てみれば、アスファルトの上を滑ったらしくケースは擦り傷だらけだった。

 そっと床に寝かせ、掛け金を外してフタを持ち上げる。半分格好をつけるために使っていたハードケースのおかげか、ここ半年ほどの間、ずっと相棒を務めてくれているアコースティックギターには大きな損傷はないように見えた。念入りにチェックするためケースから取り出す。


「な、なんてこったなじょすんべ……」


 ボディの背面部分のチェックをしていたときである。小さなヒビを見つけたのだ。いくらハードケースといえど、車に撥ねられた衝撃を全て吸収することはできなかったらしい。この程度で済んで僥倖というべきかもしれない。

 しかしボディ修理は高くつく。勇人の頭の中で、福沢諭吉が腕を組んで旅立って行こうとしていた。


「おっちゃんのところに持っていけば、まだ割れっていうよりはヒビだから2万は取られないはず。……多分」


 片方の諭吉を引き戻し、代わりに樋口一葉と野口英世を送り出す。これが悪化して割れていたりなんかしたらそれこそ痛い出費だった。ヒビで済んで良かった、と自分に言い聞かせる。


「諭吉といえば、財布はどこだ?あとばあちゃんの巾着」


 ギターと違って室内に置いてあったりはしないようだ。貴重品はやはりしっかり管理しないといけないのだろう。病院といえど、このご時勢、いつなんどき盗難があるかわかったものではないのだから。同じ理由で携帯電話も預かってくれているに違いない。


(多分画面とかバッキバキだべなあ。動かねがったらどすんべ。携帯が戻ってきたら実家に連絡しねどな、心配しんぺぇかげっちまったべな……)


 大学を卒業してから就職もせず、バンドとバイトの毎日を送る息子を、実家の両親は最初の1、2年こそ心配と応援のない交ぜになったような顔で見守ってくれていたが、ここ数年はほとんど呆れられているようだった。

「いい加減家を手伝うか、役場の試験でも受けてみろ」という母の言葉が聞きたくなくて、最近は帰省はおろか、電話すらロクにしていなかった。

 父は「お前の人生だ、後悔しないようにやれ」と言ってくれてはいるものの、やはり本心では勇人には地元に戻って欲しかったはずだろう。

 こんなときくらい、こちらから連絡しよう、そう心に決めた。


「……ミズキにも謝らないと」


 そして、あの後落ち合う予定だった友人の顔が浮かぶ。

 脳内の彼女が口を開こうとしたところで、こんこん、と軽い音が室内に響いた。来訪者のようだ。少し間があって、ドアが開いた。蝶番が摩擦音を立てる。


「お目覚めですか」


 入ってきたのはなんと、白い服を身に纏った外国人のおじさまだった。薄いグレーの髪にグレーの瞳で、すらっとしている。やはりキリスト教系の病院だったのだろうか、ダンディな美中年神父といった風体である。

 さらに、話す日本語は流暢で、英語へのコンプレックスから外国人を避けてしまう勇人にとってはありがたいことこの上なかった。


「よかった。お加減はいかがですか?……あなたのお召し物がひどく汚れておりましてね、洗濯させていただいております。靴も一緒に洗わせてもらいましたが……、ご迷惑ではありませんでしたか?」

「いえ、ありがとうございます。助かります」

「それなら良かった」

「……そうだ。すみません、ここがどこだかお聞きしてもよろしいですか?」


 折角病院の人が来てくれたのだ。少し質問をさせてもらおう、と勇人は彼に尋ねた。


「ふむ……そうですね、ここはトーキオ州州都トキオン近くにある村、そしてその村にある教会、とお答えすればよろしいでしょうか」

「ときおん?」

「トキオン」

「東京ではないのですか?」

「とーきょー?」

「……死後の国、ではありませんよねえ……?」

「まさか」

「ですよねえー」


 そうして2人でどちらからともなく笑い出し、笑い合った。勇人に限って言えば、笑わざるを得なかった。全く意味がわからなかったからだ。


(なじょしてこうなった!)

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