18話/かつて果実だったもの
6/16 改稿
その夜、勇人は酒場にいた。先日無事デビューを果たしたリダ村の小さなスナックもどきではない。州都トキオンのメインストリートを少し離れた場所にある人気の店だ。そこにはトーキオ州中のミュージシャンが流しにやって来る。余りにその数が多いため、オーディションすら行われているという話だ。日本で言うならばハードルの高い老舗のライブバーといったところか。
勇人はテーブルに置かれたグラスを持ち上げ、中身の液体を少しだけ口に含む。そろそろ1組目の演奏が始まる。今夜予定されているのは全部で8組、村での流しで貯めたお金を使って買った酒のボトルはそれほど安くはない。今までよろしく水のように飲んでいてはすぐに資金が底をついてしまう。
今日の目的はズバリ、リサーチである。この世界ではどのような音楽が流行っているか知ることは必要不可欠だ。
勇人は、酒場に入るや否や、値段の安い順に並んだメニューの、上から数えて3番目に書かれている酒のボトルと、とりあえずのつまみとしてナッツ盛りを注文し、隅のテーブルに陣取った。あえて3番目の酒にしたのは、安い酒で長居をすることに罪悪感を感じたためと、少々の見栄だった。しかし、その選択が間違いだったことに先ほど気づいた。
「この酒うめぇわ。俺好み」
予定より酒もつまみも進んでしまいそうだ。
相変わらず勇人は文字が読めない。メニューの値段を見て指差し注文をしただけだったので、テーブルの間をゆったりと歩きながらホールの様子を窺っている店員さんを呼びとめ、酒の出自を尋ねた。なんでもこの辺りで作っている果実から作られる蒸留酒らしい。元の世界でいうところのブランデーという認識で間違いないだろう。
日本にいた頃から、ブランデーは結構好きだ。それほど高いものは飲んだことはなかったが、ストレートでゆっくり飲んでいると、だんだん暖められて果実由来らしいふくよかな香りを発するようになってくる。しかしそのことを言うと、友人には決まって「お前酒なら何でもいいくせに」と白い目を向けられた。誠に遺憾である。いつかガウン姿でブランデーグラスを片手に、葉巻を燻らせる、そんな男になりたいと思っていた。
店の奥にこじんまりと造られたステージに、円筒形の箱のようなものを持った若い男がひとり登場した。見たところ15、6歳だろうか。箱の上部にやや厚みのある皮のようなものが貼られているところを見ると、太鼓の一種らしい。
1番手ということで、店員が言うにはまだキャリアの浅いルーキーだという。まだ時間も早いこともあり、客の数もまばらだ。しかし、壇上の彼はそんな少し寂しさも感じられる客席を、喧嘩でも売るように一瞥した後、こともなげに太鼓を叩き始めた。
「なかなかできそうな奴だなあ」
(異世界の音楽シーン、お手並み拝見。といくべかね)
勇人は香りの良い酒で唇を湿らせ、彼の奏でるリズムに耳を傾ける。隣の席に誰かが腰掛けた。
「お疲れ様です」
「ああ」
テーブルの上に用意してあったグラスに酒を注ぎ、隣人に渡してやる。小ぶりなグラスを受け取ると、彼女はくいっと一口酒を呷った。
* * * * *
時は巻き戻って、3日前、リダ村。
「前乗りの引率?」
「ええ、ぜひお願いしたいのです。なにせ州都は不案内でして……」
「はあ、そういうことなら、近頃は特に大きな依頼もないし構いませんが」
「俺の不勉強のせいでご迷惑をおかけします」
話をまとめるとこうだ。
リダ村は、州都トキオン近隣とはいえ、歩けば四半日弱は掛かる距離である。大会参加のためには前乗りが必須といえる。しかも、招待枠として費用は主催が負担してくれるらしい。ここはお言葉に甘える意味も込めて前乗りするべきだろう。
しかし、アスクは毎朝の礼拝のため州都に前泊することができない。大会当日の礼拝が終わり次第、馬に乗って会場に向かい、方々への挨拶と子どもたちの応援をして、その晩には村へ帰るというハードスケジュールをこなす予定だ。
そこで必要になるなのは前乗りする子どもたちの引率である。曲がりなりにも彼らの指導者であり、伴奏も担当する勇人はもちろんのこと。あとはエドワルドを筆頭に親が数人。春も終わりかけのこの季節は、種まきや植え付けなどの農作業が一段落して、各家庭に少し余裕がある時期だ。滅多にない子どもの晴れ舞台を目にすることができる上に、引率者の費用まで主催持ちとあって、参加保護者は希望者多数のため最終的にクジで決まったと聞く。
ただ、エドワルドに関しては少し事情が違う。病気の妻が最近復調の兆しを見せており、少なくとも家の中のことは以前のように行えるようになったらしい。その妻の更なる治療のため、州都で薬を買いたいという目的もあるという。
「よろしくお願いします。ミリアンさん」
そして最後の一人が、リダ村では数少ない狩人のミリアンである。村の狩人たちは獲物を換金する関係で冒険者ギルドに籍を置いており、週に1度はトキオンのギルドへ赴いている。それに加えて、ミリアンは数年前までトキオンを本拠地として本格的に討伐活動などを行っていた冒険者上がりである。トキオンの事情に明るいことに加えて、万が一のときには助けになってくれるよう頼んだのだ。
冒険者を引退して故郷にもどってきたミリアンは、言葉こそ少しぶっきらぼうだが、基本的には『優しい近所のお姉さん』という形容がピッタリな穏やかな女性である。日本人男性の平均をわずかに上回る勇人と並ぶくらいの背丈で、飾り気の無い質素な服を身にまとい、肩より少し下まである鳶色の髪を無造作にひとつ結びにしている。
しかし確かに、そのスラリとした体つきや、先日の迷子のエリィ事件の帰り道で殿を務めていた際の鋭い視線、大きな獲物を解体する手さばきの鮮やかさなど、かつて冒険者だったという名残がその立居振舞の各所に残っている。
「ああ。こちらこそよろしく頼みます」
「旅費や諸々の費用は州都の教会へ行けばバ……大会主催者から受け取ることができるそうですから、トキオンについたらまずそちらへ向かってください。ご迷惑をお掛けしますけれど……。往路でもしも何かあったときのために、勇人には後で予備金を渡しますね」
「わかりました」
「承りました」
そして3日後の朝、結構な大人数になってしまったリダ村聖歌隊一行は、礼拝の後、見送るアスクに手を振りながら州都トキオンへ出発した。
お読みいただきありがとうございます。
私はブランデーより日本酒の方が好きです。焼酎よりもビールの方が好きです。ウイスキーよりもワインの方が好きです。つまり醸造酒が好きなのです。